勝抜き熟議選挙(トーナメント方式の熟議選挙)(Deliberative Tournament Election)とは、
 
熟議民主主義(Deliberative Democracy)の概念を国政・地方選挙などと組み合わせるもの。

(この手法は、地方再生を目的とした自治体のイベントリーダーや、学校などの生徒会役員などを選ぶ方法にも使える。)

「勝抜き熟議選挙」では、有権者が各10人~30人程度で会議を行い、
 
現状、課題、政策、政治リーダーの望ましいイメージや資格を議論し、各会議で、最終選挙人候補と政治家候補として、参加者の10~20%(数名)を選ぶ。
 
次の段階では、選ばれた人同士で集まり、同様の会議をして、やはり、参加者の10~20%(数名)を選ぶ。
 
簡単に言えば、スポーツで使われるトーナメント方式で段階を経て、最終的に優れたリーダーを選ぶ方法である。
 
 
(ここでは、説明のため、30名のグループで計3名を選ぶこととする。この「勝抜き熟議選挙」の活用方法として、中学校、高等学校などでの生徒会役員を決める場合が、考えられる。

全体を小さく分けて、10人づつのグループで議論をするのも良い。学習効果を上げるためには、サッカーなどの国際試合トーナメントのように、4人づつで議論し、2名選ぶ方式も良い。
 
この場合、選抜率:Election rate = 50%となり、時間はかかるが、生徒同士が、グループでの議論を通して、学び合う姿勢が強化される。
 
計算すると、参加総数:512人では、8段階で、最終の2名を選ぶこととなる。最終的にリーダーとして選ばれる人にとっても、意外に会議の参加回数は、たった8回であるが、全体から最後までに集積される情報の量と質は、従来の投票だけの選挙とは比較できない。
 
下の例は、参加総数:1250名で選挙率:20%とすると、たったの4回の「勝ち抜き熟議」で1~2名のリーダーを選ぶことができることを示している。
 
人口125,000人の市で1%の人が市長選挙に興味を持ち、立候補したり、最終選挙人になりたい人が、議論に参加しても、たったの4回の会議で市長を選ぶことができる。
 
その際になされる市民間での情報交換量(学び効果)は、従来の市長選に比較できないレベルとなる。
 
 
互いの本音トークと質疑こそが、真の学びを生み、
各員が話す総時間で比較すると、従来の選挙の数百倍となり、問題の解決を図ろうとする意欲や学びが圧倒的となる。

「勝抜き熟議選挙」では、グループ内で目の前の人を選ぶため、参加者の考え方や性格を、かなり理解して、選んでいる。

世界で一般的な、殆ど投票だけの選挙制度と異なり、議論をしているため、問題に対して、参加者が、道義的責任を感じるようになる。
 
また、選んだ人たちが、反省でき、PDCAが回るのである。
 
学校で生徒間のいじめや暴力が起こるのは、基本的に各生徒の心に、本当の意味での Tough-mindedness【人としての誇り、自制力、思考力 ⇒ 思いやり】が足りないためである。
 
意見が異なるだけで暴力になるのも、Tough-mindedness の不足が原因である。

「勝抜き熟議選挙」の教育目的は、異なった考え方、感情を持った人とも、最後まで冷静に論理的に議論できるようになることである。
 
それは、有徳の人材、リーダーに必須の Tough-mindedness の育成につながるだろう。
 
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国政、地方自治体でも政治家候補になるには、嘘のない経歴や動機を、選挙管理委員会に提出する。供託金は、不要である。

この選挙制度では、何人が立候補しようと、ステップは、同じである。
 
もう一点、勝抜き熟議選挙が、成功する条件がある。
 
それは、参加者の皆が、優れたリーダーシップは、リーダー一人でなく、周囲の人々の暖かさ、妬みのなさ、優秀さ (冷静な論理性)にも依存することを、心底から理解していることである。
 
