こんにちは。

AC です。



今日は、これから東京北区の「王子」まで用事がありまして、こんな話を思い出しちゃいました(^_^;)

落語の「王子の狐」の話。

5代目古今亭志ん生
5代目古今亭志ん生


東京の「王子」といってもわからない方も多いと思いますが、

「王子といえば?」

「お狐さま」

と言うくらい、王子稲荷神社と縁の深い所なんです。

落語の「王子の狐」が、「王子」と「キツネ」のイメージをさらにダブらせているかもしれません。


私が子どもの頃、落語だけではなくて、「人間が狐に化かされた話」は普通によく聞かされたように思います。

若い美人に化けた狐についていき、気持ちよくお風呂に入っているつもりが「肥溜め」に入っていたとか、

美味しい「ぼた餅」にありついたつもりが気がつくと「馬の糞」を食べていたなんて、かなり強烈な化かされ話です。

キツネ(イラスト)


落語「王子の狐」は、人が狐に化かされるのではなく、人が狐を化かす噺(はなし)ですが、ご存じない方のために、あらすじをご紹介させていただきます。

(あらすじ)
ある男が王子の原で、狐が若い娘に化けるのを見た。誰を化かすのだろうと、周りを見回すと自分一人しかいない。化かされるくらいなら、こちらから化かしてやろうと算段し、「お玉ちゃん」と、声を掛けて料理屋「扇屋」に入る。二階の部屋に入り上座に座らせ、あぶらあげでなく天ぷらを注文。男は刺身と酒を頼んで、差しつ差されつやっているとお玉ちゃんは安心して酔いつぶれ、床の間を枕に寝込んでしまう。見計らった男はお土産の卵焼きをもらって、ドロンしてしまった。

だいぶ寝込んだお玉ちゃんを起こしに行った女中が、お連れはもう帰ってしまったし、お勘定はあなた様からもらえと言われたと告げると、ビックリしたお玉ちゃん、尻尾を出してしまう。それを見た女中はもっと驚いて、階段を股が裂けるほどの勢いで飛び降りてご注進。みんなで上がって見ると狐が考え込んでいた。部屋の狐をとっちめてやろうと棒きれを持って飛び込むと、狐は必死に逃げ回り、追いつめられると”狐の最後っぺ”を発射して這々の体で逃げ延びた。

話変わって、化かした男は友達の家に「扇屋の卵焼き」をお土産に持って行く。事の次第を話すと、友人は「狐は執念深い。そんなたたりのある物は貰えない」と、脅かして帰す。家に帰ってきたが 、家族に異変が無く、たたりも何事もなかったので一安心。

翌日、謝りに狐と会った所に手土産を持って訪ねると、巣穴とおぼしきあたりで子狐が遊んでいた。子狐に事情を話し、お詫びの印だと土産を渡す。

さんざんいじめられて苦しんでいる母狐に、今人間がきて謝りながらこれを置いていったと渡す。「人間て執念深いんだね」と警戒しながら開けてみると、美味しそうな「ぼた餅」が出てきた。子狐は盛んにほしがるが、母狐は「食べんじゃないよ。馬の糞かもしれない」。


この母狐の台詞「馬の糞かもしれない」が「落語の下げ」「落ち」ってやつなんですね。


「王子の狐」は、江戸の正徳2年(1712年)刊の笑話本「新話笑眉」中の「初心な狐」が原話で、

落語としては上方で磨かれ、「高倉狐」として口演されました。
(舞台は大坂・高津の高倉稲荷境内、狐を連れ込む先が、黒焼と並んで高津の名物の湯豆腐屋の二階)

東京には、明治16年、真打に昇進直後、当時23歳の初代三遊亭円圓右が逆移入したのだそうで、五代目古今亭志ん生、八代目三笑亭可楽も得意でした。

3代目古今亭志ん朝や5代目三遊亭円楽を経て、現在も数多くの演者に継承され、演じられています。


何人かの落語家の「王子の狐」を聞いてみたのですが、やはりこの方、

昭和落語の名人と言われる「5代目古今亭志ん生」が一番上手ですね。

晩年の録音なので、ゆったりとした気持ちで静かに耳を傾けると「志ん生」の語りの世界に入れます。

5代目古今亭主志ん生
5代目古今亭志ん生


お時間のある方は、ぜひお楽しみください♪


古今亭志ん生・王子の狐


それでは私も、

ちょっくら王子まで、行ってまいります♪



ドラマはいつでも、ハッピーエンド。

「逢えて、よかった\(^-^)/」


それでは、また次回♪


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