今日の我が国の実情は
残念ながら私たち日本人の「心のなか」が
現実に映し出されている結果に過ぎないのではないでしょうか。
私たちの目に見えているものは全て「結果」であって
「原因」ではないと思うのです。
私たちは極めて表層的な、上辺の世界でしか生きておらず
目に見えるもの、聞こえてくるものに
一喜一憂、右往左往しているだけなような気がします。
朝日新聞を読んでいるから●●、産経新聞を読んでいるから●●
TVでの報道が●●だから、ネットでの情報が●●だから
マスクしているから●●、してないから●●
ワクチンを接種しているから●●、接種していなから●●
いい加減、もうウンザリです。
右翼も左翼も
TV層もネット層も
共通して言えるのは「上辺でしかモノを見ていない」
ということではないでしょうか。
例えば昨今騒がれている食糧危機問題。
「食糧危機」と聞いて、イメージすることはどのようなことでしょうか。
恐らくスーパーから食料品が消えることかと思います。
しかし私はそれだけではないと思っています。
真の食糧危機とは、私たちの身の回りから本物の食べ物が消え
ニセモノばかりで溢れ返るということであり
そして今後もこの状況がますます加速していくということではないでしょうか。
(既に安心して食べられるものがスーパーに売っていない)
加えてそれらの原因は、私たち消費者の食に対する認識が崩壊しているということ
そして、それについて全く自覚していない人間が
日本人の大半を占めているということにあるのではないでしょうか。
遺伝子組換え、ゲノム編集、人工肉、種なし果物、F1品種、添加物、農薬、人工甘味料…
今やスーパーには食べ物とは到底思えないような、偽物の食品が山ほど並びますが
そんな光景すらも、食に対する認識が崩壊した
私たち一人ひとりの「心のなか」を映し出している結果に過ぎないと思うのです。
そもそも一体食事とは何か?なぜ食べるのか?と考えた時に
食事とは命をいただく最も尊い行為であって
次世代(先住民思想であれば七世代先)の健康と
一族の繁栄に繋がる非常に重要な役割があるのではないでしょうか。
とすると、当然のことながら加工食品やスナック菓子など食べるに値しません。
ところが、私たち多くの現代人にとって食事とは、満腹中枢さえ満たせれば良く
なんとなく口に入れながら楽しい時間を過ごすことが出来れば良いというだけのものに
なっているような気がします。
つまり食料品の原料、製造過程、心身への影響、色、味、香り……
そんなこと、もはや現代人にとっては、
どーーーでもいいことなのでしょう。
「食えりゃいい」「食って即死しなきゃいい」「安けりゃいい」…
命をいただくということ、食べ物を口にするということに対し、
所詮はこの程度の価値観なのです。
一体、どこまで罰当たりなのでしょう。
もはや食べ物とは思えないようなシロモノを喜んで口にする狂った消費者たちは
偽物を偽物と見抜くことすら出来ず
今日もスーパーへ買い物に行きます。
スーパーの陳列棚は、私たち消費者の崩壊した価値観を
しっかりと映し出してくれているのです。
このように現実(食糧危機)をやれウクライナ情勢の影響だ、やれ気候変動の影響だ、やれ気象兵器のせいだ、やれディープステートのせいだと、
なんでも「外側」だけのせいにしているうちはラクなもんです。
我身に起こることの全ての責任を、目に見える、上辺の存在に転嫁することは
残念ながら自らのつまらない承認欲求を満たしたいという、幼稚な心の表れに過ぎないのです。
なぜなら、何かに責任を転嫁し批判することで
誰でも簡単に「正義のヒーロー」(=みんなから認めてもらえる天才)へ
変身出来てしまうから。
これぞまさにマジックです。
TVの報道に飛び付くことも、ネットの情報に飛び付くことも
マスクをしているか、していないかに拘ることも
ワクチンを接種しているか、接種していないかに拘ることも
全て根は同じであり、目に見える上辺だけの情報と自らの承認欲求に振り回されているということに
過ぎないのです。
自らが選んだ方法で、コロナから、他人の目から、フェイクニュースから、ディープステートから
我身を必死に守ることについて否定はしません。
しかし我身を守り抜いたその先で、一度きりの人生
自分は一体何がしたいのか
どう生きるのか
一度でも真剣に考えたことはありますか?
それは「なぜ生きるのか」という問いに
通じるものがあるかもしれません。