こんにちは。
AC です。
1969年、大阪万博前年のこの年は、
日本のポップ音楽にとって、大きな節目の年と言える重要な年でした。
・「赤い鳥」の結成
→♪「赤い鳥」新しい音楽の風~1969
・「アルファミュージック」の設立
→♪作曲家「村井邦彦」日本ポップスの風~1969
・「シング・アウト」の結成
→♪「涙をこえて」シング・アウト~1969
そして、今日のタイトル、
「はっぴいえんど(HAPPY END)」が結成された年です。
私が初めて、「はっぴいえんど」の音楽と遭遇したのは、セカンドアルバム「風街ろまん」(1971.11月)でした。

2ndアルバム「風街ろまん」はっぴいえんど(1971)
中でも、細野晴臣ボーカルの「風をあつめて」は、たくさんのカバー曲を生んでいるので、聞いたことがあると思います。
「風をあつめて」はっぴいえんど(1971)
作詞:松本隆 作曲:細野晴臣
街のはずれの
背のびした路次を 散歩してたら
汚点だらけの 靄ごしに
起きぬけの露面電車が
海を渡るのが 見えたんです
それで ぼくも
風をあつめて 風をあつめて 風をあつめて
蒼空を翔けたいんです
蒼空を
とても素敵な
昧爽どきを 通り抜けてたら
伽籃とした 防波堤ごしに
緋色の帆を掲げた都市が
碇泊してるのが 見えたんです
それで ぼくも
風をあつめて 風をあつめて 風をあつめて
蒼空を翔けたいんです
蒼空を
人気のない
朝の珈琲屋で 暇をつぶしてたら
ひび割れた 玻璃ごしに
摩天楼の衣擦れが
舗道をひたすのを見たんです
それで ぼくも
風をあつめて 風をあつめて 風をあつめて
蒼空を翔けたいんです
蒼空を

「はっぴいえんど」
左から、細野晴臣、松本隆、鈴木茂、大瀧詠一
「はっぴいえんど」のメンバーは、
・細野晴臣(1947~) ベース
・大瀧詠一(1948~2013) ギター
・松本隆(1949~) ドラムス
・鈴木茂(1951~) ギター
1972年に、はっぴいえんどは解散しますが、
細野晴臣と鈴木茂は、キャラメル・ママ(後のティン・パン・アレー)を結成し、荒井由実(松任谷由実)や吉田美奈子を生み出します。
その後、細野晴臣は、YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)として、世界に飛躍していきました。
また、大滝詠一はナイアガラ・レーベルを設立、山下達郎や大貫妙子を育てることになります。
昨年、亡くなってしまったのが残念でなりません。
松本隆は作詞家として、松田聖子、太田裕美をはじめ多数のヒット曲を手がけ、51曲のオ リコン1位は日本一だそうです。
現在のJ-POPシーンを創りあげた、そう言っても過言ではありません\(^_^)/

まさしく、「風」を起こしたんですね(^_^;)
それぞれのお話は、また別の回で~♪
それでは、また次回(^_^)v
AC です。
1969年、大阪万博前年のこの年は、
日本のポップ音楽にとって、大きな節目の年と言える重要な年でした。
・「赤い鳥」の結成
→♪「赤い鳥」新しい音楽の風~1969
・「アルファミュージック」の設立
→♪作曲家「村井邦彦」日本ポップスの風~1969
・「シング・アウト」の結成
→♪「涙をこえて」シング・アウト~1969
そして、今日のタイトル、
「はっぴいえんど(HAPPY END)」が結成された年です。
私が初めて、「はっぴいえんど」の音楽と遭遇したのは、セカンドアルバム「風街ろまん」(1971.11月)でした。

2ndアルバム「風街ろまん」はっぴいえんど(1971)
中でも、細野晴臣ボーカルの「風をあつめて」は、たくさんのカバー曲を生んでいるので、聞いたことがあると思います。
「風をあつめて」はっぴいえんど(1971)
作詞:松本隆 作曲:細野晴臣
街のはずれの
背のびした路次を 散歩してたら
汚点だらけの 靄ごしに
起きぬけの露面電車が
海を渡るのが 見えたんです
それで ぼくも
風をあつめて 風をあつめて 風をあつめて
蒼空を翔けたいんです
蒼空を
とても素敵な
昧爽どきを 通り抜けてたら
伽籃とした 防波堤ごしに
緋色の帆を掲げた都市が
碇泊してるのが 見えたんです
それで ぼくも
風をあつめて 風をあつめて 風をあつめて
蒼空を翔けたいんです
蒼空を
人気のない
朝の珈琲屋で 暇をつぶしてたら
ひび割れた 玻璃ごしに
摩天楼の衣擦れが
舗道をひたすのを見たんです
それで ぼくも
風をあつめて 風をあつめて 風をあつめて
蒼空を翔けたいんです
蒼空を

「はっぴいえんど」
左から、細野晴臣、松本隆、鈴木茂、大瀧詠一
「はっぴいえんど」のメンバーは、
・細野晴臣(1947~) ベース
・大瀧詠一(1948~2013) ギター
・松本隆(1949~) ドラムス
・鈴木茂(1951~) ギター
1972年に、はっぴいえんどは解散しますが、
細野晴臣と鈴木茂は、キャラメル・ママ(後のティン・パン・アレー)を結成し、荒井由実(松任谷由実)や吉田美奈子を生み出します。
その後、細野晴臣は、YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)として、世界に飛躍していきました。
また、大滝詠一はナイアガラ・レーベルを設立、山下達郎や大貫妙子を育てることになります。
昨年、亡くなってしまったのが残念でなりません。
松本隆は作詞家として、松田聖子、太田裕美をはじめ多数のヒット曲を手がけ、51曲のオ リコン1位は日本一だそうです。
現在のJ-POPシーンを創りあげた、そう言っても過言ではありません\(^_^)/

まさしく、「風」を起こしたんですね(^_^;)
それぞれのお話は、また別の回で~♪
それでは、また次回(^_^)v