私は不思議と後悔はしない

なので多分に
他人の事情を読み取るように
やさしく接してあげられない

私はいくらか偽善を繰り返し
他人に甘えたいのである

そして世界一不幸だと決して思わない

私は他人に優しくしてほしいが

その重さはどうでもいい。

重ければ関係は深まるが、また
それだけ憎しみも一潮なのだ

軽い情けなら
その後も憎しみは生まれない

人は情で生きる動物だ。

いくらドライに生きようとも
ドライなだけ内面は暖かみを増す

何事もバランスだ。

そしてこのように
何かに囚われて何かを書いているだけ

意地も固くなる

だからこそ
‥‥物書きは恐ろしく頑固だ

頑固な生き方は他人を寄せ付けない

私は頑固であり続ける事を嫌う為
今や何を書いていても
クルクル変わる空のやうに
あやふやだ

【他人に歩み寄る】生き方を望むと

頑固は消える。

しかし同時に
自分が何者であるかも
分からなくなってしまう。。。

人の親になるのなら
子の為に生きて
頑固は棄てるのが親になると言うもの

家族を持つと言うことは
得てしてそういうものだし

頑固を棄てきれない親は
家庭を持つ資格もない。

親はどんな場面でも
【柔軟でなければならない】

人の為に生きるということは

そういう事なのだ。