人びとに富士山の色を尋ねたら

どんな答えが返ってくるでしょうか?

 

 

 

「富士山は真っ青だよ!」(冬)

 

「いや、富士山は白だった」(冬)

 

「えっ、紺色に近い色じゃない?」(夏)

 

「嘘よ、影みたいよ!」(夕方のシルエット富士)

 

「いやいや、色なんか付いていない、むしろゴミだらけで汚いよ」(登った場合)

 

 

冬の富士山

 

夏の富士山

 

 

夕方の富士山

 

 

ゴミだらけの富士山

 

 

 

 

実際、どれも正解です

 

 

要は、見た時期・時間・場所によって見え方は様々であるし

 

「富士山」というキーワードから浮かぶ個人が持つイメージによっても

 

意見は異なるということです。

 

 

 

<富士山は富士山でしかない>

 

私がここで言いたいのは

 

「富士山は富士山でしかない」

 

ということです。

 

冬の真っ青な富士山も、雪が被った真っ白い富士山も

 

夏場の紺色の富士山も、夕陽に照らされるシルエット富士も

 

ゴミだらけで汚い富士山も

 

どれも全て紛れもなく、本物の富士山なのです。

 

 

 

しかし私たちは日常的にこんな会話をしていませんでしょうか?

 

 

 

「あれ?富士山に雪が無い!雪を被っていない富士山なんて富士山じゃない!」

 

「あら?富士山って青くなかった?紺色の富士山なんて認めないぞ!」

 

「キャー!富士山が影みたいになっている!怖い!」

 

「なんだ、このゴミだらけの山は!もっと富士山は美しいはず!

富士山に裏切られた~涙」

 

 

 

 

<人間は、自分の見たいようにしか見ない>

 

人間とは実に勝手な生きものです。

 

 

雪が無い富士山も、夏場の紺色の富士山も

 

 

影になっている富士山も、ゴミだらけの汚い富士山も

 

 

どれも本物の富士山だというのに

 

人間は一人ひとりが持つ

 

「富士山とはこうあるべき」

 

という価値基準(囚われ)に基づいて

 

富士山という一つの山を見ているのです。

 

 

 

そして

 

その人が持つ価値基準(囚われ)に沿う富士山は

 

「良い(良い子)」とし

 

沿わない富士山は

 

「悪い(悪い子)」と

 

知らずのうちに判断し、評価しているのです。

 

 

現実世界において

富士山でここまで意見が分かれることはそう無いと思いますので(笑)

もっと身近な例で置き換えてみたいと思います。

 

 

 

■例①:コロナワクチン 

 

2021年、新型コロナ対策としてワクチン接種が神格化されました。

 

人々はワクチン接種を新型コロナから身を守る救世主と見なし

99%の日本人がワクチンに飛びつきました。

 

 

 

 

そして、あれから2年が経とうとしていますが

結果どうなったでしょうか。

 

ワクチン接種後

不幸にも命を落とされた方(2022/11/11現在で1908名)や

 

重度の後遺症に苦しむ人が後を絶たなくなっています。

 

 

最近ようやくメディアでも報じられるようになってきたそうですが、

 

ワクチン接種後死亡者家族による遺族会も発足し

 

裁判沙汰にもなっています。

 

このような殺人ワクチンを製造販売し

 

認可する製薬会社や政府は当然殺人罪で処罰されるべきなのでしょう。

 

 

 

 

しかし、現実を見れば

 

最初からワクチンはワクチンでしかないのも事実なのです。

 

 

「ワクチンは命を守るものである(ワクチンは良い)」

 

という価値基準(囚われ)

 

に基づいて接種を決断したものの

 

そうではないと判明した途端に

 

「こんなはずじゃなかった(ワクチンは悪い)」と

 

あっさり方向転換し

 

自分以外の何かを責め続ける人が

 

残念ながら後を絶ちません。

 

 

100%悪いのはワクチンや製薬会社や政府だけなのでしょうか。

 

(当然悪いのですが)
 

 

ワクチンに向き合う私たちの考え方に

果たして問題は無かったのでしょうか。

 

 

 

