Jast wanna be pure
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きみは笑い 僕に手も触れずに


人間関係ってのは何て難しいものだろうとおもう。
最初は楽しくしゃべってる。
だけどだんだん、楽しいだけじゃなくなってくる。
なぜだろう。
なぜ楽しい瞬間だけ切り取れずに何もかもを難しく、深く考え過ぎてしまうのだろう。

考えてみたんだ。
たぶん近付き過ぎてしまうからだ。
よく人間関係は磁石に例えられる。
引き合う人と、離れ合う人がいるように。
でも私らは磁石じゃない。
近付き過ぎると、それが誰であれすれ違いや傷つけ合う結果しか最終的に残らないんだ。
人にはそれぞれテリトリーがあるから、いくら好きだから、仲良くしたいからって言ってもそこに入り込んでしまうのはとても危険なことなんだ。
距離を測ってうまく人と付き合えるように、いい加減そろそろなりたいのに、行き過ぎてしまう自分が直らない。学べないから同じことの繰り返し。

楽しいだけじゃいけないか?
お互いプラスになる会話をしようというのがいけないか?
どうせ見えるところで文句を言われても陰口にすらなってないことに気付いてる?
陰口の方がまだタチがいい。
知らなくてすむならそのほうがいいことだってある。
正面衝突を望んでる?
一応言ってみたけどさ。
「私のこと嫌いならそれで別に構わないから」
別にくだらない。どうでもいい。言い合いや喧嘩をしてまで分かり合おうとは思わない。
ネチネチネチネチ男のくせにくどいんだよ。

彼だけじゃない。
私はひとつの集団の「輪」に入り込み過ぎた。
ある程度、距離は必要だったんだ。わかってた。
でも一度近付いて近付いて近付いていってしまうと、近付いている方向にしか進めなくなる。
一歩下がりたいのに、もはやそれが習慣になってしまって。
最終的には「切る」「切られる」の道しかなくなっていく。

楽しいだけで幸せだった。
それ以上は何も望んでなかった。
だけど私が望んでいたことは一番難しいことだと気付いた。
誰もが望んでいることは、本当はとても難しいことだとわかった。

人間だから。
本当は誰にも嫌われたくない。
それがつい3か月前には友達だと思ってた人だととくに。
もっと気楽な関係のはずだった。
重い会話なんてしなくていいから楽になれたはずだった。
距離があったはずだった。
でもいつのまにか好きとか嫌いとか
「好きだ」と言われたり「もう関わりなくない」と言われたり
「守る」と言われたり「お前とは会いたくない」と言われたり
周りの感情に翻弄されすぎて疲れてしまったよ。
大量な感情の波が渦巻いて、千切れそうなんだよ。
みんなわけわかんないんだよ。
みんなに好かれようとは思わないけど、同じ「輪」の中いるんだから私がそこにいる限り切りようがないこと、わかんないのか?
私がそこにいるために、いちいちあんたの許可が必要かい?


でもどこか、そうやって渦の中にいる私のことを、遠くで見てる。
まぁいいや。
これは私じゃないんだし。

そう思うことで、全て解決に向かう。
私の中にたくさんいるもうひとりの私
ひとりぐらい死んだっていいか


今を楽しくしたいんだ
今を楽しく生きたいんだ
先のことは知らない
もう何も見たくない
あんたがイラつくぐらい、
私は笑っててやるよ
あんたが腹わた煮えくり返るぐらい
私は楽しんでやるよ
悔しくて地団駄踏むぐらい
私はあんたより楽しい人生を生きてみせるさ

