ALWAYS 三丁目の夕日 | せからしか!

ALWAYS 三丁目の夕日

やっとレンタルできました。



バップ
ALWAYS 三丁目の夕日

  (いや、どうせなら買って観ろよ!)


いや、残念。この間の日曜日。


欲求不満になった坊ちゃん達をつれて県庁所在地の松山市のジャスコまで行ってきただよ。


昼飯に一杯やりたかったので「おら、生ビールな。」


嫁さん「いいよ、そのかわり昼御飯はお父さんのおごりね。」


僕「あほ、はじめっからそのつもりたい!」(いや、実際はこんな訛りじゃないっす。愛媛ですたい)


姉ちゃん(長女)が同行してなかったとはいえ、家族5人です。結構な出費。


その後で、ジャスコのDVD売り場で「ALWAIS三丁目の夕日」を発見。


「う・あああああああ~!  こ、これ!」


嫁さん「ん?お父さん買えば?」





お、お前たちに昼飯をおごってなければなあ。  ← せこい親父。


「いい、帰りにツタヤ寄って、あれば借りる。」


当然、全部レンタル中。残念。



昨日になって、違うDVD返しに行った嫁さんがタイミングよく借りてきました。


この映画の時代背景は昭和33年。35年生まれの僕よりは以前の物語ですが、田舎育ちの僕の少年時代とそんなに変わらない環境ですじゃ。


僕も幼少のおり、あのミゼットとおぼしきちいさな三輪車に母方の祖父に乗せてもらったことがあるもんね。しかも、それで、香川県は財田川の水の上を走行した思い出があります。(母の田舎は香川県)


「10円やるから、どっか行って遊んでこい!」(映画の中で)


長男が「え!10円?」


僕「あほう!お父さんら昭和40年前半の小学校時代、遠足のおやつは50円までやったんや!この時代の10円ゆうたら値打ちが違う!あの頃はアイスキャンデーが5円で買えたんや!」


今、思い出した。駄菓子屋で2円出せば、あられのお菓子が一袋買えたなあ。


そこらに落ちてる電柱工事後の真鍮(しんちゅう)やら、銅線・アルミ缶なんか拾い集めてくず鉄屋さんに持って行ったら、5円や、10円で買い取ってもらえたんや。(重さでね。あ、勘違いしないように。当時ジュースのアルミ缶などの自動販売機も無く、ヘアースプレーなどのアルミ缶のガスを抜いちゃあ集めてたのよね。なぜか、海岸に一杯うちあげられててね。当時は日本人みんなゴミは海へ捨てれば自然に無くなると思ってたみたい・・・ あ、今もそうか!)


その5円、10円持って友達数人で駄菓子屋に行って、2円や5円のお菓子買って食べてた記憶がある。(というか、僕はそういう友達におごってもらってた立場だったかな?自身はそんなにたくましくなかったな、確か。)


だから、この映画の時代の映像観るだけで涙ぽろぽろです。


我が家に初めて白黒テレビがやってきたのは小学校二年か三年の時。


それまでは、教員をしてた親父が宿直(昔はこういう制度があったのよね)の日が土曜日の夜の時に僕を呼び、親父といっしょに出前のチャンポンを食べながら「黄金バット」(アニメです。)を小学校の宿所室のテレビで観るのがむちゃくちゃな幸せだったなあ。当然、いっしょに翌朝まで親父といっしょに宿直です。


テレビを観れるだけで幸せだった。しかし、田舎だったのでテレビのチャンネルが限られていてジャイアント馬場やアントニオ猪木とかいうプロレスラーはこちらの放送では観る事ができなかったなあ。昔は。


「タイガーマスク」のアニメは観てたけども、ジャイアント馬場は観た事がないというこのギャップ。


僕らの観てたのは、ストロング小林(後のストロング金剛)・グレート草津あたりですねえ。


おおっと!むちゃくちゃ話がスリップしはじめました。


話変わりついでに、四国。特に愛媛の方は、西予市宇和町の愛媛県歴史文化博物館 」に行けば昭和の街かどの雰囲気を味わうことができます。(いや、別に県の回し者ではありませんが、結構面白いです。クリックもしてみてね。)特に、駄菓子屋さんの展示などは映画とダブってますよ。昭和30~40年代の再現だから当たり前ですか。


ま、嫁さんにも、「お父さん泣くで~!」


自分でも泣くだろうなと判っていながら、安心して泣きながら最後まで観て、ほっとしながら涙をぬぐう。


本当にいい映画でした。


ただ、一つだけ・・・・・・



吉岡秀隆は、いい役者だねえ。しかし、実際にはたいした人間じゃないんだろうね~。


オレの友達。彼と内田有紀と結婚した時、本気で怒ってたぞ。


離婚した時に喜んだかどうかは未確認ですが。


ま、余計なお世話と言うやつですね。


だからと言って、この映画の値打ちが下がる訳ではございません。