長年、モラハラ加害者からの執拗な攻撃を受けていたら、思考のほぼ全てが働かなくなる。
ただひたすら今目の前で起きている攻撃と喧騒の対処にしか思考を使えなくなるのだ。
例えるなら、今まさに家が崩れ落ちそうになっている時に、「洗濯物を畳んでおかなければモラハラ加害者に怒られる!」みたいなことだ。
子どもを抱えて外に逃げ出す、という普通を選択できない。
選択というより、その選択肢すら浮かばない。
無事助かったとしても、全て崩れ落ちた家を眺めて
「なぜ私はあの時逃げなかったのか」と悔やむ。
この現象がモラハラ環境で起きている。
この現象こそがモラハラだと言ってもいい。
被害に遭ったことが無い人にはにわかにはその思考の働かなさを理解することはできないだろうが、今でこそこんな風に文章でモラハラという現象を饒舌に説明できるのに、私は当時完全に思考能力を失くしていた。
モラハラ加害者の帰宅が近付くと、焦りから子どもたちを無意味に急かし、今日は穏やかに過ごせるだろうか、部屋を見渡し、見落としはないかとそのことしか考えていなかった。
いざ帰ってきたモラハラ加害者が不機嫌に満ち満ちていたら、あれやこれやと探りを入れ機嫌を取り、今日の地雷はどこなのか、逆鱗に触れないよう、指摘されないようにとそのことしか考えられず不機嫌なまま寝てくれたら安堵する程度の知能しかなかった。
脱出して3日後だったかな。
脱出を手伝ってくれた知人と役所へ赴いたとき。
私は大事なことを聞き漏らすまいとノートを持参し、その都度メモを取りながら話を聞いていたはずだった。
だがしかし帰宅後、会話の大まかな内容すら思い出せない。
メモにとっているからとメモを見返すが、そのメモたちは何の意味もなさなかった。
全く意味がわからない文字の羅列。
私はショックを受けた。
何も思い出せない自分は頭がおかしくなったのかと思った。
私は長く、親族やモラハラ加害者から頭がおかしいと日常的に言われてきたので自身は気狂いだと思って生きてきた。
やはり私がおかしいからか?と思ってしまうことをやめられない。頭をぶんぶんと振る。
ちがうちがう、一生懸命に考えようとするそばから思考が途切れて訳がわからなくなった。
私がおかしいのかモラハラ加害者がおかしいのか、そんな基本的なことすらわからなくなっていたんだ。
今はわかるよ。
これは虐待を受けている人間が生き延びるために、身体が勝手に感覚を閉じるのだと思っている。
日常的に虐待を受けている児童の身体の発育が極端に悪い例が多い。
強いストレスに耐えるために大量のホルモンやら何やらを使ってしまうからだ。
本来、成長に使うためのそれを成長に回せない。
もちろん意識的にではない。
脳がそう判断して、そうする。
私は高校1年で身長が138センチほどしかなかった。
成長は遅れに遅れ、生理は中3の終わりにきた。
その後、バイトを始め家に寄り付かなくなったことと、父親から殴られた時に弟が助けてくれたことで日常的だった暴力が止み、なんと1年で15センチ伸びた。
意識とは無関係に、身体は危機を感知して対策してしまうのだ。そしてシステマチックに、実家から離れることで安全を感知して成長した、というわけ。
だからモラハラ被害者は、その延々と続く危機的状況の中で身体はたくさんの回路を閉じたり、本来使うべきところへ回せないホルモンなどの不具合が起きる。
そうしなければ生き延びられないから。
電力需給が逼迫して部分的停電をするような感じだ。
悲劇は、生き延びるために脳は的確に順応したはずなのに、その順応はモラハラ被害者から健全な思考回路を奪う。
危険からは逃げる、そんな基本的なことを選べなくなる。
どうすればこの地獄で平和に過ごせるか、そのことに固執してしまう。
なぜかこんなことでと自分が受けている被害感情を大袈裟と思えてしまったり、罵倒に慣れ過ぎてたまにモラハラ加害者が怒らない日があれば、それを優しさやモラハラ加害者の成長としてしまったり、私の努力が報われた感覚になるのだ。
地獄の真ん中で。
そうして視野が狭くなって思考回路が働かなくなったモラハラ被害者。
毎日のようにモラハラ加害者により虐げられながらも、私の頑張り次第でこの家族は良くなっていくかも!と希望に胸を震わせて高揚している中、現場の子どもたちはスポンジのように「モラハラ」という歪な関係を吸収する。
