じょんの悲しいあの日から1ヶ月がたちました。

じょんを理解したくていろんな事をあえて深く考えようとしたり、少し落ち着いたかなーと思ったり、どん底に落ちたり。。
ただただじょんを想ってひたすら過ごしてきた1ヶ月。

心と頭の体感的にはもっと経ってるような気がする。


ゆっくり眠れているのかな。

おなかがすくことはないかな。

メンバーのことが恋しくなってないかな。


たまにフラッシュバックのようにあの日の暗さや寒さを思い出すときがあるのですが、苦しくなるのであえて振り返っていません。今は「あのときはどうだったんだろう」「あの数日どんな気持ちだったんだろう」なんてことは考えないようにしています。


それが自分を守るための策というか。
落ちているときと穏やかでいられるときの自分の感情の振り幅がものすごくて。同じ人間の考えることかと思うくらい。

落ちているときはひたすら自分の殻に閉じこもって正解の出ない自問自答ばかりして余裕がなくなって。

↑こんなことも穏やかなときは考えられるから向き合い方を自分で学んでいくのかな。


まだほんとは韓国で作詞なんかしてルゥと遊んで元気にしてるような感覚でもあるけど

もう、痛いこと、悲しいこと、苦しいことがじょんには起こらないからよかったなと安心している自分もいます。


自分がどん底で余裕がないとき、SNS(特にツイ)で前向きなつぶやきを見ると、「あぁそうか」と少し気持ちが楽な方向になっていくこともあれば、「自分だけウジウジして取り残される」と焦ることもあります。

逆に、自分が穏やかに過ごせているとき、ツイでまだ苦しんでいるつぶやきを見ると「あぁ、そうだ」と気持ちが落ちていったり、「穏やかになっている自分はそんなに想っていないんだろうか」と思うことがあります。

特に私は泣けないので、「涙が止まらない」といった言葉を見ると「こんなに悲しいのに泣けない私の気持ちはその程度なんだろうか」と考えてしまうこともしばしばで。(これに関しては「涙は感情表現のひとつであって思いの深さを測るものではない」と言ってくださった方がいてとても救われたのですが)

同じように私のつぶやきやこのブログを見て誰かを傷つけているかもしれないと思うとこわいです。


「人それぞれ」ほんとに難しいですね。

年始の目標で「比べない」と言ったのに私は比べてばかりです。
でもそれも今は仕方ないかなーと自分を甘やかしてみたり。


じょんの楽器みたいな多彩な歌声が聴きたいな。


屈託のない笑顔が見たいな。


メンバーとのわちゃわちゃや、独特なイントネーションの日本語が聞きたいな。



会いたいなぁ。大好きだよ。

☆画像お借りしました☆