一日一生。
最近、ふと生命について考える事が多くなりました。
法事でお寺やお墓参りに行ったりする機会があると
自然と考えてしまいますよね。
母方の近い肉親には若くして亡くなった人が多く
祖父は58歳、祖母は32歳、母のすぐ下の妹にあたる叔母は42歳。
会う事ができなかった祖母の年齢はとうに越えて
いつの間にか叔母にだんだん近づいているので
いつまで生きられるのかな、とか
変な話、はぴをちゃんと送るのは私の役目なので
それまでは何事もありませんように、とかそんな事から始まって...。
魂は永遠であると想っていますが、肉体は有限。
どんなに医療や科学が発達して
歳を重ねても健康で若々しくある事は可能となっても
当たり前ですがいつかは肉体がなくなる日が来るのです。
毎日、その日その日を大切に生きるって案外難しい。
私はすぐだらだらしちゃうので、無駄に過ごしてばかりいるかも。
長い人生の中では立ち止まって考えたり、
そういう時間が必要な時ももちろんあるのでしょうけれど
日々を楽しく、一生懸命生きれているかな?とふと省みた時に
私はまだまだ全然できていないなぁ、と。
一日一生。
毎日を新しい気持ちで、その日その日を悔いのないように生きる。
一日たった24時間でも、悔いなく生きる事は難しく、
何か失敗したり、心に引っ掛かる事があると翌日まで持ち越して
大切な新しい一日がネガティブな気分でスタートしてしまう
そんな勿体ない事も多々あります。
でも、すぐにいっぱいいっぱいになってしまう私にも
まだまだのりしろがあるはず。
何が言いたいのかよく分からないけれど
長い短いといった時間の尺度ではなく、
満足の行く一生を送りたいなと思うようになりました。
...歳ですかね(笑)
法事でお寺やお墓参りに行ったりする機会があると
自然と考えてしまいますよね。
母方の近い肉親には若くして亡くなった人が多く
祖父は58歳、祖母は32歳、母のすぐ下の妹にあたる叔母は42歳。
会う事ができなかった祖母の年齢はとうに越えて
いつの間にか叔母にだんだん近づいているので
いつまで生きられるのかな、とか
変な話、はぴをちゃんと送るのは私の役目なので
それまでは何事もありませんように、とかそんな事から始まって...。
魂は永遠であると想っていますが、肉体は有限。
どんなに医療や科学が発達して
歳を重ねても健康で若々しくある事は可能となっても
当たり前ですがいつかは肉体がなくなる日が来るのです。
毎日、その日その日を大切に生きるって案外難しい。
私はすぐだらだらしちゃうので、無駄に過ごしてばかりいるかも。
長い人生の中では立ち止まって考えたり、
そういう時間が必要な時ももちろんあるのでしょうけれど
日々を楽しく、一生懸命生きれているかな?とふと省みた時に
私はまだまだ全然できていないなぁ、と。
一日一生。
毎日を新しい気持ちで、その日その日を悔いのないように生きる。
一日たった24時間でも、悔いなく生きる事は難しく、
何か失敗したり、心に引っ掛かる事があると翌日まで持ち越して
大切な新しい一日がネガティブな気分でスタートしてしまう
そんな勿体ない事も多々あります。
でも、すぐにいっぱいいっぱいになってしまう私にも
まだまだのりしろがあるはず。
何が言いたいのかよく分からないけれど
長い短いといった時間の尺度ではなく、
満足の行く一生を送りたいなと思うようになりました。
...歳ですかね(笑)