心配していたレンタカーも、
無事オートマ車が手配されてて一安心。
今回は、お初の小型アウデ車。
最初、運転席の前方向へのスライドのさせかたがわからず、
足がつりそうな状態のまま、
20分ほど運転せざるをえなかったけど、
それもクリアできたら
すこぶる走りやすい。
いろいろなイタリア花子と出会うための大切な足になってくれてる。
さて、今日の午後は、ラ・フォーチェ(地域)のガーデンを訪れることにしている。
ここに行くことにした決め手は、
まずイタリアの庭園サイトで、トスカーナ地方では口コミで一番評価が高かったから。
また、庭園自体の素晴らしさに加え、
庭園から見渡せる世界遺産のオルチャ渓谷が見渡せるロケーションだということ、
そして、偶然にも毎週水曜日にしか一般開放していないのだけれど、
たまたま水曜日に、近くに宿泊予約していたこと。
というわけで、呼び寄せられたように訪れることに・・・。
(la foce のHPより)
3500エーカー(1423万㎡)もあるこの敷地一帯には、
庭園だけでなく、森林、お城のような宿泊用ビラ、地産地消のレストランもあり、
オリーブ畑も拡がるため、オリジナルのオリーブオイルの生産・販売も手がけている。
かつては経済力のある貴族の所有物で、
今もその末裔が継承されているのだろうなと思いきや、
調べてみたらちょっと違っていた。
熱意と努力でできあがった農場や畑、庭園だったことがわかりびっくり。
ラ・フォ-チェのヴィラ(建物)は、
15世紀後半、ローマを行き来する巡礼者や商人のためのホステルとして建てられたもの。
1924年に、現オーナーの両親であるアイルランド系アメリカ人アイリスオリゴ(有名な作家らしい)と
イタリア人夫アントニオが、この建物はじめ、地域一帯を手に入れた。
当時は寒い冬と乾燥した夏の風といった気候条件のため、
貧しく荒れた土地がただ拡がっているだけだったそう。
そこから、彼女たちは、その荒れた土地や地域農民たちに、
繁栄と文化的・社会的変化をもたらしたくて、
努力を重ね開墾していったのだという。
そして10年かけて、森林、麦畑、オリーブ畑、ブドウ畑や貯水池をつくり、
肥沃な渓谷につくりかえっていったというのだから驚いてしまった。
オリゴは有名な作家だったそうだけど、
新しい社会を作り出すこのラ・フォーチェ地区活性の仕事こそが真の情熱だったらしい。
庭園は、オリゴ夫妻が、イギリスの有名なガーデナー、セシルピンセントに依頼し、
1924~1939年の間に徐々にととのえられていくことに。
植栽自体はオリゴがいろいろ調べて手がけたようだ。
建物も立派に復元され、バカンスを楽しむ人たちにも提供され、
素晴らしい理想郷が、この地につくられたのだ。
すごい!
第二次世界大戦でドイツ軍に略奪されてしまう悲しい時期もあったようだけど、
今はオリゴの娘であるヴェネデッタさんがしっかり管理されている(予約時にメールやりとりした)ので、
無事に取り戻し、今に至っていることがわかり、ホッとした。
敷地の外には、開墾時、地域農民が仕事の後で飲んだり食べたりできる
クラブハウス「ドポラボーロ」(仕事のあとでの意)を作ったそうだけど、
今もトラットリアとして、同名の食堂が残っている。
地産地消の美味しい食材を使っているようだから、時間があればぜひ立ち寄りたい。
![ベランダ花子たちとの12ヶ月-dopolavoro](https://stat.ameba.jp/user_images/20130913/16/acqua-tantifiori/aa/47/j/o0800036112682137659.jpg?caw=800)
(dopolavoroのHPより)
ラ・フォーチェのHPには画像だけで詳しい過去の情報が載っていなかったけど、
(その奥ゆかしさもすばらしい!)
ガーデン訪問の前に、いろいろ調べてよかった。
オリゴの思いを感じながら、見てこよう・・・。
いつも遊びにきていただき、ありがとうございます
旅行中は皆さんのブログに行けませんが、戻ってきてからお邪魔しまーす!
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