歴史上の英雄/リーダーも、彼/彼女をリーダーとした周囲の人々の力が、不可欠である。
 
司会(正副の2名のファシリテーター)は、トレーニングを受けた学校なら学級委員や班長、公的選挙なら公務員、一般市民、教師、大学(院)生などである。
 
(学校教育においては、司会のためのファシリテーション・トレーニングをするだけでも、たいへんな教育になる。日本の教育で、最も欠けている能力訓練の一つである。)

彼らは、ファシリテーター(司会者)として、毎回の選挙の争点を説明したり(従来の選挙では、立候補者は、難しい争点を避けるが。)、経済についてとなれば、財政政策・金融政策の基本などを参加者に説明したりする。


つまり、「勝抜き熟議選挙」では、選挙制度に教育(学び)が組み合わされているため、有権者の知識や議論をする能力が、選挙の度に向上する。
 
選ばれた人材は、次の段階で選ばれた者同士が集まり、議論し、そこから、代表を決める。
 
1万2千人が立候補しても、選挙率10%なら、3段階(場所さえ確保できれば3日)で1人決められる。

(最初の段階で、1200人、次に120人になり、さらに大会議で1人選べる。また、政治政策上の継続性のため、現政治家は、仮に途中で選ばれなくとも、最終会議に参加できるとすると良いだろう。)
 
選挙では、何か月間か、会議のため、あちこちのレストラン、自治会館などが、参加者でいっぱいになり、議論が終われば、音楽会、演芸会などで楽しむ。
 
各地域でコミュニティも形成され、業種間、世代間の交流ができる。
 
皆が血眼になって、優れたリーダー候補を探す習慣が、生まれるだろう。

政治家が問題を解決しようとすると、立法や予算となるが、熟議選挙では、互いに有権者が議論して、問題によっては、政治・行政からの支援なしに市民間で解決できる。(予算と時間が短くなる。)
 
首長などが、政治家として選ばれたら、
 
その首長の選出に反対した人を含め、各グループの構成員全員が、任期中、アドバイザーや評価者となり、半年毎に熟議会議を開催して、リーダーの仕事の評価をする。

(ある種のメディアのように、政治と無関係の個人的スキャンダルに注目するのではない。あくまで政治家としての仕事を評価する。
 
メディアが、政治家のスキャンダルを追うとしても、それは、売文目的である。政治政策上、どうでも良いことである。)
 
また、アドバイザー数の、例えば、4分の3以上が、駄目出しすると任期中の政治家でも、退任させられる。(合理的なリコール制度が実現する。)
 
そして、最終会議に残ったメンバー同士で、再度同様の熟議をして別の人物を選ぶ。任期終了が近ければ、最初から勝抜き熟議選挙を行う。

(アドバイザー数は、5段階の熟議で選ばれたとしても200名以下である。だから、リコールは、比較的に簡単とも言えるが、誰がリコールしたのかが、明白で、責任ある姿勢が求められる。)

 
熟議は真剣勝負、目の前の人から選ばれるため、1回でも勝ち抜くことは、本人は、誇りを感じ、社会的にも、たいへんな名誉である。
 
お父さんやお母さん、学校の先生が、一回でも選ばれたら、子供たちは感心して、何を主張したの? なぜ、支持されたのと興味津々の質問が続く。
 
そういう子供への教育の上でも有用な選挙である。
 
ただし、仕事を犠牲にしたり、金と時間をかける選挙のための準備運動は、一切禁止である。

従来、選挙に金と時間を使うため、有権者の見えないところで、「不適切な互恵取引」で政治が暗くなってきた。
 
政治家を目指して有能な人材が、何年もの間、自分の顔を売るため様々な地域行事に出たりして、仕事をしないでいることも多い。
 
しかし、それ自体が組織、産業、経済、さらには、日本全体にとっての大きな損失だと考えるのである。
 

握手も駅立ちも、多くの人たちは、5秒も接していない。


(握手で何がわかるのだろうか? 握手した時の手の暖かさと政治とは、無関係である。)

