金曜日に知らせを受けて、土曜日のゴルフコンペをドタキャンして一家で安曇野へ。
今にも動き出しそうな安らかな寝顔とはこのことだった。
納棺
痩せて小さくなってるのに体は重く、男4人でヨイコラ持ち上げた。
白いシルクに横たわった祖母の周りに、帽子や絵などの思い出の品に扇子、草履、三角頭巾、杖などの仏教アイテムを敷き詰めて、最後に花を絶やすことなく彩った。
冷たい頬の傍に紅蘭を添えた時、ふとシンガポールまで遊びに来てくれた昔の姿を思い出した。
夜寒を取り巻く床間に仏壇を置いて親戚一同でお疲れさん会。
儀式中の自分はというと、務めを果たすにあたっての仕事モードになってたのもあり、始終冷然としていた。
あまり表情が変わらないのも、あらぬ誤解を受けかねないが、わざわざ演じるわけにもいかない。
それでも叔母同士の会話には胸が熱くなった。
普段東京にいる母Cの姉である叔母K子と、安曇野で祖母を介護してた叔母A子との会話。
叔母K子が"いつもCが楽させてもらってますありがとうございます”と頭を下げると、
叔母A子は”いいえ当たり前ですよ 近くにいるんだもの”
叔母A子は子供3人を育て乳ガンを克服しながらも祖父母の面倒を見てきた。
その無償である姿勢や母性に、我々は畳に手をつくほかなかった。
納骨
焼き場では高熱の鉄棺から箸渡しで骨を拾って最後の別れを惜しんだ。
告別式
最後のお別れに弔問客が120人を超えた。
今回は孫4人で弔辞を捧げるという形をとった。3人の女子を連れてお坊さん5人に礼をし、一人ずつ別れを惜しんだ。
ワタクシは有体の別れを言った後に、「向こうでは大好きなうなぎを鱈腹食べてください。またお墓で会いましょう。」と締めくくり、むせび泣く娘達の背中を押した。
ここでも盛大に宴会を行い、祖母の思い出話を語った。
企業、学校、町内会と人種も様々で接待しきれなかったが、料理もうまくひととおり満足して帰ってもらった。
葬儀屋さんの斉藤さん
映画おくりびとであるとおり、死体の清掃・化粧の流儀は美しさすらあり、その仕事には大変なプライドをもって臨む職人さんがいるようだ。
今回は初めから終わりまでほとんど斉藤さんという葬儀の担当のおじさんにお世話になった。
おかげでワタクシも自分でやることを探し、他の人の手を余さないよう指示を出してもらうように動けた。
短い間だったが打ち合わせしながら葬儀を完遂できたのは斉藤さんの真摯で適切な助言のおかげだった。
男女にかかわらず共にぴったりとした呼吸で仕事をし、感動を分かち合えた人ととは、たとえ短い間でも思い出深く、別れも名残が尽きないものだ。
母方の祖母
今回亡くなった父方の祖母の後、帰り道の高速で母が突然おばあちゃんに会いたいと言い出し、プラン変更で松本に立ち寄った。
介護レベル5で人の話を聞くのが精一杯の祖母に、母は何度も「元気で長生きしてね」と訴えた。
今回の葬儀を受けて、想いがあふれたんだろう。
人の命のはかなさと自分の無力さに胸が痛んだ。
快晴の中もはや庭のような中央道をスイスイ抜け、職場にカムバック。
せっかくなので尊敬するうちのボスと両親が挨拶する場面も設けた。
また49日で帰ります





