今回は映画ファンにはあんまり知られていないスペイン映画『暴走車』の2度目のリメイクであり、スペイン版とドイツ版にはなかった一部のアレンジは感心させられたんだけど、オリジナルのスペイン版とドイツ版にはない後半からの人質救出もののような展開で失速しているどころか、叙情的、情緒的な演出が目立ち過ぎていて、諸手を挙げてリメイク映画としては成功作とは言い難く、間違った調理がされているとしか言いようがない、日本では2022年2月26日に公開された2021年製作の韓国のアクションスリラーをご紹介します。


ハード・ヒット 発信制限

主演︰チョ・ウジン/チ・チャンウク

出演︰イ・ジェイン/キム・ジホ/チン・ギョン/リュ・スンス/チョン・ソッコ/イ・ソル


・あらすじ

銀行支店長として働くソンギュは、毎朝車で子どもたちを学校へ送り届けそのまま職場へと向かう。それはいつもと変わらない、当たり前の日常のはずだった。

しかし、1本の電話が彼の運命を一変させる。運転中にかかってきたそれは「発信番号表示制限電話(非通知電話)」。声の主がソンギュに告げる。「車から降りれば、仕掛けた爆弾が爆発するだろう」と。タチの悪いイタズラだと電話を切ろうとするソンギュ。そのとき、目の前で同僚の車が大爆発を起こす。

警察に助けを求めることも、そして車を降りることも許されない絶体絶命の状況の中、ソンギュの日常は制御不能の悪夢へと塗り替えられてゆくのだが…。

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感想・解説・徹底比較
この映画は『最後まで行く』などで編集を手掛けてきた監督による初の長編映画監督デビュー作(脚本兼任(イ・ゴンジュ共同脚本))にして、日本国内では特集上映『MDGP(モースト・デンジャラス・シネマ・グランプリ)2015』の上映作品として限定公開されたアルベルト・マリーニ脚本、ダニー・デ・ラ・トレ監督の『暴走車 ランナウェイ・カー』の2度目のリメイク作品。主演は『SEBOK/ソボク』『キングメーカー』などのチョ・ウジンさん。



この作品、実は日本で劇場公開されるちょっと前に海外の映画情報サイト、"imdb"(インターネットムービーデータベース)を調べていた時にこの映画の存在を知っていて、主人公が車内で携帯を握る姿、子供たちを後部座席に乗せたまま運転しなくてはいけない状況は明らかに『暴走車』のリメイクなんじゃないかなと思っていたのですが、日本公開が決まって情報解禁されていた時はそこはあんまり明確に宣伝では打ち出されていなくて、近年の韓国映画では割りとバイプレイヤー俳優として活躍されているチョ・ウジンさんと数々のTVドラマなどで出演されていて、本国ではアイドル的な人気を獲得しているチ・チャンウクさんのダブル主演が強く宣伝されている作品でした。で、情報解禁された当初は不勉強ながら詳しく調べてなくて、チ・チャンウクさんはスペイン版で活躍されていた爆弾処理班のリーダーかなと思っていたのですが、なんとある事情で犯行に及んだ犯人役を熱演しているとのことで、コレに関しては言いたいことはあるのですが、これは韓国のリメイク版は果たして、クオリティ的に上手く行ってるのか、上手くないほうなのか…という意味で非常に気になってしまいまして、今回はオリジナルにあたるスペイン版と2018年に製作された1度目のリメイク化となる『タイムリミット 見知らぬ影』、そして、2度目のリメイクとなる本作、『ハード・ヒット 発信制限』、この3本を比較したうえでレンタルで観賞してみました。結論から申し上げますと、これはスペイン版とドイツ版が未見であることを前提に観ていれば、今回の韓国版は一種のジャンル映画としては結構面白いのですが、逆にスペイン版とドイツ版を既に観賞しているうえで観てしまうと、スペイン版とドイツ版で良かったところは取り入れてられてはいるんだけど、スペイン版とドイツ版でやっていないこと、つまり、ここはリメイクをやるにあたって不要だったことが前に出ちゃってる映画になっちゃってるなと思いましたね。正確に言えば、大筋の流れはスペイン版とほぼ同じ流れなのに、誤った脚色をしてしまうと、ちょっとどころじゃ済まないレベルに出来上がっちゃってるんだなと感じちゃった作品でした。

