小安峡温泉を後にして、山形の上の山温泉に向かった。
どうしても上の山温泉の「古窯」にもう一度泊まりたいと言う母からの強いリクエストがあり、ここに泊まる事にしていた。
母は道中、小安峡で泊まった旅館に飲み物の自動販売機が無かった事から「あんな安っぽい旅館は初めて。」と何度となく繰り返した。
これまで良い旅館ばかり泊まってきたのだ。
湯沢から上の山温泉まで行く途中、新庄市を通るが、この街は私の産みの「母」が生まれた所と聞いていた。
一度、その「母」の実家に行ったことを微かに覚えている。
田んぼに囲まれた家で、「母」の兄弟など多くの家族がいた。夜には近くの神社で花火をした。「母」のお兄さんが警察官だと言っていた。
私は車を走らせながら「母」の実家が見えないか、遠くの田園風景に目を配った。確か、国道から左に少し入った所だった。
結局、それらしき家は見つけられなかったが、遠くの山の麓まで続く田園風景を見ながら、私はなんとなく「母」に会えた様な気がした。
(確か、こんな所だった)
それは断片的に自分の記憶と重なる部分が多かったからだ。田圃の畦道、神社の鳥居や本殿に上がる石の階段、あの時の風景が残照の様に今見ている景色とダブった。
その後、山形市の手前のドライブインで昼食を摂り、さくらんぼ直売所でさくらんぼを購入、午後4時頃に上の山温泉まで数キロの所まで来た。
その時、突然、空が暗くなり雷が鳴り出した。
「これは旅館に着くまでに降ってくるかもね。」(私)
「これから何処に行くのよ。俺は急いで家に帰るぞ!」(父)
それまで平穏だった車内にも不穏な空気が流れ始めた。
「温泉にもう一泊して帰るって言ってたじゃない。」(母)
「俺はそんな事、聞いてねえよ。家に帰らないと困る!」(父)
「朝から何度も上の山温泉に泊まってから帰ると言ってたでしょ。」(母)
「俺は家に帰らないとならないから、今すぐここで下せ!タクシーで帰る!」(父)
父の剣幕に合わせるかのように、いよいよ大粒の雨が降り出し、雷が鳴った。
「今日家に帰れないと困るんだ!すぐ降ろせ!」(父)
父は何度も繰り返して言った。
しばらく私と母は聞こえない振りをしていたが、私はいよいよ耐えきれなくなった。
「いい加減にしろ!帰りたいなら一人で帰れ!」(私)
思いっきり車のサイドボードを叩いて言った。父は急に何も言わなくなった。
(言い過ぎたかな)
10分ぐらいで「古窯」に着くと既に雨は小降りになっていた。
両親をエントランス前で降ろすと、駐車場まで車を回し、私は遅れてレセプションに言った。
そこにはいつの間にか表情が穏やかになった父と母がいた。
「仕事の休みを取ってここまで連れて来てくれたんだよ、こんな良い息子はいないじゃない、ってお父さんに話していたの。」(母)
その後、父と母は終始笑顔だった。父は夕食時も前日と同様に好きなビールを飲みながら、ご機嫌な様子だった。
翌朝、朝食を済ますと「古窯」を出発、昼頃には実家に戻った。
「これから、お父さんと暮らしていける?」(私)
「お父さんは病気なんだと思って、病人に接するように優しくしてあげるよ。そうすれば大丈夫だよ。」(母)
私は安心して実家を後にした。