信頼すれども期待せず | 介護のとしごろ

信頼すれども期待せず

医師、矢作直樹氏の心に響く言葉より

 

 

自由になるためには、他人に妙な期待を抱かないこと。

 

期待はときに、自分と相手の「自由度」を狭めてしまうからです。

 

 

どれほどの専門家であっても個人の能力には限界があります。

 

A氏ならこれをやれるはず、B氏はこれ以上のことをこなせるはず、細かいことをいくら個人ベースで突き詰めたところで、なかなかその通りにはなりません。

 

 

ままならない。

 

それが人間という存在です。

 

将棋やチェスの駒(こま)のように、誰もが思った通りに動くわけではありません。

 

年配者になった自分は若い頃と比べると確実に経験値が上がっています。

 

若い自分には対応できなかった状況も、場数を踏んだことで着実に対応できます。

 

 

しかし自分ができるからといって、若いスタッフに今の自分と同じレベルを求めるのは無茶な話です。

 

そこを理解できなければ「どうしてできないの?」という怒声、罵声(ばせい)が口をついて出てしまいます。

 

そこには「こんなはずじゃなかった」という強い感情が存在します。

 

そしてこれこそ、知らず知らずのうちに自分の中に芽吹いた、強いこだわりです。

 

 

「信頼すれども期待せず」

 

 

ちょっと冷たいなと感じる方もいらっしゃると思いますが、お互いの自由度を奪わないためにも、ある程度、必要な感情なのです。

 

期待しないというのは「依存しない」ということでもあります。

 

依存しないというのは、自分と相手の関係において「心の距離」をとり、その距離をただし、相手の言動にいちいち囚われないこと。

 

これは気持ちの上で「絡(から)め取られない」状態です。

 

 

私たちの人生は「距離のとり方」で左右されます。

 

日々の経験が学びとしてどう深まるか(深下するか)は、自分が交流する相手との距離をどうとるかで決まります。

 

今、個人ベースの話をしていますが、距離のとり方は、会社、町内、自治体、あるいは国家に到るまで、すべて影響します。

 

 

すべての出来事、すべての現象、すべての関係は、距離のとり方次第です。

 

この、距離のとり方を学ぶことこそ、私たち人間が、この世界に何度も輪廻転生している理由だと言われます。

 

距離をとる上で、私が実践している感情コントロールがあります。

 

 

「(何かを)してくれたら、ありがとう。してくれなくても、それが当然」

 

私自身は常にそう思っています。

 

期待しない、つまり依存しないということは、いかなる状況でもプラスマイナスゼロでいることかもしれません。

 

 

『身軽に生きる』海竜社

 

 

 

 

 

夫婦や親しい友人であっても、あまりに近づきすぎるとそこに甘えが生じる。

 

夫婦なんだから、親しい友人だから、これくらいやってくれて当然、という甘え。

 

期待度が高ければ高いほど、裏切られたときの喪失感や、がっかり度も高くなる。

 

どんなに仲がよくても、適度な距離感を伴った淡々とした付き合いがいい。

 

 

ここで言う、「期待しない」とは、相手に対する期待値を下げた自分の心の状態を言う。

 

つまり、相手に過度な期待をしないということ。

 

どんなにひどいことが起きても、期待値を下げれば、「この程度で済んで、よかった!」、「ありがたい」となる。

 

しかし、期待値が高ければ、「なんで私だけこんな目にあうの!」、「ツイてない」となる。

 

 

『あんなにしてやったのに、「のに」がつくとグチが出る』(相田みつを)

 

 

「信頼すれども期待せず」

 

「(何かを)してくれたら、ありがとう。してくれなくても、それが当然」と思えるような人でありたい。

 

 

 

「人の心に灯をともす」より

 

 

…と書かれていました。