Jast wanna be pure -4ページ目

【ワールドユース】サッカー連続観戦時間記録タイ 【2005】


今までワールドユースを6時間ぐらいぶっ通しで見てた。
イタリアVSモロッコと、ドイツVSブラジル。
2試合とも延長だったりPK戦になったりだったから、相当疲れてしまった。

イタリアVSモロッコはワールドユースの歴史に残るぐらいのいい試合だったんじゃないかな。
やっぱりジャッジは理解不能だったけどね。それさえなければ。(カードの嵐だったのがとても残念だ。能力の低い審判だったというのに激しく同意)
イタリアユース代表、知らない選手ばっかりだったけど、私なりに掘り出し物を見つけることができた。
あ、ひとりいたかな。マルゾラッティ。
どこかで聞いたことある選手なんだよ。もしかしたらミランのプリマかも知れない…。昨シーズントップの試合、カンピオナートに出てた気がするんだけどなぁ。右サイドバックで。どうかな、勘違いかな(苦笑)
注目したのはペッレ。高さが生きてゴールを決めることができたし、PK戦ではチップキックなんかやってくれた。とてもおもしろい選手だと思う。チップキックはないだろう、普通さ(笑)
あと途中交代で入って来たカロッティ。なかなか良いクロスを上げてたと思うんだけど。
ノジェッリーノやガロッパなんかも覚えておこうと思う。あとデフェンディ。覚えた。
でも残念なのがイタリアがモロッコに玉際の競り合いで、必ずしも優位に立ってなかったってこと。イタリアなのに。
モロッコ、さすが、ここまで来るだけある。
GKもファインセーブの連続だった。試合中のやり直しになったPK2回を含め、ことごとくPKを弾き返してた。メンタル面がタフなんだと思う。

勝ったモロッコは次はオランダVSナイジェリアの勝者とだけど、個人的にはオランダに勝ち進んで欲しい。
左のオブス・アベイエはドリブル突破がおもしろいし、バベルやマドゥロもすでにオランダトップリーグでプレイしている選手だから、すごく楽しみだ。
あと、個人的にフェイエノールトのフィンケンにはかなり期待してるんだ♪右サイドだけど、左のアベイエとポジションチェンジをうまくやっていくこともあるし、見所は他にもいっぱいある選手だと思う。
それと今大会で目をつけた、クライスという選手。ちょっと髪型とか遠目にカイトに似てるかも。そうやって探すと分かりやすい。
彼は、どことの試合だったか忘れたけど、今大会でものすごいミドルを決めた。カカ顔負けって感じの。豪快なんだけど、強いだけじゃなく、曲がるボール。何か芯にあるしたたかさを感じたんだ。
強くて早いパスが、正確にこの世代でも回るのがオランダの良い所だし、特徴だと思うから、それにも注目したいね。強くて早いパスっていいよね。スパっと切り裂くように通ると、それだけで見てて気持ちいい。レベルが高くなくちゃできないことだろう。
オランダは今回のユース世代はそんなに強くないって言われてたらしいけど、やっぱり若くて良い選手をたくさん育てることには長けてるよね。エールディビジのトップチームで何年かプレイして、それから海外のビッグクラブへたくさんの選手を輩出している。セードルフしかり、トマソンしかり、ロッペン、イブラヒモビッチ、ファンニステルローイ…など。基礎がしっかりしてるから、ステップアップできるんだろうね。

ドイツは…正直やっぱりA代表の方がおもしろいな(笑)
いや、ユース世代あまり知らないし、特に誰って風には見てなかった。
うん、でもおもしろい試合ではあったよ。粘り強いゲルマン魂が、この世代にも根付いてるんだなぁって感じた。最後は残念だったけどね。
正直、私は眠気と戦いながら見てたんだけど(苦笑)
最初の方は、ニッキー・アドラーに注目しようと思った。こう、ガツガツ前線からプレスかけに行って、削りに行って、言ってみればリーズ時代のアラン・スミスタイプのFWなのかなって一見思ったわけだ。
私には好きなFWのタイプが二つあって、具体的に言うとシェフチェンコタイプとアラン・スミスタイプなんだ。
シェフチェンコは裏に抜ける動き、速さ、シュート力、正確さ、全てを兼ね備えたまさしく世界最高のストライカーだから、言うことは何もない。彼は手以外身体のどこでも使ってゴールを入れることができるし、ヘディングだけに頼ってるわけでも速さだけに頼ってるわけでもない。何でも出来る。だから世界最高で、シェバタイプはシェバひとりに限られる。誰も彼にはなれない。
で、アラン・スミスタイプは、さっき書いた、前線からガツガツプレスをかけるFW。もちろんストライカーだし、点も決めるしポストにもなれる。でも彼タイプの一番の特徴は、前線からの守備、潰し、闘志溢れるプレイだと思うんだ。激しいスライディングとか。こう書くと「ガットゥーゾじゃん!」って思われるかも知れないけど、ちょっと違う。もう一段高い位置で、プレッシャーをかけるから、守備の選手は助かると思うんだ。
それに彼は中盤のボランチの位置もこなせるから(リーズ時代にやってた。似合わなかったけど^^;)、すごく重宝する選手だと思うよ。
とにかく私は守備もちゃんとするFWが好き。
あと、サッカーの一番の醍醐味は一対一にあると思うから、そこで競り負けない闘志と自信を感じる選手。
逆に人を食ったようなプレイはあまり好きになれない。
FKでレフェリーがまだホイッスル鳴らしてないのに、ポンって蹴って、決まって「わーい!」とかいうアレ。アレ一番気に食わない。油断してるから悪いってのは分かるし、汚いなんて言うつもりないけど、何か入っても素直に盛り上がらないんだよな。(アーセナルは嫌いですが、1回チェルシーもやったんだよ)
で、話がそれたけど、アドラーはスミスタイプかなと最初のプレイで思って、注目しようかなって。
でも別にそうでもなかった^^;
コンフェデではシュバインシュタイガーに注目してる。いいボールの供給源だと思う。あとダイスラー。当然バラックにも期待してる。
A代表はDFがウィークポイントだと言われてるけど、どうだろう。人手不足だよな。フートの成長を強く望む。彼、高さはあるから、テリーみたくならないかな(笑)だめかな(笑)

日本は負けたけど、コンフェデもユースもまだまだ終わらない。
イタリア戦を見たら、日本はまだまだ力不足だったかも知れないと思った。
でも彼らはまだ若いから、成長していくだろう。
コンフェデではブラジル戦がグループリーグベストマッチに選ばれた。それだけの価値がある試合だったと思う。
とにかく日の丸背負って戦った選手達、お疲れ様!