過ぎ去りし日の涙 時がやがて無意識の中連れ去るのなら

学校のあの子とは、まともな話をしなくなって沢山の時間が過ぎた。

夏休み前からなのだろう。

今では「おはよう」すら言わない。

教室で会っても素通りだ。

たいして仲良くないクラスメイトにでも「おはよう」の挨拶ぐらいするのに。

これじゃクラスメイト以下だ。

私は変わったのだろうか。

それとも彼女が変わったのか。

きっと、どちらともそうなのだろう。

こうしてだんだんいなくなる。

似たようなことを体験してきた。

だんだんいなくなることは、分かっている。

私が学校を辞めてから、連絡を取らなくなった人は両手じゃ数え切れないぐらい。

それは切ったとか切られたとかでなく、自然にそうなった。

絶対あの子とは切れない。

そんな不安定で不確かなものを純粋に信じ、私は新しい学校に行ったのだけど。

そういうものはやっぱり不安定で不確かで、すぐに納得するしかなかった。

でも学校を辞めて得たものは大きいし、学校を辞めた私の判断は正しかったと、例え誰に何を言われようと私はそう断言できる。

辞めてから頻繁に連絡を取るようになった子もいる。

学校を辞めたのに、前の学校で新しい友達ができた、不思議なかんじだ。

切れた人たち、何故切れたのか、お互いが一番よく分かってる。

そういう流れだったのだ。

こう言ってしまえば何か寂しいようだけど、なるべくしてなった。きっとそうなんだ。

無理にメールを送り続けたり、遊ぶ約束をし続けたり、たぶんそういう風にしないと繋がってられなかったんだ。

私はそういうの、出来ないし、なんだか不自然だ。

久しぶりに会っても笑い合える友達がいる。私はそれで充分だし、それ以上、それが最高だと思ってる。

彼女のことを、まわりはどう考えてるか、正直ころころ変わってわからない所がある。

でもまわりはまわりだ。私は私。

ならば私はどうするのか。どうしたいのか。

多分、私は追えない。

何も、望めない。

せっかく知り合ったのにもったいない。その通りだ。

仲良くなれたのにどうして。そう考える。

でも私は、なるべくしてこうなったんだと思う。私自身と彼女の関係。

それまでの関係だったんだ、私個人と彼女は。

嫌いなわけじゃない。いらない存在でもない。

でも、納得してる。

私と彼女はあまりに違っているから、違いすぎているから。彼女のそばに私はいるべきじゃない。

きっとお互い苦しくなってしまう。そう思うんだ。

出会った最初の頃、彼女は私のいない所で私の話をしていた。

「二人きりだとしゃべりずらい」

それが彼女の私に対する感想だった。

しゃべりずらいと考えたら誰ともしゃべれなくなると思い、必死に作り笑顔を浮かべて話題を提供していた自分が馬鹿みたいに思えた。

頑張ってるのはお前だけだよと、思い知らされた。

全てが空回りだった。

それでも私は必死だった。

浮きたくはなかったので必死だった。

気を遣ってみたり、腹の底ではどう思ってんのか気になったり、彼女の笑顔の裏側を確かめようと目を凝らしたり、くだらない話をしたり、相談にのってみたり相談してみたり。

でも相談し合ったのも、「ごっこ」だったんだと思う。

肝心なことは何も聞けず、自分のことは何も言えず、本性をさらけだしたりはしなかった。それは相手も同じだろう。

私の内にあるものをそれとなく感じ、「しゃべりずらい」と彼女は判断したんだ。

それは正しく、正直な答えだ。

彼女は言葉にする勇気を持っていた。私に比べて、強かったのかも知れない。

「私もだよ」

呟いたのは、私の場合、心の中だけだったから。

(私にタレこんだ奴も最低だと思うが今はそんなのどうでもいい)

彼女の本音を知ってしまった数日後、彼女とは話し合った。

「傷付いたよ」

そう言うと彼女は「それは最初の頃のことで、今はそんなこと思ってないよ。ごめんね」

――誤解だったんだね

そういうことで結論が出た。

果たしてそうか?

