知り合い数人や、娘からこの記事の話が出て久しぶりに読んでみた。
脱出したばかりの私は、バイクの音にさえパニックを起こすような状況で「思考」などというものは機能していなかった。
そんな私の口から出た「死にたい」は、辛いしかない現実から逃げ出してすぐさま楽になりたかったんだと思う。
娘が発した
「死んでもいいよ」の言葉。
これに救われたのは
最後の最後にある
「死んでもいい権利」みたいなものを肯定されたという救いなのだと思う。
もうこれ以上何も否定されたくない、そんな私の最後の願いが肯定された、そのような救いの言葉だった。
当時を思い出しながら24歳になった娘が目にいっぱい涙を溜めて言うのだ。
「ママが本当に死んだらどうしよう、と怖かった。でも私がママだったらとても生きていけないほどの辛さを抱えて、きっと同じように死にたいと思うだろう。だから言った。怖かったけど、ママを救いたかった」と。
今では全てが笑い話。
だけど全て実話。
去年だったかな。
娘と2人で森山直太朗のライブに行ったの。
この歌が流れた時、2人で手を繋いで泣きながら歌った。
あの頃がまさに走馬灯のように脳内に流れて。
くたばる喜びはまだ楽しみにとってある。
今、モラハラ加害者から逃げたはいいけど、なぜかモラハラされていた頃より辛い心境でいる方々へと届いてほしくて再度アップします。
時間はかかるけどね、そこを抜けた先の澄み渡る空は必ずあなたに訪れるからね。