世の中がぎすぎすし、
人間関係が難しくなったと感じている人は多いだろう。
ストレスの大部分は、
人間関係に由来するものである。
しかも、事態を深刻にしているのは、
赤の他人との関係だけでなく、
一番の支えであるはずの
夫婦や親子の関係までもが、
危うく、足を引っ張りかねないものになっていることだ。
一昔前であれば、
「雨降って地固まる」の格言のように、
多少の摩擦は信頼関係を深めるきっかけにもなった。
だが、最近は、
たった一度の行き違いで
関係が終わってしまうことも珍しくない。
いったん関係がぎくしゃくし始めると、
修復が難しくなっている。
中略
世の中が優しさや寛容さを失い、
潔癖で、頑なで、
極端になりがちだということだ。
自分の思いにこだわり、
自分の期待やルールに反することに
強いいらだちを感じ、
自分の期待やルールに反する存在を
過剰なまでに攻撃してしまう。
中略
そこに見えるのは、
自分以外のものは受け入れず、
容赦なく排除することでわが身を守ろうとする構造である。
自分でないもの=異物
に対する過剰な拒絶と排除とは、
まさに人間アレルギーにほかならないが、
その拡大が、
夫婦や親子の関係さえ、
ぎすぎすしたものに変え、
期待と少しでも違うとつい
拒否や攻撃をしてしまう心理状況に、
われわれを追いやっている。
岡田尊司先生
愛着問題について関心のある方に、
この先生の名前を知らない人はいないのではないでしょうか。
岡田先生が少し前に書かれた
「人間アレルギー」という本のあとがきから一部抜粋し
紹介させていただきました。
もうね、
悲しいことに共感しかございません。
特にこの部分↓
>世の中が優しさや寛容さを失い、
潔癖で、頑なで、極端になりがちだということだ。
自分の思いにこだわり、
自分の期待やルールに反することに
強いいらだちを感じ、
自分の期待やルールに反する存在を
過剰なまでに攻撃してしまう。
(子どもに対し)
「うるさい!」
「勉強しなさい!」
「手伝いなさい!」
恐らく現代の親(大人)
全員にあてはまるのではないでしょうか。
大人しくしている子は「良い子」
それに対し
騒いでいる子は「悪い子」
勉強する子は「良い子」
勉強しない子は「悪い子」
よくお手伝いする子は「良い子」
お手伝いをしない子は「悪い子」
ここで言う「良い子」「悪い子」の基準は
全て親(大人)の価値観。
親(大人)の価値観に沿う子どもは「良い子」
沿わない子どもは「悪い子」
その心は
「ガキども!親の価値観に合わせろ!」
「親(大人)に合わせろ!」
「親(大人)の言うことを分かれ!」
「親(大人)のことを分かってくれ~分かってくれ~」
子どものことを一向に分かってあげようとしない
自己正当化モードにとらわれた
アホな親(大人)たちに
仕方なく合わせてあげている
子どもたち
もはやどっちが親(大人)で、
どっちが子どもか分からない状態。
これはもう全ての家庭や学校で起きていることなのではないでしょうか。
また、
私たち大人は便利な社会に慣れ過ぎて
思い通りにならない
子どもという
野生の存在に
耐えられなくなっている気がします。
子どもはスマホじゃない。
子どもは人間だ。
親(大人)の思い通りになんて動かない。
私たち大人が如何にロボット化しているか
私たち大人が如何に狂っているか
馬鹿な親(大人)たちに
警鐘を鳴らしてくれている
唯一の存在が
子どもたちのような気がします。
そんな子どもたちにマウントをとる
馬鹿な親(大人)にだけはなりたくないものです。