まず、本題に入る前に、今回の元となっている2015年製作・公開の『暴走車 ランナウェイ・カー』(原題︰『RETRIBUTION』(英題))、ざっくり言えば、どこかで聞いたことのあるような手垢の付いたカーアクション映画に見せかけた、1人の父親の葛藤と決断、或いは、追い詰める復讐者と追い詰められる復讐相手の攻防、駆け引きを中心としたクライムサスペンス。そういう説明が適切なんじゃないかなと思います。ある背景を持った犯人の男性、ルーカスが銀行の支店長を務めているカルロス、彼の部下、ビクトルの命を狙いに復讐目的で爆弾で殺そうするうえ、身代金を要求して脅迫電話かけてくる話を主人公の父親(夫)であるカルロスの視点で話を進めているわけで、主人公が"爆弾が仕掛けられた乗り物"を犯人に爆破されないよう阻止する話、この基本プロットは人気のカーアクション映画、サスペンス映画で描かれていて、定番的なジャンルと言ってもいいんだけど、そこに乗用車の運転席と助手席、この席から離れて立ち上がったら、下に仕掛けられていた爆弾が爆発して助かる保証はなくて、なおかつ主人公が運転席に座ったまま、事件を解決しなければいけない。もちろん、紛争地域で設置されている対人地雷に似た油圧式の爆弾というのは、いわゆるサスペンスアクション、サスペンススリラーではよくありがちなアイテムだとは思いますが、デスゲーム的な設定ではあるのに、自分の命のみならず、娘(姉)と息子(弟)の命が天秤にかけられていることへの重み、或いは、家族や上司、秘書、犯人からの重圧、また、或いは、現代の競争社会のメタファーとしてこれが寓話的、風刺的な設定になって物語内で機能している。だからこそ、要するに、このプロットの新鮮さ、目新しさ、もしくは、あらゆる意味合いが込められた座席の下にある地雷のような油圧式の爆弾、そのアイテムによって生じられる車内から出たくても出られない閉鎖空間、そういうワンシチュエーション、ワンアイデアの面白み、強みが他の国からリメイク権を買われ、リメイク作品が世に産み落とされている要因だという風に考えられます。

また、それに加えて、元々のオリジナルであるこのスペイン版、不正を起こしていた銀行会社の支店長の葛藤と決断、奮闘に重きが置かれているため、この主人公の父親による業務命令に従うしかなかった者の割りと問題のある職場への決着、決別も決着もあれば、仕事優先だった彼が犯人によって実質的に娘と息子を人質に取られたことによって、巻き起こる家族関係の修復、または、信頼関係の再構築もある。いわば、カーアクション映画っぽいクライムサスペンスでありながら誘拐もののサスペンススリラーようでもあって、普遍的な家族ドラマのような側面もある。気軽にサクッと楽しめる代物のはずなのに、非常に物語の構造が重層的で優れている、正真正銘の隠れた良作になっているんですよね。