チラシの内容も、殆どイメージだけだ。(チラシを書く程度の知識で政治ができるなら、全ての大学、大学院教育は、不要だろう。)

演説も「前に向かって共に!」とか、「市民の声を政治に!」と耳触りの良い言葉を羅列しているだけのことが多い。

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複雑化した現代のグローバル社会にあって、

 

政治家は、「何を(平和外交、医療、福祉、防衛、文化、教育などを充実)するか?」よりも、

 

「どのようにするか?」が大切であるにも関わらず、現在の選挙の仕組みでは、深い議論はできない。

愚かな主張でも有権者を魅了すれば、人気が出たり。

 

エネルギー問題などは、もちろん、産業や経済、組織運営にそれほど知識経験のない人材が、多数となっている。

流行をとらえ、体力の限り選挙運動で名前を連呼した人物が当選したりする。彼らの目標は、政治家になることであって、政治をすることではない。


従来、社会のリーダーとなるべき立候補者が、政治社会がどうあるべきかではなく、どう人心の波に乗るかを考えている。

 

とんでもないことである。

これまでの選挙では、多くの場合、有名な大衆迎合型の政治家が当選する。


政治家関連で愚かな事件が起きると、有権者は愕然とする。

 

しかし、立候補者が「ハーメルンの笛吹き男」か、そうでないかを確かめる機会が、全く有権者にない。

 

そして、愚かな政治家を選んだとしても、有権者らは、反省の言葉もない。(PDCAが回らない。)

現在の選挙のしくみの前には、立候補者のみならず、有権者の知識、経験、倫理性、人を見る判断力などが無意味に近い。


(選挙制度が始まった明治の頃は、政治家の経験・知識として、農漁業、製造業、商業、運輸、教育、建設、法律など、現在と比べれば、基本的な知識で十分であった。
 
しかし、現代は、外交にしても、経済との関連、産業・技術にしても複雑であり、各産業の現場や国際的実務の知識・経験が政策決定や予算化で必要となる。)
 
マスメディア(TV、ラジオ、新聞、週刊誌、インターネットなど)は、視聴率や購読者数をねらう面があり、真実を伝えるジャーナリズム本来の役割に反することもある。

そんな2次情報より、世界一の知性と倫理性を誇る日本の有権者の健全性と個々人の議論と判断に頼る方が、安心できる。
 
仮に、間違いがあっても、熟議をして目の前の人物から選んでいるのであれば、誰が誰を推したかが明らかで反省もできるだろう。
 
有権者が反省できるならば、意識の向上や制度のカイゼンも可能であろう。

(マスメディアや大きな集会より、熟議がより良い結果をもたらすのは、知識経験のある人がよく話し、質疑応答を通して参加者が、思考し、学べるからである。
 
メディアは、視聴率・売上を求め、知識レベルを低めに設定するが、熟議では、高いレベルの知識経験に集約する。)
 
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勝抜き熟議選挙では、立候補者にとっても、会議中のお茶・コーヒーと軽食くらいだから、1回の会議が1-2千円以内。会議後の飲食を入れて3-5千円だから、地域のレストランは、大張りきりでサービスするだろう。
 