(ここまで記憶を頼りに書いたけど、何か間違っていたらすみません)

They burn the life on the field.


セインツのハリー・レドナップの実子、ジェイミー・レドナップが今季で現役引退を表明した。
理由は膝の故障によるもの。
サッカー選手には本当に膝やら腰やらの故障は避けて通れない。
でも彼は、「このままサッカーを続けていると歩けなくなる」と宣告され、引退を決断するしかなかった。
父のハリー・レドナップは言う。
「安全が第一だ」

人がやれることには、何でも限界があると思う。
そのラインを超えたことをやるってことは、どこか身体に負担をかけていて、どこか無理をしているんだ。
人の心臓は一生のうちで刻める回数が決まっているらしい。それは誰でも同じ数なのだと。
ヘディングだって、あんまりやってると脳細胞のナントカ細胞というやつが、一度にものすごい量で壊れていっているらしい。よくわからないけど。
ひどい場合は、年を取った時に、下半身が動かなくなったりする場合もあるとか。
ボクシングだってやりすぎると失明するって言うじゃない。
まさにスポーツは命懸けなのかも知れない。
寿命を少しずつ、削っているのかも知れない。
大袈裟かも知れないけど。
でも、私達常人にはとうていできないようなことを、彼らは当たり前に、飄々とこなしてみせるから、時々心配になる。
どこでそんなパワーや強さを産み出しているんだろうって。なんで奇跡みたいなことが起こせるんだろう。
どこから出てくるものなのだろうって。
才能かも知れない。努力かも知れない。実力かも知れない。
もしくはそれら全て。
でも普通の、生身の人間が、あんな奇跡みたいなことをやってのけて、普通でいられるはずないように思うんだ。
スパイクのポイントなんてえらく固いもので頭を蹴られたり、腹を蹴られたり、肘なんて凶器になり得るのにそれで目のあたりをぶつけられたり。
1試合90分間、何度もダッシュとストップを繰り返して、何度もジャンプして、何度もスライディングやタックルを受ける。
それを私達はいかにも普通に見てるけど、実際あんなハードなリーグでハードな日程で、ハードな試合をやって、大丈夫なんだろうかって、ふと思うんだ。
それがプロなんだけどね。私達ができないことを簡単にやってのけてしまうからプロだし、尊敬する。すごいよ。本当にすごい。
本当にハードだ。
でもいくら鉄人みたいなことやる選手でも、やっぱり生身の人間なんだ。何か、気付かない所で無理をしているんだと思う。
また、無理をしなきゃいけないのがプロなのかも知れない。
彼らはいつでも自らの最高のプレイを望んでいるし、私達ファンも、彼らの最高のプレイを望んでる。
でも知っておく必要がある。彼らは鉄人でも神様でもない。いくらそれに近いことができたとしても。
壊れてしまう時もあるし、調子が悪かったり、できていたことができなくなることもある。
そんな時、いつも歓喜を与えられていた私達には何ができるんだろう。
ぜひ、罵声とペットボトルと発煙筒以外の、何かを与えることができればいいと思う。

どうして彼らがあんなにも輝いて見えるのか。それはとても、きっとすごく、一生懸命だからだ。
一生懸命に何かを燃やしているから、光れるんだろう。
サッカー人生の寿命が短いことは誰もが知ってるから、その中で誰もが最高に輝こうと。
一生懸命、生きてる。
無理をするな、なんてことは言ってはいけないのだろうね。
私は彼らの最高のプレイを望み、最大限の愛情で応援する。それがきっと一番で、唯一できること、何よりもしたいこと。
そして彼らの輝く一瞬一瞬を、この眼と脳に、深く刻み続けるんだ。
この命がある限り。

「選手の安全が第一だ」
ハリー・レドナップの言葉は正しい。
すべての選手の健康と安全を心から願う。
そして素晴らしいプレイを、望んでいる。来シーズンも。その次も。

ジェイミー・レドナップに第2の栄光ある人生を

THE SKY IS BLUE...TOO BLUE


昨日は久しぶりに友達とカラオケに行ってきた。
私はショッパナからBLUEフルメドレーでとばしまくり(ああ、万歳)
大して歌えもしない洋楽をばんばん入れてご迷惑をおかけしました。BLUEばっかり(笑)『BEST IN ME』なんて2回も歌ってしまうほど(うん、最高だ)
でも優しく聴いてくれて嬉しかったです。(かわいそうなヤツなので大目に見てくれたのだと思います)
彼女をBLUEカラーに染めたいと思う。そういう計画を立ててみたんだ♪ぜひ染まってほしいな(笑)
今は漢字(漢字なんて大嫌いだ!)の授業中なんだけど、さっきMDを渡した。ぜひ『BREATHE EASY』をとくに聴いてほしい。大袈裟でなくほんとに泣くんだから。

カラオケではストロベリージャムに大いにウケてしまった。
理由は…、まぁそういうこと。

その後は食事をした。
すごくおもしろいお店で、店員さんが乾杯の音頭をとってくれる。
食事も私の好きな料理が多く(ここ重要)、おいしかった。
石焼きビビンバが来るのが遅くて、やっと来た時にはすでにお腹がわりと満たされてしまっていて、あまり食べれなかったのが残念だった。
本音トークが一番おいしかったかな(笑)
やっぱり私は彼女と合うんだなぁ!
毒が出れば出るほどおもしろい。
正直にそう思うよ。
私はけっこう性根が黒い色をしてるから(笑)
彼女の良さはいろいろあるけど何より合うってことが重要だなぁ。
そう思ってるのが私だけでないことを祈りたい。
私はここで総合的に可愛いと思うコが3人いるけど、その中のひとりに彼女は入るし、私が男なら一番彼女にしたいと思うな。だから彼女の彼氏は良いコを選んだんだよ。

ハーゲンダッツのライチ&ジンジャーはぜひお勧め。
あっさりしてるからすごく好き(^-^)

それにしても暑い日でね、帰りには雨が降ってきたんだ。
終電間近だったから人か多くて電車の中で座れなかったし。
あまりに暑くて本を開く気にもなれなかった。
駅に着いて、家までの道程では傘がなくて濡れて帰ることになった。
でも嫌じゃなかった。涼しくてわりと気持ち良かった。
家に着いて風呂に入ってすぐ寝た。(芸人がバンジージャンプやるかやらないかってテレビでやってたけど、くだらないしとんでもなくチキンだと思う。テンションがうるさかった。ぽんと飛んじゃえばいいのに。というかね、バンジージャンプしたいじゃないか。楽しそうじゃない。羨ましいと思うよ。むしろスカイダイビングやってみたいなぁ。気持ち良さそうだと思う。鳥みたいで)