今になって疑問に思う。

その時私は彼女の言葉を信じたけど、今こういう状況だと、その言葉にも裏があったんだと思わざるを得ない。

誰が本音を言ってるのか。誰が信じられるのか。

正直言って分からない。

言葉を真っ直ぐ投げ掛けてくれる人は誰だろう。

裏があってもいい。でもそれをちゃんと見せてくれる人は誰だろう。

女ってめんどくさい。

でもそれだけじゃ片付けられない。

人間誰でもそうだと思うから。

ほんと、めんどくさい。

真っ直ぐ直球勝負をなぜしないんだ。

気に食わないならケンカを売って来ればいい。

「おまえ合わねーんだよ」

そう真っ直ぐ言ってくれたら、真っ直ぐ受け止める。――これも受身なのだろうか…。

でもたいていそういうことはできないもんだ。今の彼女の態度が、精一杯の「おまえ合わねーんだよ」の抗議の表れなのだろうきっと。

だったら私はそれを受け止める。直球でないボールを真っ直ぐ返すことはできない。話し合えない。

つけられた傷は消えない。

無意味だと思い知らされた感情に、二度と芽は出ない。

壊れてしまえば元には戻せない。

だけど…

それが例え嘘だったとしても

彼女と笑い合って楽しかった瞬間はあったんだ。

花火をした。何回もオールで遊んだ。たくさん話をした。

それが例え嘘でも本当でも、どうでもいいんだ。確かに楽しかったんだから。

それもきっと、消せない感情だ。

消したくない、思いだ。

誰が本音を言ってるか。

疑心暗鬼になんてなりたくない。

腹のさぐり合いはもうカンベンだ。

好きな人には好きだと言う。

相手がどう思ってるかじゃなく、私がどう思うかだ。

直球でいこう。

何を、誰を、誰の言葉を信じるかはもう自分で決めればいい。

私は今ある友達を大切にしていきたいと思ってる。

好きだという自分の思いを信じよう。これからそうしていこう。

彼女との関係は、これでいいんだ。

私は追わない。

たぶん、私がどんなになっても追い続けたのは、世界でたった一人だったんだ。

青空が綺麗だから この木の下に隠れていよう

例えば自分の好きな食べ物や、好きなもの、

覚えていてくれている人がいるのは、とても幸せなことだと思う。



「マコト、お前コレ好きだろ」

みたいな。

何気ないそういうことが、私にはすごく嬉しいんだ。

何気なく言ったひとこと、くだらない話でも

それを覚えていてくれる人がいる。

一部でも、一握りでも、なんとなくでも、もしくは…ほとんど全部と言えるぐらいを



私は正直言って人の名前を覚えるのも、誰かの好きなものや食べ物なんかを覚えているのは苦手な方なんだ。

最低だけど名前とか浅い付き合いだったらすぐ忘れてしまうし、自分でも不便だと思うんだけど顔見知り程度の関係ならなかなか覚えられない。

名前を覚えることが得意

なんて言う人は本当にすごいとおもう。

誰でも名乗ってすぐに名前を覚えてもらえると嬉しいだろうし、何かと便利だと思う。

その時点で、人を喜ばせる手段をひとつ手にしてる。

私にはないものだ。


物覚えが悪いのは昔からなんだからもう仕方ない。

では私は私なりに、と思う。

名前は「呼びたい」と願って呼びたいと。

この人の名前を呼びたい。

この人の名前を知りたい。

そうして、少しずつ、覚えていきたいと思うんだ。

そうして大事なものにしていきたいと願うんだ。



名前を呼んでくれる人がいること

とても幸せなことだと思う。

好きなもの、言葉

覚えていてくれる人がいること

すごく嬉しいことだと思う。

「私」を覚えていてくれる。それだけで

くだらない話でもバカみたいなことでも

それだけで、私に存在する価値が産まれる。

小さなことだと人は言うかも知れないけど、私にとってはとても大事なことだよ。

とても、嬉しいことなんだ。

夕べ見た全ての偽善 讃えてやればいいさ

今授業中なんだけど…
あまりの暇さにこれを書いる。
自分のパソコンと違うのでやりづらいのは仕方ない。

9月に入って学校がはじまった。
初日の話をしようとおもう。
言いたいことはいっぱいある。
「なんなんだよまじで」
これをまず最初に。

わけがわからないことだらけだ。
もともと4人で行動する感じだったけど、その中の一人が抜けた。
「抜けた」と言ってもう間違いはないと思う。

好きにすればいいと思うんだ。
正直腹が立ってるし。
別にその程度の仲だったってんなら引き止めもしないし、追うこともない。
私は個人的に一生付き合うような仲にはならないなと思ってた。
彼女も私への価値は見出せなかった。彼女も、私に対してその程度と思っていたのだろう。
あまりに、違う。
彼女はとても、私とは…。なんていうか180度なんだ。
たぶん、歩む道も、考える幸せも、モノの価値観も、エグザイルと大塚愛とaikoが好きだと言うことも
たぶん、私の道とは交わらないところにいる。

ただ、もったいないよね。こういうの。
せっかく知り合いになれた。
まだ学校も同じように通ってる。
卒業しても連絡取り合う自信なんてなかったけど、卒業したら切れるだろうって思ってたけど
何も自分から切ることはない。
合わない友達は切っていく。
私も数年前はそうだった。
切ったし、切られた。
でも今わかるんだ。思うんだ。
そうやって切っていっても、最後にはなにも残らない。

だけど合わせることに疲れたのなら
彼女の選択を認めよう。
私も合わせていた。お互い合わせていたのだろう。
彼女にも譲歩できないものがあるのだ。
私には妥協できないものがあるのだ。
無理に、合わせる必要なんかない。
私は、せめてあと半年、卒業するぐらいまでは合わせられること、できたけどね…。
笑ってるだけでいいなら笑えたけどね。
そんなニセモノの笑顔はいらないってことだ。
なら突き返された笑顔の仮面、私はずっと持っていよう。
その奥のホンモノを、ちゃんと見てくれる人が私にはいるから。

嫌いではなかった。
だけど特別な存在にはならなかった。
話し合えなかった。
本当の自分を見せられなかった。
相手もたぶんそうだ。
本当の彼女の姿は見せてもらってない。
「本音トーク」
笑っちゃうよね。本音でもなんでもないこと、お互いきづいていたのに。
きっと、堂々回りだった。
このままお互い何も話さず、同じ時が過ぎるだけだった。
そしていつか消える、シャーペンの芯ほどの強度もない絆なら
彼女が選んだことは正しかったのだろう。


DragonAshを聞きながらこれを書いた。
「こんな夜は窓を開けて逃げ出したい
倒れたまま死んだフリで
もう眠りたい…」


正直、いろいろなことに疲れている

終わらない歌(↓下の記事について)


本当にあれだな。

なんてワガママなやつなんだ!ってかんじだ。客観的に見ると。

本当、なんてどうしようもないやつなんだろうって思うよ。

うんざりだよ。

生きるってやっぱり、何もかもそういうものなのかもしれない。

生きるってやっぱり、苦しい。痛い。つらい。

でも嘆いてばかりもいられない。

ひとつ乗り越えたと思ったのに、また前方にはデカイ壁が立ちはだかる。

それの繰り返しなんだろうか。生きる道って。

それとも私だけうまくかわせないで直撃を食らっているんだろうか。

夢を見続けたい。

甘えだろうか?現実逃避だろうか?