熟議選挙に時間も金も出せないと考える人はどうするか?
参加しなくても良いのである。
 
選挙に必要な議論の質は、仕組みが担保しているからだ。
 
そもそも、熟議選挙は、量を求める従来の思想でなく、議論の質を求めている。
 
議論に質が担保されるなら、選ばれた人にも質が担保される可能性も高くなる。

逆に、政治、経済、国際関係、歴史、職業、医療、コミュニティ運営について学びたいと思う人たちは、積極的に熟議選挙に参加するだろう。
 
社会経験の少ない若者には、勉強になる。

そして、学びあう中で人々のネットワークが構成され、地域で犯罪さえも減じる方向に働くだろう。
 
勝抜き熟議選挙は、真剣な有権者が選ぶ選挙だから、投票率は重要ではない。

メディアは、小さな個々人の間での熟議の様子を、皆に伝える役割だ。
 
「量ではなく、質を取る。」

政治家に不本意な事件が起こると、有権者の責任だという意見も出るが、「とんでもない!」

彼ら批評家は、日本の有権者の本当のレベルの高さや熟議の威力を知らないのだ。

有権者がこの人に「ならせたい(と思う)人」が立候補しない選挙制度に問題があるのだ。
 
議論に参加していれば、有権者皆が選挙の最終結果に責任を持ち、必要に応じて行動する。

現在の選挙制度(政治)が、欧米の「トップーダウン」型であるのに対し、熟議選挙なら、日本的経営の特長である「全員参加」、「ボトムーアップ」、「カイゼン」(PDCAの活用)を起こせる。
 
政策を実行したとき、従来の「トップーダウン」だけに比べて、熟議から「ボトムーアップ」が、加わるインパクトは、絶大だろう。
 
ここでメリットをまとめる。
 
1.有権者が、課題・政策に関し理解を深め、意識が向上。
 
2.選挙人(最終選挙人候補を含む)や立候補者を通して、一人一人が希望や苦言を出す。
 
(皆が、選ばれる人材に直接、要望を託せ、精神的にも良い。)
 
3.立候補に経費がかからず、政治の透明度が改善。

4.多くのレストラン、集会所が使われる経済底上げ効果。
 
5.政策実施時、市民からの「ボトムーアップ効果」で、インパクトが大。

6.役所職員・有識者と市民との交流で行政サービスの向上。
 
7.世代間、業種間、セクター間の議論で知恵の伝承。
 
8.世代間、業種間、セクター間を超えて地域コミュニティが形成される。
 
9.立候補倍率が高くなり、誰が選ばれたとしてもリスクは低い。

10.有権者は、「なりたい人」でなく、「ならせたい人」を選ぶ。

11.宣伝巧者でなく、実務派人材が選ばれる確立が高い。
 
12.人的ネットワークが、政治、行政に全体最適を実現。政治圧力団体ではない)
 
13.定期的評価が、政治に緊張感を生む。

14.アドバイザー効果が、政治家を支える実務ネットワークになり得る。
 
15. 熟議の機会が、リーダーに謙虚さを忘れさせない。

16.その他。
 
選ばれた人物は、タフな実務派であり、日本の政治リスクを最小化させるだろう。
 
例えば、各地域の原子力発電所の建設・操業には、多くの政治家が関与してきたはずである。しかし、実務経験のある人材が、一人もいなかったように思える。
 
福島原発の事故にしても、中学校の理数科レベルの知見に加えて、リスクマネジメントの実務経験があれば、完全に防げたであろう。
 
各地域で実務派の政治家が増えれば、少ない人手・予算で多くの問題を解決できる。
 
また、参議院を勝抜き熟議方式で選べば、衆議院との相乗効果も期待できるだろう。
 
千倍以上の倍率から熟議で選ばれた集団と、これまでのように立候補倍率が1.2倍程度で、多くが世襲、宣伝・選挙巧者の集団との比較を考えればよい。

勝抜き熟議選挙は、革命的な手法ではない。

これは、従来から大組織が、経営幹部人材を昇進させるプロセスを、加速させて実施することと変わらないからだ。

また、開発途上地域で実施すれば、政治家が社会的弱者にも耳を傾ける習慣となり、テロリズムの発生要因を減じることもできよう。

詳しくは、

 

 

「勝抜き熟議選挙」の考え方は、リスクマネジメント協会(2014年次大会特別号(3月):Research Paper 「日本のリスクは、トーナメント方式の熟議選挙で減らせる。」で発表しました。)