みなさまおはようございます。

今日はツアー出発91日前!91と言えば・・・・そうです。ツアー開催地フィンランドが生んだ世界的な作曲家

ジャン・シベリウスが生きた人生の時間です。91年と286日の長きにわたったシベリウスの人生は、どのようなものだったのでしょう。



→1890年頃のシベリウス



1865年12月8日に生まれたシベリウスの両親はスウェーデン系フィンランド人。そのためシベリウスの母語はスウェーデン語なのです。

日記もスウェーデン語で書いていますよ。わずか2歳の時に医者であった父親を亡くしました。その後は母方の親戚に身を寄せる等、

若い頃は苦労もあったのです。10歳頃にフィンランド語系の学校に入ったのでそこからフィンランド語の勉強も始まっています。

大人になってもフィンランド語にはコンプレックスがあったそうです。

音楽の話は?・・・そうです。幼いころから音楽が周りにある環境でした。まずピアノを習い、そして10歳を過ぎてヴァイオリンを習いました。

でも幼いころからヴァイオリンを片手に外を歩き回り自由に奏でる少年だったそうです。今でいう、「イケメン」の若い頃、ヴァイオリニストになる夢をもって学校で勉強しましたが、生来のあがり症。残念ながら演奏家としての道は閉ざされました。ウィーンフィルの入団試験も受けています!(こんな偉大な作品を残してくれているシベリウス。もし受かっていたらこのような作品は世になかった…と思うと、入団しなくてよかった!と呟いた方いませんか?)

1892年のクッレルヴォの大成功で一気にフィンランドを代表する作曲家として国民の期待を受けるようになったシベリウス青年。

(あ!ファーストネームの”ジャン”は、フィンランド語ではありません。これは船乗りの叔父さんが自分の名刺にお洒落にフランス風に”ジャン”

と書いているのに刺激をうけて、ペンネームとしてつけたものです。本名は ヨハン・クリスチャン・ユリウス・シベリウスです。)



→妹、弟と共に




丁度この頃美しいアイノさんと夫婦になってからは、この奥さんなくしてはシベリウスの作曲人生はなかった!というほど賢妻のアイノさんの力は大きかったのです。



→賢妻アイノ(1871〜1969)



後編へ続く

後編はまた後日…。



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