こんにちは。

AC です。



今日は、池袋の西武百貨店内にあった「西武美術館」のお話です。
#「西武百貨店池袋店」宝くじ展'80~1980
#「宝くじ展'80」初めてのプロジェクト~1980



展示・ディスプレイ会社「乃村工藝社」で、初めて担当することになった「宝くじ展'80」の会場は、西武百貨店池袋店の大催事場でした。

当時(1980年)の西武百貨店は、飛ぶ鳥を落とす勢いの人気百貨店になりつつあったのですが、

その理由のひとつは、糸井重里考案の「キャッチコピー」であり、もう一つが「西武美術館」の存在にありました。


「マルセル・デュシャン展」西武美術館(1981)
「マルセル・デュシャン展」西武美術館(1981)


西武美術館は1975年に、西武百貨店池袋店内に開館した美術館です。(1989年にSMA館に移転しセゾン美術館に改称、1990年に閉館)

建築、デザイン等を含む「20世紀内外の現代美術」に特化した内容で、人気を集めていました。

大学時代から、浦和(現在のさいたま市)に住んでいた私にとって、

池袋は「一番近い東京」だったこともあり、毎月のように「西武美術館」に通っていたものです。


「西武美術館」
西武美術館のファサード



当時、セゾングループを率いていた「堤清二」の意向を強く反映し、

百貨店の宣伝的機能を超えた、いわゆる「企業メセナ」活動のさきがけとも言えるものでした。

堤清二(1927-2013)
堤清二(1927-2013)


堤清二は、「西武美術館」の開館にあたって、次のように述べています。(1975)

『この美術館が街のただ中に建っているということは、空間的な意味ばかりでなく人びとの生活のなかに存在することに通じているべきだと思います。ここで例外的に私達が一つの主張を述べるのは、美術を重要なジャンルとする芸術文化の在り方が、生活と、ことに大衆の生活と奇妙な断絶の関係を持っているという認識に立っているからです。

自分達の生活意識の感情的表現として美術作品に接するのではなく、海外から指導者によってもたらされ開示された教養を、礼儀正しく鑑賞するという姿勢で接することが、いかに深く美意識の閉塞状態とかかわってきてしまったかについては多言を要しません。作品を大急ぎでジャンル別に分類しなければ気が済まないという一事をとってみても、百科辞典的な知識を前提として美術品の前に立つことがいかに多かったかを証明しています。私達がこれから取扱う作品は、その意味では分類学的な境界を無視していると言えましょう。
その結果として、印刷、映像、生活美術等に、対象が拡がっているという印象を見るひとに与えることになるかもしれないと思います。ただ多種多様の作品をとおして、常に時代精神の表現の場であって欲しいと願っています。』


「西武美術館」のプログラムラインナップは、こんな感じでした。

「パウル・クレー展」
「ロシア・アヴァンギャルド展」
「ニコ・ピロスマニ展」
「バルテュス展」
「ジョージ・シーガル展」
「カンディンスキー展」
「ワイエス展」
「アンセルム・キーファー展」
「クルト・シュヴィッタース展」
「マルセル・デュシャン展」
「フルクサス展」
「ヨーゼフ・ボイス展」
「イブ・クライン展」
「ジャン・デュビュッフェ展」
「マン・レイ展」
「コルビュジェ展」
「バウハウス展」
「ウィーン世紀末展」
「マンダラ展」



そんな西武百貨店も、集客のためにさまざまな催事を仕掛けます。

その催事の一つ「宝くじ展」のお話は別の回で♪



それでは、また次回(^_^)v



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