● 読まないでください(本当は読んでね♪)
「志村動物園」のハイジさんのようなお仕事の、 猫と話せる&猫の気持ちがわかる専門家、猫専門のアニマルコミュニケーター 美花です。
私がプロフィールにも引用している田村さんの言葉を、昨日のブログで新たに田村さんが書かれたので、再度引用させてください。
アニマルコミュニケーターの方やペットを飼っているあなたに、今日のブロウは本当は是非!!読んで欲しいです。
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●アニマルコミュニケーションの誤謬とは?(アニマルコミュニケーターが陥る擬人化の落とし穴)
ご訪問ありがとうございます。
アニマルコミュニケーションマスター講座の田村です。
梅雨入りして一時期涼しかったんですが、また、暑くなってきましたね。
梅雨は、どこへ行ってしまったんでしょう?
エアコンが活躍する季節になってきました。
エアコンを作動させる前に、フィルターの掃除はされましたでしょうか?
なぜかしら、毎年、エアコンを使い始めたとたん、体調が崩れる人やペットがいますので、ご注意くださいね。
さて、フィルターと言えば…。
アニマルコミュニケーターを目指す方に、ぜひ、やって欲しいことがあるんです。
それは、自分自身のフィルターの掃除です。
認識のフィルターとは、あなたが知らないうちにかけてしまったサングラスのようなものです。
それを通して世界を見ているもの。
それを通して出来事を解釈しているもの。
つまり、あなたは、色眼鏡をかけて世界を見ているということです。
多くの飼い主さん、そして、アニマルコミュニケーターさえも逃れられない落とし穴があります。
それが、擬人化の落とし穴です。
擬人化とは、動物を人間のようにとらえる物の見方のこと。
動物が人間のように考える。
動物が人間のように話す。
そう考えることが、誤解の始まりです。
そして、アニマルコミュニケーターも例外ではありません。
「○○ちゃんは、こう言っています」
そういうアニマルコミュニケーターの「翻訳」を聞きながら、
これは、はたしてアニマルコミュニケーションなのだろうか?
本当にアニマルコミュニケーションと言えるのだろうか?
私は、常々疑問に思っています。
少なくとも、アニマルコミュニケーターであろうとするなら、まずは、動物のことをよく知ることです。
ここが、すっぽり抜けていることはないでしょうか?
動物の生態、行動、心理を、わかっていないとしたら…。
人間目線で解釈し、人間の言葉で動物の心を伝えようとする。
それが、本当の異種間コミュニケーションなのでしょうか?
学ぶことは、相手を知ることから始まります。
そのためには、何より目の前の動物を先入観なしに観察することです。
あなたが本当に相手のことを知りたかったら、白紙にならなければなりません。
これこそが、動物に対して、一番必要な姿勢です。
多くの人は、こうあって欲しいという自分の思いを、相手に投影します。
これは、学ぶことではありません。
自分の思いを、相手を利用して強化しているだけなのです。
この子は、こう思っているに違いない。
ほとんどの飼い主さんには、なんとなくわかるものです。
しかし、そのほとんどが、人間的な解釈、つまり、思い込みです。
アニマルコミュニケーターでさえ、この思い込みから抜け出せていません。
人間の会話のように、動物の言葉を翻訳する。
これは、ある段階までは必要なものでしょう。
私は、これを「必要悪」ととらえています。
なぜ、悪なのか?
それは、人間中心主義、人間的なものの見方を強化してしまうからです。
そして、人間的な愛や人間的な感謝をアニマルコミュニケーションに投影してしまうのです。
誤解を恐れずに言いましょう。
犬は、人間的な愛は持っていません。
犬は、人間的な感謝もしません。
猫も鳥もカメも、ほかのどんな動物もそうです。
動物が持つ愛は、人間のそれとはまったく異なるのです。
人間のように考え、人間のように話すのだったら、そもそも動物になる必要がありません。
宇宙が人間に与えた性質や徳と、動物のそれは違うのです。
違うことによって、崇高なのです。
それを人間同士のように愛してくれていると思い込んでいる。
人間のように感謝されていると思い込んでしまう。
いや、そう思いたいのかもしれません。
もちろん、私自身も、その誤謬から完全に逃れられていません。
真のアニマルコミュニケーターであろうとするならば、動物の心を理解していると、決して思わないことです。
思った瞬間に進歩や成長は、止まります。
常に、これは本当に動物の気持ちなのだろうか?