あと、元々のスペイン版の最大の魅力なんだけど、プロットの新鮮さ、ワンシチュエーション、ワンアイデアの面白味が強く前に出ているためか、脚本自体は粗っぽさ、詰めの甘さ、強引さが残る作りにはなっていて、後程ベタ褒めして言及するドイツ版、3作品、比較したことによって、不満点のほうが多い本作、韓国版が製作され、リメイクで改善されていなければ、あんまり大傑作とは言い難いところはあるんだけど、このスペイン版は上映時間101分と丁度いい上映時間なんだけど、冒頭が初っ端から事件当日から始まって、そこからポンポンポンポンとあらゆる情報が提示されていることから、無駄が無くて、スピーディーでテンポが良くて、スペイン人本来の言語感覚がそれを引き起こしているのか、乗用車の車内という限定的な空間にいる登場人物の性急な会話の重ね合いがピリピリ、キリキリとした緊迫感、焦燥感(イライラ)を引き出していて、一部の登場人物の言動によっては本当にストレスが溜まりやすくて、良くも悪くも画面の前で突っ込みたくなるんだけど、最初から最後まで持続している緊迫感、焦燥感、更には空気感のおかげで物語で巻き起こる手に汗握る展開の数々にグイグイと引き込まれていくし、物語的、作劇的にいくらなんでもおかしいんじゃないかと思えてくる引っ掛かりが多少あったとしても、観ていて、滅茶苦茶気にならないようにバランスが上手く取られているわけなんですよね。だから、ドイツ版と韓国版では原案でクレジットされている、スペイン版で脚本を担当したアルベルト・マリーニさんの手腕、メガホンを取ったダニー・デ・ラ・トレさんの演出力が成功の秘訣ではあるんじゃないかなと思われます。

で、2015年に製作・公開された『暴走車』を2017年に企画、製作され、翌年の2018年に公開され、更にその翌年の2019年に小規模公開で日本では劇場公開されたドイツ版の『タイムリミット 見知らぬ影』。この1度目のリメイクであるドイツ版は『NICK/ニック』シリーズ(1~5)を手掛けてきた割りと職人監督の一面がある商業映画監督、クリスチャン・アルヴァルト監督が脚本兼任でメガホンを取っているうえに、ドイツで人気の俳優が主演を飾っているのみならず、ポスターや予告編などの宣伝では犯人がどういう人物なのか、どういう俳優が演じられているのかは敢えて伏せられていて、スペイン版を観てない、知らない人にとってはちゃんとワクワク感、ハラハラ感を提供させていることに成功している。それによって、その分、スペイン版とは違って、上映時間が100分以上にはなっているんだけど、謎解きの要素が多少濃くなっていて、スペイン版にあった姉にあたる娘の彼氏がカールらの乗る車の近くにいるミスリード的な展開がそのまま描かれているところとか、冒頭の会話で兄の存在が明かされていたりとか、観ている間はこの不動産会社の重役である主人公家族と上司のオマー夫婦の命を狙おうとする犯人は一体どういう人物なのか、頭を巡らせるように脚本が抜群によく練られている。加えて、スペイン版が元々持っている仕事優先の父親が復讐目的で動いている犯人によって事件に遭い、妻、娘、息子との家族関係を修復していく話が納得のいくかたちでかなり自然に落とし込まれていて、主人公の父親が結婚記念日の日に不測の事態がどんどん積み上がっていって、精神的に追い込まれていく。いわゆる意地悪な追い込みっぷりが魅せられていることによって、満足度の高い作品になっているという風に考えられるんですよね。いちいち美点を挙げていくと、キリがないのですが、特にいいなと思ったのは、スペイン版には描かれていない冒頭の6分間のシーン。主人公の父親、カール・ブレントが結婚記念日当日に間に合わせようと帰りの飛行機に乗って、そこからオマーの妻の送りの車でなんとか我が家に着くくだりが描かれているんだけど、そこではカールの身に降りかかる不運の前触れが不安感たっぷりに表現されていて、ちょっと丁寧に描いているからこそ、退屈になるリスクが生じているものの、悪天候、ロストバゲージによる荷物の紛失、プレゼントの指輪が買えなくなるという失態、これらを設けることで、カールの精神的な葛藤が共感しやすいように工夫されているし、主人公の父親、カール・ブレントの人物像を機内で出会った美しい女性との会話、後にカールが同僚のオマーの自宅を訪ねる様子でしっから人物紹介の役割を果たしているんですよね。もちろん、スペイン版が101分、この記事で評論する韓国版では94分、ドイツ版が109分で、ドイツ版のほうが上映時間が長めになっていて、冒頭の主人公のカールが結婚記念日当日に間に合わせようと帰宅するくだりてだけでなく、中盤で妻のジモーネの愛人のせいで通報を受けたあと、カールが仕事を失ってでも、息子のために大金を工面することに葛藤する辺りとか、後半で車が広場で足止めを食らった最中で上役のロハーから解雇通告を受けるところであるとか、心理描写をじっくり見せている反面、体感時間が長いと感じられるところはあるにはあるんだけど、ここは人間ドラマを語るうえで必要不可欠なシーンに成立させていて、観賞後、非常にノイズにならないようになっているんですよね。なので、先にドイツ版を初見で観て、後からオリジナルのスペイン版を観たのですが、2回目に観ると、冒頭の時点で、明らかに脚色が効いているなと思わせてくれる。そして、このスペイン版の1度目のリメイクではあるのですが、このドイツ版は1本の映画のリメイクとしては充分に成功作だと個人的には断言できると思っています。

