こんにちは。
AC です。
今日は、東京・竹橋の東京国立近代美術館に、
『安田靫彦展』を見にきました。
「歴史画の大家」とも言われる日本画の巨匠「安田靫彦」の大規模回顧展です。
※歴史画……神話・伝説を含めた歴史上の出来事を題材として描いた絵画。
※回顧展……美術で、特定の作家を取り上げ、全生涯における作品や活動を総覧する展覧会。
歴史の教科書にもよく載っているため、画家の名前は知らなくても、作品が記憶に残っている人は多いのではないでしょうか。

「安田靫彦展」チラシ
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
『安田靫彦展』
■会期
2016年3月23日(水)~5月15日(日)
10:00~17:00 (金曜日は20:00まで)
※入館は閉館の30分前まで
※休館日:月曜日
■会場
東京国立近代美術館
※東京メトロ東西線「竹橋」駅1b出口から徒歩3分
■観覧料
一般1,400円、大学生900円、高校生400円
■主催
東京国立近代美術館、朝日新聞社、BS朝日
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
最初の難関は……名前の読み方!?
「安田靫彦」は「やすだ・ゆきひこ」と読みます!
何度聞いても忘れてしまう、難しい字です(^_^;)
そこで「靫」という字を調べてみました。
「靫 (ゆき、うつぼ)」とは、
矢を入れて、腰や背につけて携行していた、細長い筒のことを言うんだそうです。

「靫(ゆき)」
今回の「安田靫彦(やすだ・ゆきひこ)展」は、東京国立近代美術館では1976年2月以来、40ぶり2度目の回顧展となります。
ただ前回は画家の意向により、明治期や戦時中に描いた作品は展示されなかったんだそうです。
その意味では、今回こそが、本格的な「回顧展」と言えそうです。
「美しい線」、「澄んだ色彩」、「無駄のない構図」
私たちが日本画に対して抱くこのようなイメージを作り出し確立させたのが、
誰あろう、この「安田靫彦」だと言われています。

「回顧展」として、生涯に渡る変化を見やすくするために、会場は年代順に構成されています。
〇1章「歴史画に時代性をあたえ、更に近代感覚を盛ることは難事である」1899-1923
〇2章「えらい前人の仕事には、芸術の生命を支配する法則が示されている」1924-1939
〇3章「昭和聖代を表象するに足るべき芸術を培ふ事を忘れてはならない」1940-1945
〇4章「品位は芸術の生命である」1946-1978
まず、入場して最初に驚くのが、安田靫彦が少年時代に描いた作品群です。
目の覚めるような写実的な歴史画、「木曽義仲図」の制作年齢が15歳であることに度肝を抜かれてしまいました。
美術館で作品を見て、ハッと驚くというのは滅多にないことです。
安田靫彦は1884年の東京生まれ、展覧会で目にした横山大観や下村観山、菱田春草らの作品に感動して画家を志し、14歳で歴史画家の小堀鞆音に入門しました。

「守屋大連」1908年 (物部守屋)
24歳の時の作品。飛鳥時代、聖徳太子と蘇我氏と激しく対立し、仏教の国教化に反対した物部守屋を描いています。守屋の不穏な表情が、もうすぐ一触即発な事件の前触れを暗示しているようです。

会場風景(「黄瀬川の陣」)

重要文化財「黄瀬川の陣」1940-1941年
挙兵した源頼朝のもとに義経が参上した場面。今の静岡県沼津あたりの「黄瀬川」で、平家打倒の陣を張っていた源頼朝の元へ、弟の源義経がやってきて、20年ぶりの再会を果たした場面を描いた屏風画です。
兜、武具、鎧の色から、なんと畳の縁の模様まで、当時の史料「吾妻鏡」を参考に、忠実に描いたのだそうです。

「黄瀬川の陣」を描く安田靫彦

「伏見の茶亭」1956年 (豊臣秀吉)

「飛鳥の春の額田王」1964年

「卑弥呼」1968年、84歳の時の作品。
卑弥呼は邪馬台国の女王。邪馬台国の所在地については畿内と九州の二説がありますが、この作品は背景に阿蘇山を描いた畿内説に基づいたもの。

「出陣の舞」1970年(織田信長)
桶狭間の合戦の前に、幸若舞「敦盛」を舞った織田信長を描いた作品。
作品を間近で見ることができ、作品の描き方の変化がよくわかりました。
でもこれは、写真や図録ではわからないんですね(^_^;)
日本画ファンや歴史ファンの方だけでなく、
機会があれば、ぜひ美術館を訪れ、直接自分の目で楽しんで欲しい展覧会でした♪
ドラマはいつでも、ハッピーエンド。
「逢えて、よかった\(^_^)/」
それでは、また次回♪
AC です。
今日は、東京・竹橋の東京国立近代美術館に、
『安田靫彦展』を見にきました。
「歴史画の大家」とも言われる日本画の巨匠「安田靫彦」の大規模回顧展です。
※歴史画……神話・伝説を含めた歴史上の出来事を題材として描いた絵画。
※回顧展……美術で、特定の作家を取り上げ、全生涯における作品や活動を総覧する展覧会。
歴史の教科書にもよく載っているため、画家の名前は知らなくても、作品が記憶に残っている人は多いのではないでしょうか。