ならば何が現実なのか?

生きるって、戦いだと思う。究極の。

出口もゴールもない世界に、産まれて来てしまった。



3日前に友達がBLUE HEARTSのCDをなぜかプレゼントしてくれた。

「これあげる」

何のことかわからなかった。誕生日でもないのに。

でもあんまり勧めるから、受け取った。

曲を聴いてみて、その意味がわかった気がした。

下の記事のタイトルは、「終わらない歌」っていう曲の冒頭。


「終わらない歌をうたおう クソッタレの世界のため

終わらない歌をうたおう 全てのクズ共のために

終わらない歌をうたおう 僕や君や彼らのため

終わらない歌を歌おう 明日には笑えるように


世の中に冷たくされて 一人ぼっちで泣いた夜

もうだめだと思うことは 今まで何度でもあった

真実(ほんとう)の瞬間はいつも 死ぬほど怖いものだから

逃げ出したくなったことは 今まで何度でもあった」


単純に「いい歌」とかではなくて

心に響く歌だった。

BLUE HEARTSは「夢」とか「トレイントレイン」とか「リンダリンダ」とかしか知らなかったんだけど、たぶん、うん。きっと、好きになった。

CDを聴けてよかったと思う。

感謝してるんだ。本当に。

終わらない歌をうたおう クソッタレの世界のため


拒んでいるものがあるとするなら、それは
時の流れ



私は、多分どこかで成長することを拒絶したいんだ。
成長したいと言ってきた。
もっとイイ人間になりたいと
優しい人に
気遣える人に
笑っていられる、人に
そう、偉そうに語り、自分にも言い聞かせてきたはずだ。
なのに矛盾が生まれる。

もちろん私は今でも願う。
程遠い存在かもしれないけれど
優しくなりたい。
気遣いたい。
笑っていたい。


でも、もしもそれが、そうなることが「成長」を意味するなら、私は多分、拒むと思うんだ。
「成長」しなければ得られないものであるなら、私はもう、そちらを見ないようにすると思うんだ。


時間の流れってのはまったく容赦ない。
まだ大人になる心の準備もできてないのに、「選挙にイコウ」なんてふざけたハガキが届いた。
こんな風に子供っぽいことを言い、それでいてもっともらしい理屈をこね、自分の人生でいっぱいいっぱいなやつが、一票を投じた所でこの国は変わらないと思う。誰が総理大臣になっても一緒だ。
選挙になんか正直行きたくない。
大人になったのを認めてしまってるみたいだ。
世間から見れば私なんてダメなやつの象徴だろう。
いつまでもくだらないことに駄々をこねて、子供時代にしがみついてる醜い存在だ。
わかってるさ。だけど、なら教えて欲しい。
きみらはこの感情や心情や不安定さを、どうやって乗り越えたというんだ?
何をしたら、何の苦もなく大人になれるんだ?
時の流れを受け入れられるんだ?
理屈じゃなく、証明して見せてよ。


私たちには選べないことばかりだ。
生まれてくることも選べず、死ぬことも結局選べない。
生きる道は選べるかと思ったら、それは大きな勘違いで、時に流され翻弄され、いつの間にか辿り着いた場所は、本当にきみが望んでいた場所なのか?
それすら、選べない。
大人になることも。年齢を重ねることも。男か女かも。
別にここに生きていることを後悔したいわけじゃない。
なんとなく思うだけだ。
選択の余地はないと。
時間が迫っている。
朝起きて学校に行くまでの、あの慌しすぎる時間の流れと同じように、走っても走ってもどんどん追い掛けて来るんだ。
焦らされるのは嫌いだ。
でも止まってくれない。
時間がない。残されてない。
時限爆弾みたいだ。


ではお前は何をしたいんだ?なんて聞かないで欲しい。
わかってるんだ。
大人になるしかない。
なりたいんじゃなく、なるしかない。
結局、だからそう、選べないんだ。これも、あれもそれも、全部。
いつまでも子供でいられないのはわかってる。
でも、人間は脱皮して成虫になるようには大人になれない。