ある日曜日の情景・第2幕


日曜日の続きの話を聞いて欲しい。いや、ごめん、続きがあるんだ。本当にいつも長くて申し訳ないと思ってるよ…。

ブックファーストを出て、梅田の駅前の喫茶店に入った。
休憩もしたかったし、ちょっとお腹も空いてた。
でも入ってすぐに、喫茶店なんか入るんじゃなかったとものすごく後悔した。
店内のインテリアはヨーロッパ風で豪華だったけど、店員の態度がすこぶる悪い。
「ご注文は?」(しかめっ面と世の中これほど面倒なことはないという掠れた低い声で)
「…」
メニューはと問い返したい。メニューを寄越せと机をポンポン叩きたい。
誰もがみんなコーヒーを頼むと思うなよ。
………。
でも結局誰もがそうするように、アイスレモンティーを頼んでしまった。ジンジャーエールが飲みたかったけど高かった。
それとシナモントーストをひとつ。

ものを食べる時、おいしいかおいしくないか、その時の気分や状況によって変わることがあると思う。
普通の状態で食べれば、シナモントーストはまぁまぁだったはずだ。
でもその時の私はシナモントーストをまぁまぁだと思うことはできなかった。
シートのテーブル席に座ったんだけど、ひとつ机を空けた左隣には中年のカップルがいて、女の方がキャピキャピした声で「だから私は断ったのにあいつが付き合おう付き合おうってうるさくて――」
見ると大して可愛くもなんともない。ただのオバサンだった。
「あんたみたいなブスと誰が付き合うかってホンマ言いたいわー!」
聞きたくもない会話ほど、耳をどこか金庫に預けておきたいと思うことはない。
彼女の台詞にはもうノーコメントだ。
斜め前のテーブルにいた髭をめちゃくちゃに生やした中年の男性は、リズムを取るようにゲップをやり出す。
ゲップが治まったと思ったら次はくしゃみだ。それが治まったらまたゲップ。
自然の摂理とは言え、やるせなくなることこの上ない。
それだけならまだしも、右隣は4、5歳ぐらいの女の子を連れた親子連れで、その女の子がシートに寝転がるもんだから、私の黒いセシルのブーツカットに彼女のかかとが嫌というほど当たる。
それを見た彼女の母親が、「コラ、だめでしょ~。お姉ちゃんに迷惑でしょ~」とのんびり言う。
私のイライラのボルテージはうなぎのぼり。
別に子供が動きたがるのは当たり前のことだし、シートに寝転がろうが、黒いブーツカットを蹴ってくれようが、それは大したことないと納得できる。
子供は好きじゃないけど、怒るほどのことじゃない。
でも腹が立つのは母親の方だ。
「お姉ちゃんに迷惑でしょ~」って…、オマエ、アンタ、私、アンタのお姉ちゃんじゃないよ。気安くそんな風に呼ばないで欲しいな。
しかも「迷惑でしょ~」って、そんな風に言われたら、まるで私が迷惑がっていて、迷惑すぎてシナモントーストを咥えながら今にも死んでしまいそうなほど迷惑がってるみたいじゃないか。
たしかに蹴られるのは気持ちの良いことではないさ。
正直言ってラリアットをくらわせて、「今すぐ出てけ」と叫びたくなるほど精神状態は拮抗してるよ。
でも、頼むから気が滅入ってしまうような注意の仕方はやめてくれないか。
もし私が彼女の親なら、「私はあなたにそんなことは本当にしてほしくないんだ。だからやめて頂戴」って言うと思う。
あの母親みたいに言ったら、彼女が注意されてるのは、彼女自身の行儀の悪さのせいじゃなくて、私の存在によって注意されてるんだと思ってしまうじゃないか。
世の親にはそういう危惧はないのか?
悪いことを悪いと言うなら、どう言っても良いなんてのが、しつけであるはずがない。
って私は思うんだけどな。
ようやく少女は寝転がるのをしぶしぶ止めたけど、何だか恨めしそうに私の方を見てた。
ホントたまんない。
そしたら今度はオレンジジュースのストローを、指で弾き出した。
母親はまたしても、「コラ、やめなさいって。そんなことしたらお姉ちゃんにかかるでしょ~!」
かかんねーよ!!!ホント、かからないから。距離があるから。距離が。
ねぇ、ホントさ、私死んだ方がいいんですか?この世から影も形もなくきれいさっぱり消えた方がいいですか?そしたらあなた達親子は幸せになれますか?ねぇ、偉大なるお母さん。
チンプンカンプンで全く理解不能な小言や説教に、長年悩まされてきただけに、この少女の未来を案じたい。
余計なお世話だけど。
幼い子供がいるからと、せめてこの子が帰るまではと、我慢していた煙草に火を点けて、3本連続で吸った。
ささやかな抗議だった。
彼女と彼女の母親が帰る時、母親の方が「すみませんね」と私に声をかけて来たけど、私は自分にかけられた声じゃないって風を露骨に装って、本から視線を上げなかった。
でもイライラによって、同じ行を3度も繰り返して読んでしまった。
まったく、本当にまったく悪いとも思ってないような謝罪の言葉ほど、カンに触るものはない。

だけど間違いなくレモンティーは、レモンとガムシロップと、水の味しかしなかった。
斜め前のゲップを聞いた時点でさっさと引き上げるべきかも知れなかったけど、600円のレモンシロップウォーターとシナモントーストで、読みかけの本を全部読んでしまうという譲れない計画が、私にはあった。

漢字検定の自己採点をして、『フラニーとゾーイー』の残りを読んだ。
漢字検定はどうやらあと5点、足らなそうだった。
4000円と2単位が消えていき、私はまたさらに滅入ってしまった。

