父が自ら警察署へ行った後、私は父の様子を確認する為に毎日実家に電話を入れた。父が電話に出る事は無く、決まって母が電話に出た。


「今日はお父さんは大丈夫?」(私)


「大丈夫。今は庭いじりをしている。」(母)


「それは良かった。」(私)


「だけど、最近、長野の家へ行きたい、としょっちゅう言っていて。また下手な事を言うと怒り出すから聞き流しているけどね。」(母)


「この間、長野の家へ来るのはこれが最後だとあれだけ言ったのにね。」(私)


「このままだと、そのうちまた怒り出して手に付けられなくなるかもしれない。」(母)


「もう一度、連れて行って自分から言い聞かせないといけないかな。」(私)


父が長野の家を売る事を納得していないのだと思った私はもう一度、長野の家に連れて行くことにした。そして早速、飼い主の不動産業者に電話した。


「鍵をお渡しした後で大変申し訳無いのですが、父がどうしてももう一度家を見たいと言っていまして、鍵をお借り出来ませんでしょうか?」(私)


契約上では5月末が引き渡し日になっているので問題無いはずだが、ゴールデンウィークに既に業者に鍵を渡していた。


「良いですよ。気が済むまで何度でもいらっしゃって下さい。」(不動産業者)


不動産業者は快く応じてくれた。


2023年5月20日(土)、千葉の自宅を朝5時に出て6時過ぎにさいたま市の実家に着き、父を車に乗せた。


今回は母は体調が良くなく、留守番。私と父だけで長野の家に向かった。


長野の家に着いたのは10時半頃だったろうか。到着すると父はいつも通り、庭の草むしりを始めた。


ゴールデンウィークに草をむしったばかりなので、殆ど草は残っていないのだが、父は無言で草をむしり続けた。そして、私もその光景を黙って見つめていた。


高台にある家の庭の先には南アルプスの峰々が美しく連なり、過ぎゆく時を忘れさせた。


(これで良かったんだろうか?)


ふと我に帰ると、もう正午に近かった。


「お父さん、庭は綺麗になった?駐車場にある道具も持って帰りたいものがあれば、車に積んでね。」


父は駐車場の中に大きな棚を作って、多くの大工道具をそこに置いていた。


「何もねえ。」


「本当に何にも無いんだね。ここに来るのは最後なんだよ。」


父は聞いているのか聞いていないのか、あるいは聞こえて無いのか、はっきりとした返事は無かった。


程なくして父が庭の掃除を終えて家に上がって来た。


「お父さん、最後に写真を撮ってあげるよ。こんな大きな家を持っていたんだ、と言う事を残す為にもね。」


バブルの頃にお金を気にせずに建てた大きな家なので、玄関だけでも一部屋分ぐらいあった。その玄関をバックに父の写真を撮ってあげた。


父を車に乗せて最後にもう一度、その家を振り返った。


「お父さん、これで本当に最後だからね。」


やはり、父は何も言わなかった。


父と2人のドライブは気が楽だった。と言うのも、車に乗っている間、父は流れる景色を見ながら何か呟く事はあっても、殆ど何も話さなかったからだ。


日が暮れる頃にはさいたまの実家に着き、父を下ろして千葉の自宅に着いたのは夜8時になっていた。


(これで父も落ち着くだろうか?)


私は、これで落ち着くと信じるしか無かった。