将来設計なんかない。年金てなんだよ。選挙のやりかたなんてわかんねーよ。
ハタチになるまでに、酒や煙草を何の罪悪感もなく普通にやってた罰ですか。
思えば酒や煙草やエロ本ってのは、大人になったご褒美みたいなもんだったのかなぁ。てふと思った。だったら今なら納得がいく。なぜ未成年はダメなのか。
将来、何歳で何をやって、何歳でこうする…んで何歳で退職。
そうやって頭の中でちゃんと整理できてる人はすごいと思う。
できてる人がいることにまず驚く。
私はそういうの、まったくない。
結婚→完璧にしたくない
就職→100パーセントしたくない
出産→2000パーセントしたくない
保険→入りたくない
年金→払いたくない
選挙→参加したくない
ならもういっそ死にたいのか!?って、そういうわけでもない。
いったいなんなんだ。
別に上に書いたのが人生のすべてではないさ。
でもごく一般の、主な人生イベントだろ?世間ではそういう考えなんじゃないかとおもう。
世の中に、まったく乗り切れない。そこらへんはまったく変わらない。
やりたいことはある。夢もある。
だけどそれだけじゃ、足りない場合もあるもんだと思った。



ニヒリズムぶって言ってんじゃない。かっこつけてるわけでもない。
ピーターパンになりたいのかと、馬鹿にしないでほしい。
痛いぐらい切実だ。
不安定なんだ。見通しのない世界。視界ゼロ。
ただ、大人になりたくない。

祈りは口より出で来ずとも 誠の思いは閃くなり

私にとって一番嫌なことがある。

それは好きなモノや気に入ってる人を侮辱されること。

ケンカ売ってんのかとおもう。

否定するなとはいわない。

肯定しろともいわない。

だけど好きだっつってんのに「えー、合わない」とかさ、「どこがいいの?」とか聞かれても困る。

「どこがいいの?」

理解する気もないのに聞くなっての。

「俺にはわからん」

って言うだけでしょうが。

「あいつむかつく」「猫かぶってるだけやで」

私は好きですが。

「ま、おまえにはわからんやろな」

わかりたくもねえよ。


サッカーやドラゴンボールばかにするやつとか、私の気に入ってる人侮辱するやつとか、全部私の敵だ。

別に私のいないところでそういう話するのは好きにすればいい。知ったことじゃない。

でも私のいるところで、なおかつ好きだって知ってんのに、そういうこと言うやつは信用できない。

サッカーはこんなにオモシロイんだよ。とか

あいつはイイヤツなんだ。とか

そういうやつに語る気はない。

わかってもらわなくていいんだ。

ただ、そういうことを私の前で言うんだったら、私が消えるかお前が消えろって思うだけ。


例えば、「あいつは本当はかくかくしかじかな野朗だから近付くな」

こういう注意。

「お前のためを思って言ってやってんだ」

ものすごく大きな世話だと言いたい。

例えばある人Aがいて、そのある人Aにはその人と関わってる人全員分の見方があるんだ。

Aと関わってるBにはBなりのAへの感情、CにはCなりの感情…それぞれ違うんだ。違って当たり前なんだ。Aの人格を判断する他人、いわゆるBやCも個人なわけで、他とまったく同じ人なんてありえないんだから。

だからBはAを「悪魔」と判断しても、全然別の固体であるCはAのことを「天使」と判断するかもしれない。

人の目なんてそれほど曖昧なものだ。そして同時に、人にはいくつもの自分がいるんだ。

どちらもそれでいいんだ。

私が「イイヤツ」と判断した人が、誰かにとったら「嫌なヤツ」かもしれない。

でもその個人的な感情を私に押し付けないでほしい。

そんな感情に染まりたくもない。

それに誰かに「嫌なヤツ」だって吹き込まれても、私のその人に対する感情がどんな風にも変化するわけでもなく、ただ不愉快になるだけだ。

同じように私が「嫌なヤツ」と判断した人が、他の人には「イイヤツ」かもしれない。

それならそれでいい。でも私にとっては「嫌なヤツ」でしかないんだから、そういう感情も必要ない。

相手が嫌なヤツかイイヤツかぐらい、自分で判断する。

だいたいその傲慢で個人的見解でしかない感情を、誰かに押し付けられるほど、自分はできた人間なのかと問いたい。誰かの人格そのものを評価できるほど、エライのかい?