でも電車に乗った時の私は、BLUEの『SIGNED, SEALED, DELIVRED I'M YOURS』を聴きながら、指先でリズムをかすかに取りつつ、窓の景色を心から楽しむほどに回復していた。
『フラニーとゾーイー』は本当に、本当に心からいい話だった。
「いい話」だなんて陳腐な言葉を使いたくないと思うほどに。
深い、どこまでも深く、強い愛情を感じることができた。
ゾーイーの言葉は、私には痛く、ゆるやかな後悔を伴って、同時に素直に頷くことができた。
――この世界には、本当に美しいものだってあるんだ。
そう、私たちが知ってる世界なんてちっぽけなものなんだ。
彼の言うように、私たちが知ってる世界は「夏期講習とタッパー教授とちっぽけなこの家」でしかない。
それをまったくたかだかゲップや親子連れや5点足りないことにうんざりして。
または他の様々なことで絶望して。
「全てをエゴのせいにして、何も見ようとしない」
みんなそうだ。
私もそうだった。そして今も一部、そうなんだ。
誰もが本当は何も見てない。
絶望や汚れや、エゴや、罵倒や罵声、本当はそれしか見ようとしない。
見えないんじゃなく、自分で見ないんだ。
それで世の中や世界を知った気でいる。
実際はそんな世界、5円玉の穴ほどもないちっぽけな世界なのに。
それしかないと思い込んでる。
あなたは今何を見てる?
彼は渾身の力と言い知れない愛情を込めて、私たちとフラニーに、語りかけてくれてるんだ。
もっと目を開こうと思う。
もっと耳を澄まそうと思う。
もっとたくさんのものに触れ、たくさんの場所を歩こうと思う。
せっかく私には、多少視力は悪いけど、使用主に健気なまでに従ってくれる目と、健康な耳と、健康な両手と両足がある。
絶望もする。うんざりしてしまうこともある。傷付くこともある。タッパー教授みたいな人ばかりだと思うこともある。
だけど、それでもやっぱり、この世界には美しいものだってあるんだから。

ある日曜日の情景・第1幕


犯罪的に暑い一日だった。
暑いのは死ぬほど嫌だ。今自分の部屋でこれを打ってる。
エアコンの設定は19度だ。18度に下げようか迷う。
地球温暖化の原因はこの部屋にあると縮こまりながら思うけど、暑いのに堪えられない体質はどうしようもない。

漢字検定に行って来た。
まったく嫌になるぐらい暑かった。
教室には15分前からしか入れず、やけに早く着いてしまった私は、暑い廊下で5分も待ってなくちゃいけなかった。
廊下には大袈裟ではなく100人ぐらいの人が溢れてる。
問題集を広げている人、受験票で顔をパタパタ扇いでる人、ハンカチで汗を拭ってる人。
見てるだけでうんざりするような光景だった。
よくこんな暑くて人が多い所で漢字のテキストなんかを広げられるもんだと思う。
私にはとても真似できない。
せっかく覚えた漢字が脳内から熱気で息もできない退屈な廊下へ、次々に流れ出していくようだった。

検定を終えて午後は本を買いに行った。
本当は人と会う約束をしていたんだけど、またもやドタキャンされた。
彼女のことは別に気にしていない。
ついてなかっただけさ。
私は、例えば誰かとカラオケ行きたいなぁって思ってる時にこそ、誰もつかまらない、そういう死神でも憑いてんだろう。

ブックファーストは涼しかった。
まず始めに、入り口付近に並んで積まれてた『電車男』を20分も立ち読みしてしまった。
かなりおもしろい。
パラパラ流し読みしただけなんだけど、本を閉じる時、幸せな気分になることができた。
いい話なんだよ、ホント。
映画を見に行く気はないけど、匿名掲示板って匿名であるからこそ、誰かの幸せを本気で願うことだってできるんだ。そういうこともあるって、私は言いたい。
だって顔を突き合わせて、誰かの幸せを本気で願うなんて、気恥ずかしいじゃない。
例え顔を突き合わせる関係であっても、学校で挨拶程度しかしないような関係よりかは、よっぽど深く、強い絆だと思う。
こういう考えって、オタクっていうのか?
だったら私はオタクでいいや。挨拶しかしないような、またはできないような関係なら必要ない。
それにびっくりするぐらい、もしかしてプロなんじゃないのかね?っていうぐらいの文章の書き込みもあるしなぁ。何だかんだ言って。

それからいつも通り、海外文学のコーナーへ。
そして文庫本の棚の間も行ったり来たりする。
まるで狩りのような光景。
あっと言う間に、両手に抱えた本が、冗談じゃなく山になってきた。
これはまずいと真剣に思う。5千円しか持ってない。絶対足りない。
棚の横に置いてある椅子に座って、散々タイトルと最初のページを開いたり閉じたりしたあげく、ヴィクトル・ユーゴーの『九十三年』とシェイクスピアの『マクベス』、それからゲーテの詩集と、村上春樹の『海の上のカフカ』、アレン・ギンズバークの詩集、あとフィッツジェラルドの『グレートギャッツビー』は諦めた。
結局買ったのは

・ヴィクトル・ユーゴー『死刑囚最後の日』
・スコット・フィッツジェラルド『マイ・ロスト・シティー』
・シェイクスピア『夏の世の夢』
・リルケの詩集
・J・D・サリンジャー短編集(『マディソン街のはずれの小さな反抗』とか載ってるやつ)

結局同じような作家のばかりになってしまったと改めて今思った。
私はけっこう作家で本を選ぶんだ。
好きな作家のを全部読み終わったら、その作家が好きな作家、または同じ年代・同じ国の作家って感じで作家繋がりで読む本を決める。
ヴィクトル・ユーゴーは小学生の時に『レ・ミゼラブル』を読んでから興味があった。でもだいたいの書店は『レ・ミゼラブル』しかないじゃない。で、見つけたので購入。
リルケはたまたま手に取って、開いた最初の1ページ目の詩が、本当にすごく良くて、一目で惚れてしまった。
引用してみたい。興味を持ったら古い人だとか難しそうとか敬遠せずに、ぜひ本屋さんへ行ってみよう。

『君がどんな人でもいい、夕べがきたら
知りつくした部屋から、出てみたまえ。
遠い景色の前に立つ君の住居が、最後の家になる。
君がどんな人でもいい、
踏み減らした敷居から、ほとんど離れようとせぬ
疲れた眼で、
おもむろに君は一本の黒い木を高め、
それを大空に立たせる、ほっそりと孤独に。
こうして君は世界を造った。その世界は偉大で、
沈黙のうちにのみのることばのようだ。
そして君の意思が、その意味をつかむにつれて、
君の眼は、やさしくその世界を放す。』

次に読む本は決めてある。
シェイクスピアの『オセロー』にとりかかろう。

もしも…もしも、私には絶対必要ないけれど、不老不死の薬を飲めと、マグナムをこめかみに突きつけられて、飲まされてしまったら、私は世界中のあらゆる本を読むことに、その永遠の時間を使うと思う。
私が読みたい本の、いったい何分の一を、一生の間に読むことができるんだろう。
そう考えると嬉しくなる。
読み切れないほどの本がこの世界にはある。
大都会の、唯一の良いところは、大きな本屋さんがいっぱいあるところだと思う。

