この世に何しにきたのか | 介護のとしごろ

この世に何しにきたのか

稲盛和夫氏の心に響く言葉より…


私たち人間が生きている意味、人生の目的はどこにあるのでしょうか。

その根本的な問いかけに、私は真正面から、それは「心を高める」こと、「魂を磨く」ことにあると答えたいと思います。


欲に迷い、惑うのが、人間という生き物の性(さが)です。

放っておけば、私たちは際限なく財産や地位、名誉を欲しがり、快楽に溺れかねない存在です。

生きている限り、衣食が足りていなくてはなりませんし、不自由なく暮らしていけるだけのお金も必要です。

立身出世を望むことも生きるエネルギーとなるだけに、一概に否定すべきものでもないでしょう。


しかし、そういうものはいくらたくさん溜め込んだとしても、どれ一つとしてあの世へ持ち越すことはできません。

この世のことは、この世限りでいったん清算しなくてはならないのです。


そのような中で、たった一つだけ滅びないものがあるとすれば、それは、「魂」というものなのではないでしょうか。

死を迎えるときには、現世でつくりあげた地位も名誉も財産もすべて脱ぎ捨て、「魂」だけ携えて、新しい旅立ちをしなくてはなりません。

だから、「この世に何しにきたのか」と問われたら、私は、「生まれたときより、少しでもましな人間になる、すなわち、わずかなりとも美しく崇高な魂を持って死んでいくためだ」と答えます。


様々な苦楽を味わい、幸不幸の波に洗われながら、息絶えるその日まで、倦(う)まず弛(たゆ)まず一所懸命に生きていく。

その日々を磨砂(みがきずな)として、人間性を高め、精神を修養し、この世にやってきたときよりも少しでも高い次元の魂を持ってこの世を去っていく。

私はこのことよりほかに、人間が生きる目的はないと思うのです。


『「成功」と「失敗」の法則』致知出版社





美輪明宏氏にこんな言葉がある。

「人はいくつもの条件をクリアして、この世に生まれてくる。

たくさんの中から選ばれ、魂を磨く修行のチャンスを与えられる。

生まれてきただけで有難い」


「この世に何しにきたのか」

それは、「生まれたときより、少しでもましな人間になること」

昨日より今日、今日より明日と、魂を磨き、少しでもましな人間になること。


魂を磨くチャンスを与えられたことに感謝したい。




「人の心に灯をともす」より




…と書かれていました。




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