他人の先入観を他人に植え付けることほど、セコイことはないと思うんだ。

だって人は先入観があればどうしてもそういうフィルターで相手を見てしまう。

真っ白な状態でのプラスの感情ならいいと思うんだ。「あのコすごくイイコだよ」って

聞いた人も、言う人も、言われる人も、気持ちいいもんだと思うよ。

真っ白の状態なのに「あいつうざいやつだぜ」って言われると「……はーん」ってならないかなぁ…

私がヒネくれてるだけかもしれないけど、そういうこと言われると「じゃあんたはウザくないんだ」とか思っちゃうんだ。

でも人はみんなどこかで誰かの悪口を言ってると思う。

言われてると思っておいてまず間違いはない。

こんな風にエラそうにここまで書いて来たけど、私も絶対言われてる。そういう予測はしてるし、覚悟もしてる。同時にかまわないとも思ってる。仕方の無いことだ。

誰にも嫌われない、恨まれない人生なんてない。

でも、だいたいマイナス感情をあちこち振りまいてる人に限って実はみんなに嫌われてるって例はとても多いと思う。

悪口言う人はその2倍ぐらい悪口言われてる。

悪口より楽しい会話がいくらでもあるだろう。

「嫌い」って言葉は、人を醜くすると思う。

It wants someone to find it, but it's impossible

さっき、途中まで書いた日記を消した。

なんか違うなって思った。

私の書きたかったことじゃなかった。



私には、たぶんいくつか名前がある。

親がつけた名前。

文章を書く時の名前とハンドルネーム。村上マコト。

そして3番目の名前…。


こんなことを続けていていいのかと思う。

いつか、自分を見失ってしまいそうだ。

今でもわからない。どれが本当の自分なのか。



一番嘘くさいのは、本名のときの私。

そうなんだ。これが実は一番うさんくさい。

この時の私は、隠し事が多い。

長い付き合いの友人がいて、文章ではなく顔を突き合わせて話す存在で

どう思われているか、私はどういう存在か

その答えを、他人に求める。

自分が確立できていない。

笑顔を作る。

話を合わせる。

置いていかれないように注意する。

いろんな種類の隠し事をする。

人によってはバレてはマズイことがあるから。

自分がこれまで良く見られたいがために演じてきたイメージ像の私を、壊してしまうことになるから。

「私は本当はこんなやつだ!」

叫んで、それを表面に出せばいいじゃないかと何も知らない人は言うのだろう。

でも私は、それを叫ぶことができない。

あまりにも演じていたせいで、表面に出すべき人格が、ないんだ。

これが本当の姿なんだ!そう言って、言うことは簡単だが、見せることができない。見せる自分が、そこにはいない。

それは私がずっと隠してきたからで

演じてきたからで

もちろん、打ち明けた人もいる。

でも、全てを、本当に全てを話した人は、今まで一人もいない。

それは、自分のことすら全て理解しているわけではないから。話さないんじゃなくて、話せない。

それなら、演じきるしかない。


村上マコトという名前。

もう5年は使っているHNで、文章を書く時はこの名前にしてる。

何かしっくりくるんだ。

一度「ムラカミ」だけでテキスト系のHPをやりはじめたことがあった。

しっくりこなかった。てんで何も書けなかった。

村上マコト。私はこの名前の人間なんだと、ある種自己暗示みたいな要領で書くと、わりと書けるんだ。

この名前の時が、たぶん一番リラックスしてる。

自分のどんなことを吐露してもいい名前だ。吐き出せる名前だ。ぶちまけられる名前だ。

本当の自分、そういうものがもしあるとしたら、もしかしたら一番近いかも知れない。

でも相手がいない名前だ。

顔をつき合わせる相手がいない。

手を取り、同じ瞬間に泣いたり笑ったりする相手がいない。

それは私がインターネット、もしくは紙という媒体を使って、一方的に配信しているからで、常に一方通行の名前だ。

でもだからこそ、いろんなことを素直にこうして書いていられるのだと思う。

自己満足にはならないように努力している。

読んでくれる人がいるから、存在する名前でもある。

でも多分、顔を見て、相手を見て話した瞬間、村上マコトは消えてなくなる。

親がつけた名前の方の私になる。演じる私だ。

それは、恐れるからだ。

自分に対する相手の感情。誰だって嫌いな人以外には良く見られたい。

いたって普通の感情じゃないか?それを弱さだと言うのは、傲慢だと抗議したい。

そして、「ああ、そうか。こういう女だったんだ」と思われることも、恐れる。

外見で判断される。人は形あるものを見たら、その形で「これはペンだ」とか判断するじゃない。それと同じなんだ。外見からくる先入観も。

それは、誰も責められることじゃないし、否定もできない。

もうひとつ、怖いのが、相手に対する自分の感情。相手を見た時、先入観で判断してしまうかも知れない自分。

自分がされて嫌なことを、相手にしてしまう怖さ。

でもそれが、顔を付き合わせた、「本当の」人と人との繋がりなんだ。

「文字でしか自分を表現できないくせに」

私が言われた言葉ではないけど、ぐさっと来た言葉だ。

まさにその通りなんだ。文字でしか、自分を出せない。思い知らされた。へこんだ。

でも、それならどうすればいい。

どうすれば自分ってやつを表現できるんだ?

みんなどうやってそれを表現してるんだ?

絵でも描けばいいのか。歌でも歌えばいいのか。踊ればいいのか、叫べばいいのか。

誰か教えて欲しい。

そして、どうやって、表現するべき自分を、見つけているんだ?