Alice said. "Where do you go on so much hastily"


最近、音なしの生活が考えられなくなってきた。
昔はね、あまりまぁ別にっていうぐらい…あった方がいいかなってぐらいだったのだけど、今は、というか本当にここ最近は音楽聴きまくりだね。
学校の行き帰りにウォークマンは手放せないし、下手したら授業中までも片耳は音楽の世界だったりする。
しかもそれが最近の曲じゃないんだ(笑)
最近流行ってるのがどんなのなのかは詳しくないけど、MTVとかで見てると、確かに「いい歌だな」ってのもある。
でもそんな四六時中聴くものでもないかなぁというのが正直な感想だったりするんだよね。
レンジとかでもね。5回か10回聴けば充分かなぁ、って。ああ、別に嫌いじゃないよ!むしろ好きなんだけど。四六時中聴くのは…。
(今も音楽を聴きたくてたまらない。でも何か文章を書いてる時は、無音じゃないと書けないんだ!)

ここ最近ずっと聴いてるのが、DragonAshの古い頃の曲。
「天使のロック」とか「チェルノブイリに悲しい雨が降る」とかの頃。
彼ら、ちょっと前までものすごくブレイクしてたよね、確か。「life goes on」とか。(ちょっと前か?とか言われそうだけど)
そういう最近のも良いと思うけど、私はやっぱり「天使のロック」あたりが好き。
曲風が全然違うんだよね。歌詞は相変わらずかなり心に沁みるものばかりだけど。
「いためつけられるよりは/まだ弱いままでいます」
(Ashの歌詞を何か書こうとして、これが一番に思い浮かんだ)
「sunset beach」もすごくいいなぁって思う。あれ聴くと心が穏やかになる。

あとこれは常にだけどBLUE。
彼らの歌詞は、恋をしている時は甘く、恋に破れた時は切なくも優しく染み込むようだと思う。
声もさすがUK産だなぁって思うぐらい素晴らしい。
4人それぞれ違うんだけど、それが見事によくマッチして、互いを生かし合ってる。
と、音楽に詳しくない私でも思う。
例えばリーの声は音域がおそらくメンバー一広く、力強くて、情熱的だし、ダンクは少し低く、甘い、それだけじゃなく切ない。アントニーはガラスのように壊れそうな繊細さを兼ね備えた優しさで響くし、サイモンはクールでありながら潤おわせる声でリズムを創る。
はじめて聴いた時からただものじゃないと思った。
PVではもちろん、MDだけでもその世界に引き込まれる。
心地良くさせてくれる。

それと私の中で近頃かなりの盛り上がりを見せているelf。
これは私の友達がお勧めしてくれたもので、彼女の友達のバンドさんだ。
だからなのか、親近感を勝手に沸かせてしまっている(笑)
(なんと、何度か私のHPにリーダーさんが遊びに来てくれてたりする!これはすさまじく自慢だ!)
彼らの奏でる音(と言っても残念ながらまだ2曲しか聴くことができていないのだけど)は、今まで聴いたこともないような音で、それでいて心と聴覚に、すっと、ごく自然に染み込んでいくようだった。
彼らの音楽を、ジャンルで表現することは難しいと思う。
(というよりも、私が音楽をジャンル別に区分することが得意でないのです。オレンジレンジってジャンルにすると何系なの?私と私の妹は、彼らみたいなバンドを総じて「バンド系」と呼んでいるなんて言って、無知をここで晒したくはない)
elfの音楽は、普通のポップスでは絶対ないし、ロックとはまたちょっと違うし、パンクなわけでもない。
ちょっと今思いつくような簡単な言葉では表現できないものだと思う。
でも曲も歌詞もすごくいいし、私の好き系だというのは確か。
とにかく勧めてくれた友達に感謝ですよ♪

考えてみれば音楽って、それぞれの時代を代表するように思う。
70年代はどうで、80年代、90年代はこうだ、とかではなく。
そういうのは音楽ジャーナリストに任せよう。
そうではなくて、私自身の、歩いて来た道を象徴するもののひとつだと思うんだ。
一番最初に買ったCDはKinkiの「硝子の少年」だった、たぶん。
シングル1枚500円だった。よく覚えてるなぁと思うよ、まったく。
でもジャニーズ系はそれっきりだ。
中学の頃にはビートルズにはまった。(まぁ誰でも一度はここを通るよね^^;)ここでUKミュージックというのにもどっぷりはまってしまったのだろうと推測する。
まだこの頃は邦楽を聴く余裕があって、椎名林檎とDragon Ashにもはまっていた。Dragon Ashは中学3年ぐらいがピークだったと思う。
だけどそれから洋楽一色になって、高校生活3年間は、完全にsex pistolsオンリーだった。
病的なほど、pistolsしか聴けなくなった。他のどの音楽も、pistols以外音楽になり得ていないと確信的に思っていた。
丁度、病んでいた。
「ANARCH IN THE UK」や「GOD SAVE THE QUEEN」を大音量で流しながら、正体不明の痛みに堪えた時代だった。
ある種の異様な光景だ。血を流すまで、腕や頭を壁にぶつけたり、もしくは自分の体のどこかを切り裂いたり開いたり焼いたりしてきた。病んでいた。
すべてに「fuck you」。「no future for you」が私の人生とそれ以上の全てと、犯罪的なほど完全にイコールだった。
そこからNERVANA、U2、WHAM!、主にロック系のMDが増えていった。不思議なことに、KISSとエアロスミスには手をつけていない。機会があればと思うけど、今までは縁がなかった。ボブ・ディランやマリリン・マンソンにも興味はあるけど、縁がなかったんだ。でも今でも興味を失っていないので、聴いてみたいと思ってる。
うん、それで今にいたるって感じだ。
NERVANAやU2は今でも聴くけど、ある時期ほどじゃない。
ビートルズは聴かなくなった。聴きすぎたせいもあると思う。
pistolsは、正直今でもかなり聴いてる。好きなバンドは?と訊かれて、一番に出てくるのが彼らであることに、今後も変わりはないだろうと思う。
新しく好きになったのは、BLUEとアヴリルだ。今後、彼らが私の歩く道の象徴的存在になる、すでになっていることは確実だ。
思えばこの中でBLUEは異色なのかなって思う。
それは私の中での変化が理由なのかも知れない。
何が変化したのか、またはそれが悪いことなのか良いことなのか。
それは大した問題じゃない。
ただ時代が変わり、時が流れ、私が変わった。
でも、素晴らしい音楽はいつの時代も存在し続ける。
好きなものが変わるんじゃない。
増えていくんだ。
それはとても、素晴らしいことだと思う。

