今の事態、個人的には、悪いことのようには思えない。その逆なのです。

やっとここまできたか、おめでとう、と、そんな気持ちでいるのです。

 

亡くなった方や今も闘病されている方が多くいらっしゃるのは承知しています。

志村さん、岡江さん、がこの世を去られて、わたし自身、とても痛みを感じています。

贔屓にしている飲食店が、並々ならぬ思いをしておられるのをわかっていても、力及ばず大変辛いです。

医療従事されているご近所の方にも、声をお掛けするくらいしかできなくて歯がゆい思いをしています。

自分自身、かかったら危険な年であることも承知しています。

三密、ソーシャルディスタンスにも気をつけて、ほとんどの時間を人と接しないで過ごしています。

 

それでもやっぱり、正直言いますと、楽しい気持ちが隠しきれません。

それについては、今はそういうことを言ってはいけないだろうというご意見もいただきました。

 

けれどやっぱり、本当にごめんなさい、楽しいです。わたし自身の現在は。

 

吉本ばななさんのお友達に、ちほちゃんという方がいらして、わたしはその方の言葉に助けられたことがあります。死の床にある人の看病に当たる際の心構えのような内容でした。

「自分の楽しいことをやめない」

「暗いものにのみこまれない」

「人の作ってくれた美味しいものを食べる」

そんなようなことが書かれていたと思います。言葉遣いや内容が間違っていたらごめんなさい。

「ちほちゃんの言葉」で、ググったら出てくると思います。

夫が死ぬとわかっていて、看病していた日々の絶望感から、その言葉は救ってくれました。

 

今の世の中は「ある程度の人が亡くなりゆくのを避けられない状況」です。

「家族が死ぬとわかっている状況」と似ている気がします。

 

 

 

なぜ楽しいのかついて。

 

これまで生きてきた人生において、理不尽に感じていたことや、疑問に思っていたけれども、世の中はそういうもんだから仕方がないのよ、となだめられて、無理やり納得させられていた、数かぎりないこと。

 

それら全てひっくり返るんじゃないか?

気持ちのいい本当のあり方に変わる(戻る)んじゃないか?

っていう気がしているからです。

まさに今。

 

 

《理不尽や疑問》

●なぜ学校に決まった時間にみんなが行って、同じ時間に同じことを教え込まれるのか。

●一人一人性格も体格も得意なことも興味も全く違うのに、1つの基準で比べられ、数字で優劣をつけられるのか。

●お金を稼げないお父さんは、なぜお母さんに怒られるのか。

●学級名簿のお父さんの欄に名前がないと、どうして先生に劣等生にちがいないと思われてしまうのか。

●編み物が楽しくて、いつまでも編んでいたいし、インテリアに興味があってワクワクするから学びたいのに、どうして有名大学の興味のない学科に進学しなさいと言われるのか。

●公務員か大企業の社員になるか、あるいは公務員か大企業の社員と結婚する以外は、少し軽蔑されるのはなぜなのか。

●お見合いするときは、親の肩書きと家柄と大学名で自分の価値が判断されるのはなぜなのか。

●ローンを借りるとき、自由業にも関わらず家賃の滞納もせず借金もした経歴もなく成功している実績は微塵も評価されず、所属企業と過去2年の収入だけを見て銀行が判断するのはなぜなのか。

●そもそも土地は人間の持ち物ではなく地球は生きとし生けるものすべての共有財産のはずなのに、人間がお金で買って所有するって間違ってるじゃないか。

●普通の店で普通に売っている洗剤やシャンプー食品に、体に毒なものがてんこ盛り入っているのはどうしてなのか。(わたしはアレルギー体質なのでそれらのものを体が受け付けない。したがって体内に蓄積しない。でも、アレルギーの出ない人は体に蓄積されてしまう危険性が懸念される)

 

 

すべてわたしの人生に起きた実際のことですが、もっともっと、まだまだあります。

不可思議で「絶対おかしいやろ」って心の底から思ってきたことが。

 

 

疑問に対する答えはたった1つです。

お金が最も重要な基準だったからです。

それはわかっていました。

わかっていたけれど、誰にもどうすることもできなかった。

 

 

今、子供たちは学校に行ってません。

少なくともみんな同じ時間に学校に行って、同じことを同時に教え込まれるという苦痛からは、少しは解放されているはずです。オンライン授業を受けていたとしても。

 

スーパーに行くと三密が避けられないので、わたしは個人商店にしか行かなくなりました。またはオーガニック系通販です。

 

そのような考えの人がもし増えているとしたら、大量生産品は、今後、減っていくでしょう。薄利多売、効率重視、利益追及という商品が売れなくなれば、本当に品質の良いものしか売れなくなりますよね。

 

在宅勤務によって通勤から解放され、人間関係に悩んだり、通勤ラッシュに苦しんだり、窮屈な服を着なくても良くなり、子供達も、大人と過ごせる、安心で愛情のある時間をもててるようですね。

 

子供と一緒に過ごす時間が急に増えて、アップアップしている親御さんもあると聞きますが、まだ慣れていないだけで、そのうちお互いの距離感もわかってくるんじゃないでしょうか。

 

うちの近所では、家の前でキャッチボールをしたり、バドミントンをしている親子をよく見かけるようになりました。

以前は見なかった景色です。とても新鮮で、そして幸せな気持ちになります。

 


 

この半世紀あまりを振り返ると、歴史で習ったことないくらい、すごいスピードで文明が進んでいきましたね。この目で見てきた身として、どう考えても驚きでしかありません。

電話がダイヤル式の呼び出し(近所に借りに行く)から、1人ずつスマホを持つようになって、それが人生のほとんどを担う!!までになった。こんなことが起きる時代って、過去に聞いたことがないのですよ。良いことも、悪いことも、すごいスピードで進みました。

 

その早すぎる変化の末、ついに、2020年、こんなことになったのは、まるで映画のクライマックスを見るような気がするのです。

 

わたし自身、生まれてから今までずっと、モヤモヤしつつも生きてきたすべての時間は、2020年以降のための前振りだったんじゃないかと感じているのです。

 

これだったのか。わたしが見にきたものは!!

 

と、魂が歓喜の声をあげているんですよ。それが「楽しい」理由です。

 

 

 

 

そんなことを言うと、やっぱり、苦しんでいる人や、亡くなった人の手前、そう言うことは口にすべきじゃないって言われちゃうかもしれない。(繰り返しになってますが)

 

それについても書いておきましょう。

 

 

 

 

死ぬのってね、不幸じゃないです。

夫が死んだ時、悲しくて、苦しくて、怖くて、すごく辛かったけれど、不幸じゃなかったです。

 

その頃、くるりをよく聴いていたのですよ。

 

高速道路の長いトンネルを、くぐっている時でした。トンネルのライトが、規則的に視界に流れていくのを見ている時、「ばらの花」のイントロが流れてきたんです。その瞬間

 

「ああ、新しい世界が始まった」

 

って、はっきりと感じたんです。世界が変わった瞬間でした。身体中がジーンとしました。

 

 

そのあと「バースデイ」っていう曲がかかったんです。

「新しい世界を迎えることになる」

って、歌っていたんです。

誰からかわからないけど、メッセージみたいなものだったと思います。2012年の出来事でした。

 

そしていま、2020年、同じことが、全人類の規模で起きているのではないのかと、

そんな風に思えてならないのです。