もうひとり、いたってシンプルな3番目の名前の私。

この時の私は単純だ。

おもしろいことを考えていればいい。

そして、笑っていればいい。

自分を良く見せることにためらわなくていい。

もう全部が演技だとハッキリしてるから。

偽善も振りかざすし、寒気がするような奇麗事や、お世辞も並べてみせる。

嘘もたくさんついたって罪悪感なんかない。

うん。シンプルだ。

この名前は個人的に気に入ってるし。呼ばれることが嬉しいとすら感じる。

全部が虚像の世界だと理解しているから、好きな自分になることができる。相手が求める自分になることで、自分に見返りがある。なりたい自分がハッキリしてる。相手が求める自分だ。

白黒ハッキリついていることほど、やりやすいことはない。

自分を押し殺す演技ではないんだ。

本当におかしくて笑う、つまり作りじゃない笑顔のときもあるほどだ。笑っちゃうけど。

それは現実でありながら現実ではない世界だからだ。だから笑える。

それでいて、私がそこにそうして存在しているかと言われれば、存在していると言える。

とても便利な名前だ。



たくさんの自分がいる。

どれが本当かと、問われてもわからない。

確かにどれも、存在しているんだ。

私の中に、どの自分もそこにいるんだ。

どの自分も、自分なんだと思う。

ひとつに確定することがいいことだろうか?それで何になる?苦しくなるだけじゃないか?

どれかに決めなければならないなんて。

どれかに決めることなんて、たぶん不可能だ。

いくつもの私が存在して、私になるんだと思う。

ひとつの完全になものになることは不可能だ。

みんな、自分はひとりだとでも思っているのだろうか。

自分の中にはたくさんの自分がいるのに。

ここにこうして文章を打ってる私も私で、明日3番目の名前で笑う私も私で、夏休みが終わって学校に行く私も私。

きっと、誰かに認めて欲しいんだ。

全部、きみ自身だって。

そうしてほしいんだろうなって思うよ。

でも、それも誰にもできないことだ。

私の中にはひとつだけ、本当にこれだけは、確実なものがあるから

それさえあればいいと思う。

誰にも、全部を認めることはできないから。

どの名前のときでも、どんな時の自分でも、共通して確実なもの

それが、私の芯だと思う。

誕生日とドラゴンボールと生きる意味


今日は妹の誕生日♪
ドラゴンボールのウェハース4枚買って来てあげた。(ケーキはオカンが買ったので私買う必要なし)
カードがバトルカードだったんでかなり喜んでた。よかったよかった。
こんなギャグみたいな誕生日プレゼントが受け入れられるのは彼女だけだと思う。そこがまたいい。
安上がりとかそういう意味でなくてね。プレゼントなど求められてないし、お互い求めてないので気が向いた時に100円のウェハースを買い合う。それでいい。
誕生日おめでとう。
メッセージとして何か言うなら、変わらずオモシロイやつでいてくれ。
私は20年間生きてきたけど、きみほどオモシロイ奴にはまだ出会ったことがない。
そのままでいてくれればいい。私にとってよき理解者であり、私もきみにとってよき理解者だろう?(笑)
私にとってはナンバーワンだね(笑)ギャグのセンスいいし。



それにしてもドラゴンボールは最高だと思う。
あれほど長く主人公とその仲間達の一生を追い続けたマンガはまず見当たらない。
それに、あれほど長く、愛され続けているマンガも見当たらない。
私が小学生ぐらいの時に流行ったのに、その人気は頂点を保ったまま衰えることを知らない。
栄枯盛衰という世のおきてをみごとに破壊しとる!
つーかまぁそういう理論ぬきで普通におもしろいしな。
マジでいいよ。見るべき。どきどきわくわくがやってくる☆
ベジータとか友達だとものすごいオモロイことになると思う。いじりたおして遊びたいから(あ、Sなんでどーもね)



DVDほしいなぁー。夏休み中にバイトやめなかったら買えそうなので買っちゃおうかな。
妹とワリカンでね。
テレビは買わなくてなんとかなったし。
(今、リビングの隣の部屋にはテレビが2台ある状態!一個はつないでないけど)
正直、ほしいものってそれぐらいなんだよね。
服ほしいけど、どうせバイトも制服あるし、おしゃれして行くとこじゃないし、学校はじまったら秋だから、それからでもいい。
化粧品も足りてるし。
まだ読んでない本もあるし。本は普通のはだいたい借りればいいし。
ブランド品には興味なかと。
ちょっとほしいかなって思うものはあるけど、めちゃくちゃほしいー!!ってわけじゃない。
物欲ないな。
それよりサッカーとか旅行とか語学の勉強に使いたいな。
やっぱ今一番ほしいのはドラゴンボールのDVDだ。何歳やねんって馬鹿にされそうだけどさ(笑)いいじゃん別に。楽しいんだから。
人生楽しいのが一番だと思う。
最近思うんだ。
何のために生きてるか。
その答えは人それぞれ違う。探してる人もいる。
私も探し続けた。
でも最近、その答えが見つかったような気がするんだ。
私は楽しむために生きてる。
楽しければそれでいい、安易な考え方だと思われがちだ。
でも楽しむことこそ本当は難しいのだと思う。
楽しければそれですべてがいいわけじゃない。
でも、やっぱり自分も周りの誰かも、楽しいのって一番素敵なことだと思うんだ。
だから話は戻るけど、妹はそういう意味で天才かも知れないって思うんだ。

We know how to end the war. everybody knew that.

