亡きデヴィッドボウイの曲にですね

チェンジズというアナログ音源で聴くと、ほんっとに素晴らしい曲がありまして…

生きることに息詰まってた頃に助けてもらったのも彼でした

私は当時十代の頃、自然好きな文学ロッカー女だったんですね。(本自体は全く読まないが)

すべてが嫌になってしまっていて
音楽だけが、自然だけが、すべてみたいな生活を繰り返し繰り返ししてました。

それまでの
人生にほとんど苦悩しかなくて
自分に楽しいことが似合わなすぎて
楽しいことが嫌いで
遊びの誘いもほとんど断っていて
不幸な殻にずっと閉じ籠っていたい…


そんな感じだったと
チープに云えば悲劇のヒロインのまま
人生終わりたかったんだと思います。

幸せには心底なりたくても
チープな楽しさには全く興味なくて。


しかし人間ふしぎなもので
同じくらいの苦悩を背負った人が現れたりすると、心の底から、救われたりします。

まぁ自分にはそれがデヴィッドボウイだったりしました。

私は小さい頃から周りとは色々変わっ
ていたので、虐めが幼稚園児の頃から10年近く四六時中ありました。

これはほぼ親のせいでもあり
自分の見た目のせいでもあり…





デヴィッドボウイって若い頃から片目の瞳孔が開きっぱなしで、片目はほとんど見えてないって知ってました?

彼の眼をアップで見るとよく分かります。

片眼は普通のブルーで、片眼は瞳孔が開きっぱなしなので、リーンに見えたりします。

そして
人間健常者でないと、オリジナルの特化したものが身に着いたりもします。


彼の場合、世界を見る眼が片方だけなので、やっぱり物事を受け入れる情報も表現するものも特種だったりします


脚の不自由がある人は上半身に何らかの特化した能力が備わるように…
そんなものです。


話を戻しますが

私は何年もチープな楽しさを受け入れられなかったんですが、様々な人との出逢い、付き合いを繰り返して、チープな楽しさを、ただ平坦な楽しいこととして受け入れられるようにはなりました。


また西尾維新さんの化物語シリーズの
物語では、そんな私のような、不幸にどっぷり浸かっている人間に対するメッセージがふんだんに練り込まれていて

とにもかくにも私にとっての
西尾維新はデヴィッドボウイのようなお方でもあり、化物語シリーズすべてのテーマが私には手にとるように理解できたりしています


化物語シリーズは私にとって聖書

バイブルです。


それとはまた違った作品で
高屋奈月さんという方が執筆されている「フルーツバスケット」という名作があります(漫画)

これはこれは…また素敵すぎる作品で

色々苦労をしてきたのだろう著者しか描けなかった世界がそこにはあり

人間について、的を得ているコトばかりをヒロインは口にします。


それはまた、今度書こうかな……


あー…、

しかし

いい湯だなぁ(๑¯ω¯๑)。。。

と湯船に浸かってる写メはさすがに
女の反感を買うのでやめとこうかな…






(´・_・`)…

ざんねんむねんなあたしであった。。