モラハラ加害者との離婚は、円満に終わらないことだけが確実に約束されている。
モラハラ被害者はもうこれ以上、1ミリたりとも揉めたくない。
離婚を選ばざるを得ない状況になったとは言え、なんだかんだいって夫として選んで、まがりなりにも夫婦としてこれまでやってきたわけだ。
感謝の気持ちだってある。
モラハラ被害者は思う。
「最後ぐらい、笑ってありがとうと言いあえる離婚にしたい」と。
そしてモラハラ加害者に直接、離婚したい旨を伝えるのだ。
私は思う。
この発想こそが、モラハラ被害者たる所以だ、と。
この発想、この夢見がちな理想、その見積りの甘さこそがモラハラを成り立たたせているのだと。
こうして毎日、モラハラ被害者に対してきつい現実を突きつけている私だ。
なぜこうも辛辣に断定するのか?と問われたら、
私こそがモラハラ被害者ど真ん中思考だったからと答える。
私は上記のように夢見がちに、2005年に直接伝えてしまうのだ。
大きなテーブルはひっくり返り、携帯は真っ二つになり、あまりの恐怖に所々記憶も曖昧だが、とにかく滅茶苦茶になった。
俺を試しやがって!と、離婚をそんな試し行為に使いやがって!と。この件はどこかに書いたはずだ。
私は決して試し行為などしていない。
本気でしか離婚など言うはずがない。
だが荒れ狂うモラハラ加害者に圧倒され、言葉を発しようにも私が何かを言おうとするだけで大声で威嚇し暴れることを繰り返し、黙るに至る。
本気であることすら伝えられないのだ。
「逃げても生涯追いかけてやる」
「一生、苦しめてやる」
「お前の親やきょうだいが殺されてもええなら逃げろや」
「お前が言うしょーもない離婚話より、俺は本気でやるから、それ覚悟してるんやったら逃げろや」
およそ三時間に渡り怒鳴られ暴れ続け、私は諦めた。
だって生涯、子ども連れて逃げ隠れしながら追いかけられる人生なんて嫌だし無理だと思ったんだよ。
親や弟や妹に手出しされるかもしれないと思って怖かったんだよ。
テレビでは、ヤク中の元夫が「妻を出せ!」と妻実家に籠城するニュースを見たことがあった。
その可能性が高かった。
高いと感じただけで充分だった。
とにかく私は、とてもじゃないけどそんな可能性をはらみながら子どもを連れて逃げ隠れして生きていくなんて無理だって心から思ったんだよ。
私はモラハラ加害者から逃げられないと信じていたから。
そしてそのまま、2016年に逃げるまで茹で上がったカエルみたいに夢見がちでモラハラ被害者体質のど真ん中思考で延々と虐げられた。
モラハラ加害者のかっこうの餌として。
モラハラ加害者の機嫌ばかり気にして、機嫌をとり媚びへつらい、そんなモラハラ加害者に歩み寄り生きた。
それが正解だと思っていたから。
こんなでも父親なんだから、私の一存で子どもたちから父親を奪うなんて子どもたちが可哀想だからってね。
そうして子どもたちにモラハラを見せ続けたんだよ。
私の一存で、ね。
守っているつもりだった。
子どもたちを。
家族を。
私さえ我慢すればいいだけだと。
その我慢により何とか生活を保たせていると思って茹で上がっていたんだよ。
だからこそ。
モラハラ被害者の方々が円満に離婚を終わらせたいと願う気持ち、私にはそれが一番理解できるし、それと同時にその思考こそがモラハラ被害者気質なのだと私は断言できるのだ。
その思考だからこそ虐げられているのだって。
私はよく
「私はあなたのように強くないから」
と言われてしまうのだけど。
いやいや、私はびびりで病的な平和主義者でしたよ。
かつてはね。
だけどある時、全て見えた。
私の在り方こそがモラハラを成り立たせていたのだと。
あなたの人生だから、あなたのしたいよう、なりたいようにいたらいいと思っている。
だけど事がモラハラであるならば、それはれっきとしたDVだから、あなたは被害者気質を手放せないまでも「円満に離婚したい」願望ぐらいからは手を離す必要がある。
それは叶わない。
悲しいけれど、それがモラハラだから。
今、この瞬間に必要な誰かの心にコツンと響きますようにと願ってやまない。