では、実際に出来上がった韓国版の『暴走車』あらため、『ハード・ヒット 発信制限』(原題︰『Hard Hit』)、オリジナルのスペイン版と比較すると、比較的、韓国版のほうが好ましく観られるようにはなっているんだけど、個人の見解ではあるのですが、ドイツ版の『タイムリミット 見知らぬ影』を超えられるほどのクオリティを誇ってないじゃないかというのが否めないんですよね。具体的に言えば、原案であるスペイン版で脚本を手掛けたアルベルト・マリーニさんのプロットは概ね沿っていて、スペイン版にあった人物設定、事件発生時のアクシデント、主人公の父親と犯人の直接対決、爆弾処理班の班長の活躍ぶりは描かれてはいるんだけど、スペイン版にはなくて、ドイツ版には加えられていた描写を取り入れつつ、後半以降は韓国版、独自のアレンジが大きく前に出ている。ただ、主人公となるのはスペイン版と同じく、家庭より仕事を優先している4人家族の父親であり、数年前に上役からの指示で不当な勧誘をして投資商品を売って、犯人を含めた顧客たちを路頭に迷わせた銀行の支店長であって、その主人公とその同僚のせいでほとんど全てを失って、復讐を誓った犯人の2人の駆け引きを中心にドラマが進んでいるのですが、スペイン版とドイツ版では準主人公的な位置付けとなっている爆弾処理班の班長がキャラは改変されてないのに、明らかに脇役のような存在感にされている反面、犯人のジンウーの背景や復讐動機、または、彼の人間ドラマが比重からして大きいせいか、ある種、メジャーな一部の日本映画の悪い癖に近い問題点があるように思われる。もっと言えば、スペイン版だと、主人公の父親と彼に復讐する犯人の駆け引きとピリピリ、キリキリとした緊迫感・焦燥感、ドイツ版では主人公の父親を追い込み具合におけるいたたまれなさ、ままならなさと彼が事件の中でどのように妻と子供たちの家族関係を修復させていくか、そして、犯人はどういう人物で、どのような動機を持っているのか…といった謎解き、これらがそれぞれ強みになっているんだけど、今回の韓国版はオリジナルのスペイン版寄りになってて、ドイツ版にもあるとされるお国柄ならではな問題提起、社会批判、主人公の父親と犯人の駆け引きはあるのに、スペイン版で根源的な面白さに直結しているピリピリ、キリキリとした緊迫感・焦燥感が後退しちゃっている、リメイク映画としては大変惜しいとしか言いようがない作品になっていると思います。