I want something, but I can't find it now


本当に最近日記をサボっていたし、書きたいことがたまっているせいで、まとめてUPしてるのを、これを読んでいる人に申し訳なく思う。
ただでさえいつもいつも長いのに。
読むのに苦労するよね?まったく(笑)
それと同時にこの場でお礼を言いたい。
いつも読んでくれてありがとう。
あなたの興味がある時に、同時にあなたの時間が許す時に、またはこんな私の退屈な生き様を一部見たいと思った時に、読んでくれると嬉しく思う。心から謝礼を込めて。




うーん…今日は金曜日だ。金曜日だった。
そう、日付が変わってしまったので今書いてるこれを、みんなにお見せできるのは土曜かな。
金曜日は学校のゼミがある。
担当教師は我が素晴らしきマスコミュニケーション学科の学科担任で、偉大なるプロ作家だ。
本を何冊か出しているし(正直、私は興味が湧かなかったのでね、申し訳ないと思うけど買ってないよ)、俳句集なんかも出しちゃってるエライ先生だ。
冗談じゃなく尊敬してる。本当だよ。
彼の評価はいつも的確だし、私がたまに、意図していい加減な時も、意図せずにまずい作品を提出しちゃった時も、すっかり見抜いてチュッパチャップスの棒の残りカスほどの甘さも感じさせない魅力的だけどお腹のあたりが痛くなるような手厳しい評価を下してくれる。
彼のことは頼りにしてる。

今日、ゼミの始めに彼が黒板に自分の俳句を書いた。
私は俳句のことは良くわからないから、それをどうこう言うつもりはない。
俳句は難しいものだというのだけわかる。
でも、その時間、私はとっても失望してしまうことになった。
彼は自分の俳句の解説をやりだしたんだ。
この言葉を使ったのはこういう意味があり…
萎えた。ええ、そりゃもう、とってもがっくりきましたよ。
偉そうなことを言うことになるかも知れないけど、私は本でもどこかのサイトの小説でも、「はじがき」とか「あとがき」とかの所に、作者本人が自らの作品を雄弁に解説してるのを見るのはすごく苦手なんだ。
せっかく読み終わってすごく感動していても、その「あとがき」を読んだだけでその気持ちがいっきに冷めてしまう。
そういうことってない?
だいたいは読めばわかることしか書いてないし、こっそりこれはこういう意味を含んでた、なんて言われても、「そうだったんだ、ああ、そう」としか思わない。
だってそこに読者が入り込む隙間が用意されてないから。読者である私たちの居場所がないから。
そういう解説は、私たち読者の居場所を、見事に破壊してると思う。
感じる事や価値観は人それぞれなんだから、「あとがき」なる解説は、読者それぞれがやればいい。
そう思ってる。
だから、彼が解説を始めた時は本当にがっかりした。
それが俳句であっても。
何だか見くびられているような気がしたんだ。
確かに彼が選んだ言葉は斬新で、彼の解説を聞いて「なるほど」とは思ったさ。
でもそれだけ。
与えられた答えは自らが探して見つけた答えとは価値が違う。
私たちには探せないと思ったのだろうか。
その言葉の意味を。
本を読む楽しみっていうのは、そこにある意味を、作者が言おうとしていることを、展開にわくわくしたり、時には頭を悩ませたりしながら、自分で拾い集めていくことにあると思う。
少なくても私は、絵本意外の本を読み始めた頃からそういう風に読んで来た。
(これは本当に。ちょうどそのぐらいの年齢の時に、ある国語の先生が、私に「本を読む時は作者の言いたいことを探せ」って教えたのがキッカケなんだ。)
本当の本当に作者が言いたかったこと、この物語でしか伝えられなかったこと、それを正確に見つけることができなくても、手に入れた答えは自分が見つけたものだ。それはものすごく価値があるものだと思う。
ただ楽しむだけでも意味がある。でもそこに考える要素が加われば、もっとそれが価値あるものになると思うんだ。
俳句だって同じだろう。
例えば「チーズ」って言葉が入ってて、作者は何故「チーズ」という言葉を選んだんだろう。とか、「サラダ」だったら何故「サラダ」でなくちゃいけなかったんだろう、とか。
納得いく答えを引き出せたら、宝物を見つけたみたいな気分になるじゃないか。
素敵なことだよ。
でもそれを、書いた本人自らべらべらしゃべっちゃったらその楽しみがなくなる。
踏み込む余地がない。
翻訳なんかで訳者が解説を加えるのは別にいいと思うよ。それは訳者一個人の見解として捉えることができる。よくあるお礼や何かを付け加えるのもいい。
でもね、繰り返すけど自らその物語について語っちゃったらつまんないよ。
だからね、言って欲しくなかったし、して欲しくなかったなって思うわけ。
残念に思う。
授業だから仕方ないんだと思うけど、それにしても残念だったな。
しかも文壇の世界で誉められたなんてことも彼は言っちゃった。
そのことも、同じぐらい残念だ。

Wendy said to me. "When do you grow up?"