■例②:牛乳 

 

長年健康に良いとされてきた牛乳ですが

 

近年、発がん性が疑われるようになり

 

今日では自然派と呼ばれる人ほど牛乳を批判しています。

 

しかしこの場合も、前述のワクチンと同様

 

最初から牛乳は牛乳でしかないのが事実なのです。

 

ところが私たち人間は

 

牛乳は健康に「良い」という価値基準に沿う時は

 

牛乳を好きなだけ持ち上げてきましたが

 

一方で

 

沿わないと分かったならば評価は一変し

 

牛乳は健康に「悪い」と批判し始めるのです。

 

 

牛からしてみたら

 

「人間ってなんなの?俺たちの飲み物を健康に良いからと

 

勝手に横取りしておきながら

 

身体に合わないと知った途端

 

今度は牛乳の悪口を言いやがる。

 

俺ら牛からしてみたら

 

悪口を言われる筋合いなんか無いっつーの!怒」

 

といったところでしょう。

 

 

 

 

 

 

100%悪いのは牛乳という飲み物でしょうか。

 

 

牛乳に向き合う私たち人間の考え方に

 

果たして問題は無かったのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

■例③:総理大臣 

 

かつて「日本を取り戻す!」をスローガンに掲げた総理大臣がいました。

 

 

反日メディアが世を牛耳るこの国で、彼は救世主でした。

 

 

「安●さ~~ん!!!!!」

 

 

保守を名乗る自称愛国者と呼ばれる人間たちは、彼を熱烈に応援しました。

 

 

 

 

そして時が経ちました。

 

 

どうやら彼は日本のお金を外国にバラ撒き

 

「日本を取り戻す!」とか言いながら

 

実は日本をめちゃくちゃにしていたことが

 

次第に分かってきました。

 

 

すると突然、彼を熱烈に応援していた自称愛国者たちは

 

態度を一変させました。

 

 

 

「安●に騙された!一体誰を信じていけば良いのか分からない!」

 

と。

 

 

 

確かに見かたによっては

 

●倍さんはろくでもない総理大臣だったのかもしれません。

 

 

しかしこれもまた同じ話であり

 

最初から●倍さんは安●さんでしかないのが事実なのです。

 

 

 

自称愛国者の価値基準において

 

それに沿う安●さんであったら

 

「良い子」であり

 

 

沿わない●倍さんであったら

 

「悪い子」になってしまうのです。

 

 

 

最初から両方の側面を合わせた上での

 

一人の「安●晋●」であるはずなのに

 

 

どちらか一方しか認められないのが

自称愛国者であり

 

そして

 

日本人の姿なのかもしれません。

 

 

 

 

<自分が囚われているということは

     囚われから解放された時にしか気が付かない>

 

 

私たちは何かに囚われています。

 

一人ひとりが持つ価値基準に、がんじがらめに縛られています。

 

 

その価値基準に基づいて

 

『●●は良い』『▲▲は悪い』

 

自分以外の何かを、日々評価しています。

 

 

そして

 

勝手に喜び

 

勝手に期待し

 

勝手に怒り

 

勝手に絶望

 

しています。

 

 

そんな価値基準でさえも

 

自らが勝手に作り上げた

 

ただの『虚構』に過ぎないというのに。

 

 

 

私たちは、自分を取り巻く『外側』の世界に

 

日々振り回されています。

 

 

 

富士山が青か白かで揉めています。

 

 

富士山が青であると主張する人に、白であると説き伏せています。

 

 

富士山が青だと思って生きてきた人間が、晩年、白だと知って絶望しています。

 

 

青い富士山も白い富士山も、どちらも本物の富士山であることに変わりはないのに。

 

 

 

富士山の色を決めているのは

 

富士山ではなく

 

私たちの『内側』(=心)では

 

ないでしょうか。

 

 

 

自分以外の誰かに

 

勝手に期待し

 

一方的な評価を下してばかりではなく

 

まず自分たち自身の考え方

 

そして

 

偏った物の見方を

 

反省するよう

 

常日頃心掛けていきたいものです。

 

 

 

結論、人間って愚かだなって思います。笑