と自問自答することです。
ここが頂上だと思ったら、登山はそこで終わります。
動物の心を理解することは、終わりなき登山と同じです。
これで十分ということは決してありません。
「動物を動物として見る」
多くの飼い主さんには、このシンプルな見方がなかなかできません。
動物を動物として見ていないからです。
動物を、あたかも人間のように見ているからです。
「うちの子」という言葉に、すべてが表れています。
犬を子供として見ているのです。
だから、ほとんどの人が犬に対して、幼児言葉になります。
動物を人間のように見ることは、彼らを尊重することにはなりません。
動物を動物として見ることこそが、もっとも尊重することになるのです。
この当たり前なところがずれていると、アニマルコミュニケーションも、おかしな「創作物」になってしまいます。
極論すれば、アニマルコミュニケーションは、すべて人間の「創作物」です。
なぜなら、人間の言葉を使っている時点で、すでにもう「創作物」なのです。
もちろん、「創作物」だから、価値がないということはありません。
創作物に価値がないのだったら、詩や小説や音楽や演劇など、すべて無意味だということになってしまいます。
創作物には、何らかの大切なエッセンスが含まれています。
宇宙があなたに伝えたいことの精髄(エッセンス)です。
そのエッセンスに、創作物を通して直接触れることはできません。
創作物にできることは、「指し示すこと」だけです。
「あっちをごらん。
月があっちにあるよ」
と指し示すだけです。
月を見ただけで、感動は起こります。
しかし、本当に月を理解するためには、あなた自身が月に行くしかありません。
アニマルコミュニケーションもこれと同じなのです。
アニマルコミュニケーターは、ただ単に方向を指し示しているだけ。
動物の心を指し示しているだけなのです。
アニマルコミュニケーターが伝える動物の言葉は、動物自身のものではありません。
アニマルコミュニケーターのものなんです。
だからといって、無価値なわけではありません。
大きな意味や意義を持っています。
要は、アニマルコミュニケーター自身に、方向を指し示しているだけという自覚があるかどうか、ということです。
本当に動物の心を伝えていると思い込んだ瞬間、アニマルコミュニケーターの進歩は止まります。
あることを学ぶ。
しかも、徹底的に。
新しい物の見方を身につけて、それを通して世界を見てみる。
そして、いずれは、その見方も捨てなければなりません。
いわゆる、守破離(しゅはり)のプロセスです。
今日は、とても重要なことをお伝えしたつもりです。
アニマルコミュニケーションを学ぼうとうする方は、とくに真摯に受け止めて欲しいと思います。
アニマルヒーリングスクールでは、まず言葉を使ったアニマルコミュニケーションを学んでいただきます。
そして、ある時期から、言葉を捨てていただきます。
何か言葉でメッセージを受け取ったら、その瞬間に捨てていただきます。
そうしないと、言葉なき世界、沈黙の言語の世界へは入っていけないのです。
そこには、沈黙ゆえに、実に豊穣なる世界が広がっています。
あなたが今日からできること。
それは、自分のフィルターを点検してみることです。
そして、色眼鏡をはずして、目の前の動物を見てみることですね。
そうすれば、フィルターで、こしとられていたものが見えてくることでしょう。
そのとき、あなたはこうなります。
「世界の物音、香り、彩りが思考のふるいを通過せず、思考によって類型化されることなく、まさにそのもの自体として人間を直撃する」(アラビアのロレンス「知恵の七柱」)
これこそが、私たちの目指すアニマルコミュニケーションの世界。
多くの人がイメージしているアニマルコミュニケーションが終わった地点から、私たちの登山が始まります。
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田村さんとは三毛猫まりあの病気がきっかけで、6年前ぐらいにご縁が出来ました。
田村さんはこの秋は大きなイベントを東京と大阪で行います。
10月に行うので、言霊の魔術師(と、かってに表現してみる)田村さんの講演をお聞きになりたい方はお楽しみに。
私もスタッフとして、会場でうろうろしていますよ。
田村さんのブログはこちらです。
外でお仕事していたら、人なれした雀さんがやってきて、私の手から直接パンを食べました。 雀さんも絶滅危惧種になりそうなので、そっと大切にするの。ちょうかわえぇ~!
第1回猫好き女子ランチ会in広島
満員御礼!感謝です。
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