すごいことになった。全土レベルでの大災害になってしまった。


お気楽な自動車ブログなど、この際しばらく放っておこうと思ったが、自分の視点でなにかが書け、それが自分も含めた誰かの気休めになるのなら、と思い直して愚にもならないことをつらつらと書くことに。どのみち書き屋が商売だし。


目下の不安と恐怖、腹立ちのタネは、福島第一原発の成り行きだ。とにかく腹が立つ。この際、TVやネットの具体的な誤情報については触れることをやめようと思うが、非常時にこの手のメディアがどの程度の役割を果たすか、自分の目で確かめるよい機会にはなった。不謹慎だが、これほどの災害に再び見舞われないとも限らない。情報の取捨選択と2次情報の信憑性を判断する不幸だが貴重な体験例である。


が、そうは言いながらも、重要なニュースを伝えるTVキャスターの資質については問題ありだ。私見を公共の見解とするのだから、正確性はきわめて重要。しかし、炉心溶融と原子炉溶融を混同する人、原子炉を核融合反応だと思っている人など、間違いは後を絶たない。こちらも専門知識を持つわけではないが、原子炉がウランに中性子をぶつけて生じる核分裂反応であることくらいは基本知識として知っている。さんざんテーマとなる問題だし、だいいち中学校の理科レベルの話である。表層的な断片知識だけで話題の進行をしようとするから、こういうことになる。とくに民放系の資質が低い。だが、聞く側は100対0で鵜呑みにしてしまう。結果、こうした誤情報、誤知識の伝達が、風評を生み出し混乱を助長するきっかけとなる。


「日本ほど安全レベルの高い国でも今回の事故を防げなかった」と語ったドイツ・メルケル首相の声明は興味深かった。あのドイツに、ここまでのことを言わせた日本の技術力を誇りに思う反面、そのドイツが危惧感を持つほどことは深刻なのだと悲観的になる。ここ2~3日、夜寝るのが怖くなっている。朝、目が覚めニュースを点けると、ことが必ず悪転しているからだ。そんな意味での15日は最悪だった。


日本政府も東電の機先を制し、事故当初から原発を掌握下におく動きに出ていたら……、とふと思ったのだが、次の瞬間無理だと気が付いた。閣僚の何人が、原子力の基本を理解しているだろうか、という問題に気付いたからだ。優秀なプロデューサーというのは「誰に何を任せれば最善の結果がでるか」を知る人のことをいう。自分で出来る必要はない。だが、「誰に何を」を知らないと任せようがない。「炉の溶融は原爆の爆発と同じ」と考える政治屋がいたが、これでは無理だ。指揮官にはなり得ない。


福島原発で現場の処理にあたっている実働部隊は、おそらく自衛隊、場合によっては米軍混成の可能性も。ふだんは不要論、ヘタをすれば税金泥棒的な言われ方さえもする自衛隊だが、結局、こんな汚れ仕事を引き受けてくれるのは自衛隊しかない。頭がさがる。加えて言うなら、この近辺で最も原子力に精通しているのは、本国からの支援指令で宮城沖にいる米第七艦隊の空母R・レーガンだろう。皮肉なことに、日本人が忌み嫌う原子力空母が、機動性と広範な運用性の高さから救援の前線に位置し、日本を助けてくれている。食料の補給さえ可能なら、物理的には無限の洋上行動力を持つ。(ニミッツ級の炉心は20年だったような……。ドワイト・D・アイゼンハワーの2005年改修時にはたしか20年。新世代艦のジェラルド・R・フォード級では大幅に伸長したはず)


と、書いている最中に2発の地震。1発目は宮城あたり、2発目は静岡でこちらのほうが大きかった。TVを見ると河口湖あたりでも震度5強。揺れの最中に、須走のS氏に即連絡。手短に無事を確認。だが、室内はひどいことになりつつあるという。東北から北関東にかけての太平洋沿岸、新潟、長野、そして静岡。地震列島だ。被災地の方々のことを考えると、微震でもトラウマになりそうだ。


それにしても、物資の支援体制はどうなっているのだろう。阪神・淡路のときもそうだったが、災害が落ち着いてきたあたりからが正念場となる。このタイミングが遅れると、人災という名の大きな2次災害が生まれてしまう。極論すれば、平時に行政はいらない。非常時だから行政の価値、存在意義が問われるのだ。実際、油槽所の非停電要請を拒否した東北電力のような体質の企業を野放しすることになる。


やっとの思いでコンビニにたどり着いた被災者の方が、案の定、なにもなくて菓子類しか手に入らなかったにも拘わらず「ご家族や知人を亡くされた方、困難に直面されている方のことを思えば~」と明るく答えられていた姿に涙が出た。非常時にも暴動は起きず、むしろ団結して困難を乗り切ろうとする日本人の民族性。互助の精神というか、これが度重なる苦難を乗り越えてきた日本の原動力なのだろう。


なにか出来ることはないか、ではなく、今の自分に出来ることを精一杯する、というのが、実は復興に際して個人が出来る最善の選択肢かもしれない、と考えるようになってきた。物事が活性化し、それが積み重なり階段を昇っていくことになるのだ、と。