ずっと何を書いたらいいのかわからずそのままにしていましたが…
久々の投稿。
ある意味備忘録的に
活動名[copia コピア]について
copiaはラテン語: Cornū Cōpiae からきています。
コピーの語源、豊饒の角、アマルテイアの角、収穫の円錐とも呼ばれ、
サビアンシンボルにも出てきます。
豊饒の方に目が生きがちですが、
copiaにした理由は[コピー/複写]のほうでした。
そうなっている自分にアクセスする。
それをコピーする。
自分がそうなりたければ、そうなっていく。
体験はフィルター。
そこに出ているものを見て、体験しているだけ。
誰の前でもリラックスできる。
高い視点に立って生きる
自分軸でぶれることなく、感じたことを発信。
その位置で生きる自分でグランディングが起きる。
周りに関係なく、本当の自分でいきられる。
"本当の自分"?
それは、見たことのない領域。
「やりたくないこと」として映し出されたものは?
どう扱う?
目覚めるためにしか現実は起こしていない。
"判断"した行動ではない。
つながった「音」を出す。
「音」が現実をつくる。
気が付くと、高くなった相手と出会っている。
自分が目覚めるために、自分が起こした現実。
その人に合わせなくていい。
何を言っているのか入らなくてもいい。
「ここ」でリラックスして感じる。
その人が話し終えた時に自分がその時感じたことを表現する。
誰かがいったことへの答えを言うのではなく、
自分はこんな風に見えると話すことができる。
相手に意識がいっている時は
自分が何を感じているかを感じることができない。
すっかり忘れても、私は私でいいんだを思い出し、
そのリラックスしたままの波動の音で
自分を表現・発言。
それが体験する現実を満たす。
長くなりそうなので、続きはまた…
いつも絶え間なく導きを与えてくれる宇宙に、
大いなる存在に、ありとあらゆるものに
心からの感謝を