さっきまでチャットで「彼女にフラれるかもしれない」という話を1時間半余り、ずっと聞かされてた。
これがまたシビアで相当複雑な問題で…詳しいことはここでは省くけど。
率直に言うと、重い話題だ。
嫌いではないんだよ、決して嫌いでは。
でもいったい私はどう言えば??
日本語での会話だってこういうナイーブな問題は、しかるべき言葉を慎重に選んで話さないと、相手を傷つけてしまうことになる。
励ますにしても、叱咤するにしても、理解するにしても。
でもねぇ…正直話を聞いて、頭の中で日本語にして、理解するだけで精一杯だよ。
スピードについてけない。限界を感じる。
「今日はどうだった?」とか、「今日はこんなことをした」とか、「イングランドに行ってあれとこれをするつもりだ」とか、「サッカーがどうだった」とか、そういう話題なら可もなく不可もなし、って程度にならついていけるよ。
でも気の毒な問題は、政治問題を論じるのと同じぐらい繊細で難しい。
考えてみれば学校や英会話とかの教室じゃ、そういうの習わないんだよね。
「彼女にフラれそうな男の話を上手に聞いて、元気を出させてあげる方法と構文」とかさ。
そういうコース絶対ないよね。
私は心の底から願ってるよ。彼が元気になってくれることと、彼の心の平穏が戻ってくることを。
でもね、それをどう伝えていいのかわからない。
もちろんそれをそのまま言うこともできるさ。
でもそれだけだ。それでは相手を理解したことにはならない。自分の願いや望みを押し付けただけの形で終わる。
ましてや「心配しないで」なんて言われても…もう聞いてしまったのだからどうしようもないだろう。じゃぁもっとポジティブな話題か、サッカーの話題にしてくれよ。私には難しすぎる。自分のレベルをはるかに超えた所に全ての問題がある。正直、手も足も出ない。
でも会話ってそういうものだ。
いつもいつも、「今日はどんな日だった」とか、「明日の予定」ばかりを話すわけじゃない。
それは、言ってみれば会話の前座のようなもので、とっかかりに過ぎない。
そこから、こう、ディープな話題や、もしくはネガティブな話題に転じることもある。充分それは理解している。
でも、そういうのは学校で習わない。
学校の英文の教科書を持ってる人は今から広げてみよう。
決まりごとのようにポジティブだ。そうでなければ、まぁまぁか、「だからどうした」という内容だ。
ここに私が使っていた英語の教科書があります。さて、開いてみる。
何が主に書いてあるかと言うと、「私は学校へ行きます」「私は良い少年です」「私の弟は私より背が高い」「私の叔母が私のために自転車を買ってくれました」「彼はフランス語が話せます」「私はちょうど手紙を書き終えたところです」「あなたはライオンを見たことがありますか」「彼女はあなたが昨日会った女性です」「私は逃げていくひとりの男と彼の犬を見た」「彼が見つかったという報せは私を驚かせた」などなど
きりがないからこの辺でやめるけど、ざっとこんなもんだろう。どこの教科書も。
なんだろうね…読み返して思うけど、「ライオン」って…^^;「背が高い」って言われても、2へぇぐらいの感慨しかない。
確かにそれは必要だろう。
背が高いか低いか、自分の弟を紹介するときなんかには重宝するだろう。
でも、だから繰り返すけど、それは会話の前座であって会話ではないんだ。
例えば友達と話してて、「私の弟は私より背が高いねん!」「へえー、そうなん!?何センチ?」「158センチ」「それはあなたが小さいんだヨ」「いや、でも私の家族ってみんな小さいからなー」…ナントカカントカ。
ってこういうのが会話と言うでしょう?
でも、「私の弟は私より背が高いねん!」の次、次は教科書に載ってない!
載せる必要もないし、スペースも限られてるし、それはそれぞれの価値観や感じ方に委ねられているのだと理解できる。
だけど頭を悩ませる点だ。
「へぇー、そうなん!?」コレ、いったい英語でどう言えば?
まだ上記のような会話なら初歩的で、何を言っても当り障り無くこなすことができるかも知れない。
でも今日のように、フラれるフラれないだの、ナイーブな問題だと、何か言ってしまったことで当たり障ってしまう可能性の方がものすごく高い。
それは相手への敬意が欠けてるから、とか誠実さがなかったとか、そういうのとは別なところの話だ。
それらが充分に備わっていたとしても、気持ちだけでは伝わらないこともある。
うーん、限界。語彙不足をひしひしと感じた夜でした。
とりあえず、相手の器量が大きくて、怒らないでいてくれたことが救いかも知れない。
「大丈夫だよ。あなたは素敵な人だと私は思うし、私にとってとてもいい友達なんだよ。彼女はあなたと幸せになるべきだし、彼女もきっとそれを望んでる。だから自信を持ってください」
うんと長い時間考えて、その間私はチャット上沈黙だ、チャットと電話で沈黙はどうしたもんかと思う、まぁかなりの時間を必要としながらやっとの思いでそれだけ言った。
ねぇ、ほんと聞いて呆れるぐらい陳腐な言葉だ。
かと言って日本語で会話した時も、これ以上の言葉を編み出せるかも疑わしい。
それはもう、日本語だとか英語だとかを超えた問題かも知れない。
ここまで英語の教科書の非なる点をさんざん言っておいてこう言うのもアレなんだけど。
根本的に私には何かが不足してるのだろう。
一生懸命励ましたり、元気付けようと思っていても、嘘っぽく聞こえたり、陳腐に思える。決して嘘から産まれた言葉ではないのに。
英語であっても日本語であっても、私は会話というのが苦手なのかも知れない。
もしも、もしもそうだとすると、ちょっと致命的だ。
あらゆる意味で致命的だ。




うん、絶望してしまうのでそういう風には考えないでおこう。
気持ちが誠実であれば、少なくてもほんの少しは相手に通じる。
それを信じたい。
伝えたいと思うことを真剣に伝えたいと思えば、きっと相手も理解しようと、ほんの少しは耳を傾けてくれる。
それを信じるからこそ、私は何かを書くことができるし、一方通行かも知れないけれど語り手になれる。
それを信じて、私は言葉を紡いでいきたいと思う。
語彙不足を解消する努力をしながら。

I saw a fantastic sunset...