テレビでは毎年この時期、原爆に関する特別番組をやっている。
私はあるサイトでチャットをしながらそれを見ていた。
原爆ドームの前で、屈託なくピースサインでカメラに収まる観光客の映像に乗せて、アナウンサーが「戦争が風化してしまった若い世代」と言っていた。
私がチャットをしていた数人の相手も、私も含めて原爆を知らない「若い世代」だ。
でも彼らは、「人間は愚かだ」と話したんだ。


:過ちを繰り返してばかりいる
:国際サミットで13歳のある少年が言った
「どうしてあなたがたは地球を破壊することしか考えないのですか。僕らが美しい森や川で遊べるようにはしてくれないのですか。あなたがたが壊した世界を担うのは、あなたがたの子供や僕らなんです」
:アメリカ人が原爆に対して「たった20万人死んだだけだろ」と言ったことには呆れたよ。ならおまえらのテロなんてたった2000人死んだだけだと言えるじゃねーか
:今地球上の核が全部爆発したら、地球は木っ端微塵なんだろうな。なんでそんなもの作ったんだろ?地球そのものがなくなれば、戦争に勝ったも負けたもないだろう。
:兵器なんか作るより、森を作る道具とか作ればいいのに
:命は地球より重い


そういうことを議論するチャットでもなく、普通のサッカーの話をするサイトなのにそんな話題だった。
たかがチャットでって思うかも知れない。
でも、重要なのは私よりも若い彼らが、私よりも多くのものを見、多くを感じているということ。
「平成生まれとは話が合わないや」なんてことを言っていた自分が恥ずかしくなった。
みんな19から13ぐらいで。阪神大震災も幼すぎて覚えてなかったりする人もいたぐらいなのに。
いや、歳なんて関係ない。
今の10代の本当の姿を、一体どれぐらいの大人たちが知っているのだろう。
「友人を刺し殺した」「家庭内暴力」もしくは「電車の中でケータイで大声でしゃべったり、化粧をする」とか
そういうイメージしか持ってない大人たちは、それこそ愚かだと言いたい。
少年であっても少女であっても、ちゃんと世界を見、平和を意識し、考えているんだ。
そこらの馬鹿な大人なんかより、ずっと良く見える「目」を持っている。
大人がその目を曇らせるんだ。



「原爆が風化している」
そんなことはないと思う。
確かに原爆ドームの前でピースをする馬鹿なやつらもいるだろう。
でもこんな風に深く、平和について語れる「原爆を知らない世代」もいるんだ。
人がそれを思い出し、深く考えている以上、風化とは言わない。
人は愚かで、だから戦争を繰り返す。
争いと暴力のページを、歴史の教科書に増やしていく。
いつも破壊してきた。
いつも殺し合ってきた。
だけど、少しだけ、私は思ったんだ。「未来は明るいのかも知れない」って。
だって大人が言う「若い世代」でも、命の尊さをちゃんと知ってる。私たちは知っている。
人が愚かだということも、戦争は繰り返してはいけないものだということも。誰もが、心に刻んでいる。そうだろう?



ひとりが「過ちは正せばいい」と言った。
「大人が壊したものを俺たちで直す必要がある」と。
戦争は終わるかも知れない。
私たちの世代で。
そこにいたのはたった数人で、小さな世界だ。
でもきっと、同じように思っている「若い世代」は、他にもいるだろう。
私たちの世代だけで無理でも、その次の世代、次の世代って同じ思いを引き継げば、きっと誰もが望んでいた世界になる。
御伽噺だろうか?
そうは思わない。
やめることができるはずだ。止めることもできるはずだ。
壊すだけでなく、作ることもできるなずだ。
例え時間はかかっても。
人間は、成長できる。
間違いは正せばいいんだ。過去の間違いから学べばいいんだ。
「戦争をやめよう」叫ぶことは簡単だ。
でも、そう願わなければ何も始まらない。
奇麗事だと言う前に、願っていきたい。
偽善だと諦める前に、刻んでいきたい。
何もかもそこから始まる。
誰もが間違いだとわかっているのだから。
間違いだらけの歴史を終わらせよう。
そして、新しい未来を作ろう。
「命は地球より重い」
それを存在するすべての人類が心に刻み、真実の誓いとして生きていければ、殺し合いは終わるはずだ。
「命は何より尊い」
その言葉、繰り返して、語り継いでいかなくてはいけない。
戦争と歴史を学ぶべきだ。私たちの子供に、語り継げるのは私たちしかいない。
壊すことから守ることへ。
私たちで変えていけるはずだ。誰もがそうしたいと願えば、叶うはずだ。
私たちが、私たちの子供たちへ、明るい未来をプレゼントしてあげよう。

原爆の日、何を思っていましたか?
きっと「原爆の日」だと、一度は意識したと思う。
だから、きっとまだ風化していないはずだ。

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