「安田靫彦展」チラシ
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
『安田靫彦展』
■会期
2016年3月23日(水)~5月15日(日)
10:00~17:00 (金曜日は20:00まで)
※入館は閉館の30分前まで
※休館日:月曜日
■会場
東京国立近代美術館
※東京メトロ東西線「竹橋」駅1b出口から徒歩3分
■観覧料
一般1,400円、大学生900円、高校生400円
■主催
東京国立近代美術館、朝日新聞社、BS朝日
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
最初の難関は……名前の読み方!?
「安田靫彦」は「やすだ・ゆきひこ」と読みます!
何度聞いても忘れてしまう、難しい字です(^_^;)
そこで「靫」という字を調べてみました。
「靫 (ゆき、うつぼ)」とは、
矢を入れて、腰や背につけて携行していた、細長い筒のことを言うんだそうです。

「靫(ゆき)」
今回の「安田靫彦(やすだ・ゆきひこ)展」は、東京国立近代美術館では1976年2月以来、40ぶり2度目の回顧展となります。
ただ前回は画家の意向により、明治期や戦時中に描いた作品は展示されなかったんだそうです。
その意味では、今回こそが、本格的な「回顧展」と言えそうです。
「美しい線」、「澄んだ色彩」、「無駄のない構図」
私たちが日本画に対して抱くこのようなイメージを作り出し確立させたのが、
誰あろう、この「安田靫彦」だと言われています。

「回顧展」として、生涯に渡る変化を見やすくするために、会場は年代順に構成されています。
〇1章「歴史画に時代性をあたえ、更に近代感覚を盛ることは難事である」1899-1923
〇2章「えらい前人の仕事には、芸術の生命を支配する法則が示されている」1924-1939
〇3章「昭和聖代を表象するに足るべき芸術を培ふ事を忘れてはならない」1940-1945
〇4章「品位は芸術の生命である」1946-1978
まず、入場して最初に驚くのが、安田靫彦が少年時代に描いた作品群です。
目の覚めるような写実的な歴史画、「木曽義仲図」の制作年齢が15歳であることに度肝を抜かれてしまいました。
美術館で作品を見て、ハッと驚くというのは滅多にないことです。
安田靫彦は1884年の東京生まれ、展覧会で目にした横山大観や下村観山、菱田春草らの作品に感動して画家を志し、14歳で歴史画家の小堀鞆音に入門しました。

「守屋大連」1908年 (物部守屋)
24歳の時の作品。飛鳥時代、聖徳太子と蘇我氏と激しく対立し、仏教の国教化に反対した物部守屋を描いています。守屋の不穏な表情が、もうすぐ一触即発な事件の前触れを暗示しているようです。

会場風景(「黄瀬川の陣」)

重要文化財「黄瀬川の陣」1940-1941年
挙兵した源頼朝のもとに義経が参上した場面。今の静岡県沼津あたりの「黄瀬川」で、平家打倒の陣を張っていた源頼朝の元へ、弟の源義経がやってきて、20年ぶりの再会を果たした場面を描いた屏風画です。
兜、武具、鎧の色から、なんと畳の縁の模様まで、当時の史料「吾妻鏡」を参考に、忠実に描いたのだそうです。

「黄瀬川の陣」を描く安田靫彦

「伏見の茶亭」1956年 (豊臣秀吉)

「飛鳥の春の額田王」1964年

「卑弥呼」1968年、84歳の時の作品。
卑弥呼は邪馬台国の女王。邪馬台国の所在地については畿内と九州の二説がありますが、この作品は背景に阿蘇山を描いた畿内説に基づいたもの。

「出陣の舞」1970年(織田信長)
桶狭間の合戦の前に、幸若舞「敦盛」を舞った織田信長を描いた作品。
作品を間近で見ることができ、作品の描き方の変化がよくわかりました。
でもこれは、写真や図録ではわからないんですね(^_^;)
日本画ファンや歴史ファンの方だけでなく、
機会があれば、ぜひ美術館を訪れ、直接自分の目で楽しんで欲しい展覧会でした♪
ドラマはいつでも、ハッピーエンド。
「逢えて、よかった\(^_^)/」
それでは、また次回♪