昨日、パルマとボローニャのプレイオフを見ている時、妹が隣で現代社会のレポートをやっていた。
ちょうど宗教のとこで、彼女はレポートをやりながら憮然として私に言ってきた。
「『キリストは全人類の罪を償うため十字架にはりつけになった』ってさぁ、これどう思う?」
私はルオーポロがペナルティ内に抜け出すのを見て、「おー!」とか思いながら、「どう思うって言われても…どう言えば?」
「だから、こういうのどう思う?神がどうとか」
「私は信じないけどね。というよりどっちでもいいよ。縋るものがあるのは別にいいことやん」
「縋るとかってさ…」
「まぁ、ちょっと聞いてよ。例えば『デイ・アフター・トゥモロー』みたいな世界が突然やって来るとする。上から摂氏マイナス110度の空気がすごいスピードでおりてくる。自分の命があとコンマ何秒って時に、祈る対象があるのは幸せなことじゃない?」
「でも何か人間の弱さをひしひしと感じない?」
「それはまぁそうだけどね。でもこう考えてみようや。神を信じている人は自分の最後の日にスコッチで乾杯する時(『デイ・アフター・トゥモロー』でそうゆう場面があった。)、『アーメン』か『神へ』と言うとする。それで救われると信じているから。でも私たちは信じてない。だったら救われないのか、不幸になるのか、そんなことは決してない。例え明日地球が滅んでも、乾杯する時『ミランへ!』と言えばそれで幸せやん、そうやろ?」
「えー、私はミランに縋ったりしない」
「縋るんじゃない。信じるんでもない。ただ、乾杯する時に誰に乾杯を捧げたいかだよ。万歳するとしたら誰に万歳したいか。『神よ万歳』でも『天皇陛下万歳』でも、『俺の人生万歳』でも、広い意味では結局同じだと思うな」
妹はおとなしく聞いてたけど、横目で私を見て、「なんか素直に頷きたくないな。釈然としないってやつ」
「でもいよいよ死ぬって時に、それがもう決まってんのに、慌てふためいて結局は混乱しながら貞子でも見たようなヨダレと鼻水でべとべとの顔で死ぬよりは、『ミラン最高!』っつって死ぬ方がよっぽど幸せやろ?」
「それはそう。でも人は弱いな。キリストや仏や、あらゆる宗教や偶像や伝説は、結局のところ人間が創り出したもんやろ?あらゆる聖書や神話に科学的根拠があるん?自分たちで創ったものを自分たちで信じるしかないとか、まるで、こう、ひとりで相撲してるみたいな感じやんか。信じる対象すら自分で創るんやで。自作自演やん」
彼女はレポートをひらひらやりながら欠伸をした。
「別に信じたくなかったら信じなくていいやん。でもレポートにそう書いたら再提出のハンコ押されるだけやからな。てかサッカー見ようぜ。」
「見てるやん。あ、ジラルディーノ今スタンドにおったで。見た?」私は頷いた。「神も仏も私は知ったこっちゃないな!私の人生は私のもんやし。なんでキリストに罪を償ってもらわなあかんねん」と彼女は画面を見ながら呟く。
「まぁなー。何に捧げたいか、またはどう生きるかは自分で決めるしかないんやろ」
ふーんと、彼女はシャーペンで遊んでいた。

妹とはこういう、建設的とは言えないけどある意味哲学的かも知れない人生論をたまにする。
学校の友達とか外では絶対しない話だ。
彼女も彼女の友達の前では絶対しない話だろう。
私は、死ぬときはきっとミランの名前を呼んで死ぬだろう。
それが私の幸せな死に方だ。
時には祈るかもしれない。
誰もが願いを持ち、生きている限り祈っているんだと思う。
誰かの健康や、誰かの無事を。何かの勝利や、何かの成功を。
でも最後は、祈りではなく、願いでもなく、何かや誰かの名前をただ言いたい。
人生がそういうものであればいいと思う。

and I pray your happiness. may I?


私は割と信用されてない人間なんだと気付かされた。
ショックというより驚いた。
もちろん私も人間だから、間違うことはある。というより間違いだらけの人生です。
いくら「そんなつもりはなかった!」なんて言っても、取り返しのつかないことを知らないうちにしてしまっている時がある。実際あった。あの時は言われて初めて気付いて、弁明の余地もなかった。とんでもないことをしたことが。
あの時は殺してくれと本気で思った。
だから全面的に否定はできない。証拠もない。自分の潔白を証明する手段もない。
実際取り返しのつかないことをしてしまう人間だから、自分自身の記憶や言葉に完璧な自信が持てないのも正直なところ。
ただ、卑怯な嘘は吐かない。
どうでも良い人間にならどうでも良い嘘をほいほい吐くやつだけど、ただ、大事だと思う人に対しては、ただただ誠実でありたいといつも思ってる。
そんな卑劣な嘘は吐かない。
全ての言葉や行動に責任を持つのは大変だし、全てにおいて正直でいることは難しい。
でも少なくても、私の守れる範囲のルールで言わせてもらえるなら、大事にしたい人には正直でありたい。大事だから。
真摯に向き合って来たつもりだった。
嫌われてしまうかなと脅えることでも、曖昧にはしたくなくて、胸の内を話して来た。また、相手もそうであると考えていた。
でもそれは、ただの「つもり」だった。

私はひどい人間だ。
勝手にひとりで自分は真摯だったと思い込んでいた。
そう思うことこそ傲慢以外の何者でもない。エゴだ。
良い人間になろうとは思わないし、その定義も分からない。
だけど、せめて愛する人を傷付けるような人間にはなりたくない。大切にしたい人の気分を害すような人間にはなりたくない。
自分を振り返る。
もっと気を遣うべきなんだ。
謙虚になるべきなんだ。
もっと相手を尊重しながら付き合っていかなくてはならないんだ。
甘えは時に自分を崩壊させる。
「この人なら大丈夫」とか、そういう考えが滅相もないことなんだろう。
何かこう書いてると強迫観念か疑心暗鬼にかられてるように見えるかも知れないけど、そんなことは全然ない。
だってそうだろう。人と付き合うってさ、思いやりと敬意なんじゃないか。それがなくなってしまえば、人間関係の継続は不可能だと思う。
行いを振り返って充分後悔しようと思う。
そして成長したい。
気付かせてくれた友人のために。私の周りの人のために。そして、私のために。
愛とか友情とか、思いやりとか尊敬とか、
形にならないものを表現するのはひどく難しい。
でもそれがないなら一人で生きていくしかなくなる。
大都会の雑踏に囲まれていても、無人島にいる以上の、本当の意味での孤独だ。

成長するにはどうしたら良いだろう。
形にならないものを示すためにはどうしたらいいだろう。
嘘だと思ったことを正直に話してくれた友人が、まだ私と友達でいたいと思ってくれるなら、それは示すためのチャンスを与えられたってことなんだろう。
完璧には誰もなれない。
信じてなんていう言葉は大嫌いだ。
でも今は、それを言うしかない自分が情けない。
私がこれまで、図らずとも少しずつ、つけてしまっていた亀裂を埋めるには、どうしたらいいだろう。
壊してしまうのは簡単だ。切ってしまうことは容易い。
でも私はそうはしない。
その程度の感情でも関係でもない。

知らず知らず、人は誰かを傷つけている。
大なり小なり、人は誰かを不快にさせてる。
お互い他人だから、相手がそれをいつどこで思っているかは分からない。
でもそれ以上に、「いいとこもあるじゃん」って言ってもらえる人になれたら、素敵だよね。
正直に、「きみの悪い所はそこだよ」って言ってもらえる人になれたら、嬉しいね。
そして、それを真剣に、素直に、胸に刻める人になりたい。
認め合えればいいね。悪い所も、良い所も。悪い所も「しょうがないな」って許してくれたり、「あんたのそこが嫌い」とか、言ってくれる存在はとても大事なんだよね。
謙虚になろう。
思いやりを持とう。
せっかく、「ありがとう」と「ごめんなさい」って言葉が日本語にはあるんだ。
私はその言葉が、一番美しいって思うんだ。