悲しいことだが、命からがら脱出を遂げたあと。
モラハラ加害者のいなくなった家庭でモラハラ関係をしっかり学んだ子どもたちがモラハラ被害者を攻撃することがままある。
それは暴力だったり、言葉だったりと様々だ。
しかしこれは起きる。
だって生まれてかたこの方、母親という存在を粗末に扱うことしか学んでいないのだから。
母親にそんなことをしても母親はそれを受け止めることを感覚で知っている。
もちろん攻撃している自覚もなければ、受け止めてもらえている自覚もない。
ただ鬱憤や不満があればそのようにする、と知っているからやる。
そんな時、育児書を読めば
「抱きしめましょう」って書いてあるよ。
脱出を遂げた私のクライアントさんは、児童相談所に問い合わせたが
「殴られるたびに抱きしめましょう」と言われたらしい。
胸が痛くなる返事だ。
だって殴られていろということと同じ意味だからね。
そんな意図がないこともわかっているけどね。
私は思うんだ。
モラハラ環境で生まれ育った子どもにそんなことは通用しないって。
私もその地点で3年苦しみもがいたからわかるんだ。
脱出を遂げたら幸せになるはずではなかったのか?と。
脱出を遂げても暴力を受けるなら、戻っても同じだから戻りたいと思うその感情。
きっとこんなこと、どんな育児書にも載っていないし、なんならご批判を受けるかもしれないけど、誤解を恐れずに言うわ。
キレなさい。
子どもがびびりちらかすぐらいにぶちギレなさい。
何も暴力振えなんて言ってない。
痛いんじゃああああああ!!!!ってキレなさい。
キレたら子どもとの関係が良くなる、なんて
お賽銭を入れたら神様が願いを叶えてくれるみたいな卑しい発想を持たず、キレなさい。
私がモラハラ加害者みたいな人間に成り下がるのは嫌だなんてしょーもないプライドにも見向きせず、
嫌なことは嫌なんだ!ときっぱりとはっきりと大発狂してキレなさい。
何度やられても、子どもがお母さんが狂った?!と思うほどめちゃくちゃにキレなさい。
理不尽な攻撃をすれば相手がガチギレすることを教えてあげなさい。
お母さんらしくとか、こうしてキレたことを子どもが模倣したらとか、そんなちまちましたプライドや不安をどれだけ抱えていたって、もう子どもはや歪な関係を学びきってる。
この地点でもう普通ではないのだから、世間一般的な不安で躊躇すること自体が無駄なのだ。
この場合のキレることはモラハラでも虐待でもない。
自分の安全を自分で守ろうとする姿だ。
この内容が曲解されないよう切に願う。
脱出を手伝ってくれた友人が脱出直前に愛犬の絵をプリントしたコーヒーカップをくれたんだ。
私はそれをとても大事にしていた。
脱出してから暴れまくる息子はそれを
「大事にしてるんやろ、割ったろか」と言って嘲笑してきた。
「大事や。めちゃくちゃ大事や。これは友達の思いやりのプレゼントやから」
と返事して、バットをふりかぶって自ら割った。
そうすれば割ってやろうか?などと言われなくなるからね。
「あんたが割ろうとしてたんやし同じことや。これでええやろ」
そしたら息子は呆然としてた。
そしてごめんって泣いて掃除してた。
後日、友人が何回でも割れるようにとまた同じものをプレゼントしてくれた。
こうしたことだよ。
伝わればいいな。
■大阪モラハラ被害者セミナー■
第二弾です。
告知にご協力くださると嬉しいです。
ひとりでも多くの被害者の方々に届けたいので。
参加者との歓談時間も設けているので、私acnとたくさん話せます。これを機に何でも質問してくださいね。
おまけに仲良くなってしまいましょう。
日時 2022年10月22日(土)
13:00〜15:00
15:30〜16:30(質疑応答、歓談)
参加費 5000円
場所 大阪某所。安全確保のため事前お振込みを確認後、お知らせします。
要件 女性限定、定員20名
申込方法
Yahooメール
umechobin@yahoo.co.jp
お名前、年齢、電話番号、お子さんがいらしたら人数と年齢、モラハラの現状をお知らせください。
振込み先をお知らせします。
お振込みを確認次第、開催場所をお知らせ致します。