まず、これは身も蓋もないことなんですが、日本の配給会社、クロックワークスさんはオリジナルに尊重するように宣伝されているから、しょうがないのは否めないし、本来のスペイン版でも、実は、なんとポスタービジュアルや予告編などの宣伝でそういう風に打ち出してしまっているから忠実にやっているんでしょうけど、ドイツ版では犯人の存在は敢えて伏せられていて、主人公の父親との通話の時にはボイスチェンジャーでちょっと誰が誰だか分からないように演出されていたのに対し、今回の韓国版はスペイン版と同様、宣伝の段階ではっきりとチ・チャンウクさん演じる犯人のジンウーの存在を公表しちゃってるわけなんですよね。これは良く言えば、追い詰める者と追い詰められる者、順風満帆な人生を送っている者とそうでない者の対比として配置されているような気がしなくもないんだけど、ドイツ版が物語の後半、ミステリー的に上手く効いていたこともあってか、裏を返せば、スペイン版に沿っているとはいえ、主人公の父親と犯人が後の展開で会って、直接対決に持ち込むと分かったうえで、初見時に観ることになるから、いくらなんでも、宣伝のせいで、気持ち的に萎えちゃうんですよね。もちろん、フォローしておくと、韓国版、独自のアレンジによって、少なくとも観客が驚けるようにはなってはいるんだけど、例え、韓国本国でも、日本でも、チ・チャンウクさん人気で集客の見込みがあったにせよ、そこは劇場公開された後に後出しで情報解禁してでもいいから、実は…犯人役でチ・チャンウクさんが出演しているといったことを劇場公開日になる前はなるべくサプライズ的に伏せておいたほうが良かったんじゃないという風に思わざるを得ないんですよね。更に言えば、犯人が姿を現すシーン、スペイン版とドイツ版は初登場シーンは割りとあっさり、警察の車の中で待機している描写が初登場シーンになっていて、ドイツ版だと、この人物は本物の兄なんじゃないかと観客をミスリードさせるようになっていて、韓国版では意図的に初登場シーンで犯人を演じられているチ・チャンウクさんの顔を見せないようにされていたんだけど、これも宣伝で既にチ・チャンウクさんが犯人だと公表しているためなんだろうけど、犯人が早い段階で主人公の父親の弟を演じないで、堂々と自らが犯人だと明かしちゃってるんですよね。それによって、主人公の父親がこの人物は本物の弟ではなく、自分の弟だと称している赤の他人であることへの驚きが根こそぎ無いのはなんだかなぁと思っちゃうんですよ。欲を言えば、スペイン版とドイツ版にはなかった、主人公であるソンギュが広場周辺にいる携帯で電話をしていた男性を犯人だと思い込むシーン、そこで広場周辺の野次馬の中の男性が犯人のジンウーなのか、ジンウーではない別人だったのか、そこは回収させておいても良かったんじゃないかなと感じたりはしました。

で、宣伝のせいで犯人の存在をバラしちゃっているから、映画館に配布されているチラシであるとか、Youtubeにある日本語字幕付きの日本版予告編であるとか、それらを目に通さないで、何も知らないで見た状態で見れば、ワクワク感を持って楽しめることが出来るとしても、どこが素晴らしい改変なのか、どこが改悪されているのか、詳しく順を追って説明しておくと、まず、序盤、事の発端となる主人公の4人家族の父親、イ・ソンギュが犯人から用意された携帯で彼から脅迫電話を受けるわけなんだけど、スペイン版を観ている人にとってはヒヤッとする出来事が何段階か用意されていて、韓国の都会の車道を走っている最中、その電話中に前方不注意であいにく横断歩道を渡る歩行者たちを轢きかける展開があるんだけど、これは一歩間違えれば、ソンギュが座席から離れて、自転車の人の前で誠意持って土下座して謝罪をすれば、家族だけでなく、見ず知らずの人を巻き込む事態になっていたし、ソンギュが給油のためにセルフサービスのガソリンスタンドに立ち寄る展開なんかは犯人が再び非通知電話(発信番号表示制限電話)をかけて、呼び止めるような行動を取る辺りはなんだか親切だなというような気もしなくもないんだけど、ここも例えば、ソンギュがセルフサービスでレギュラーガソリンを入れようと立ち上がろうとしていたりとか、偶然いたガソリンスタンドのスタッフが対応してくれて、説得しようとして車から出ちゃったりとか、そういう行動をしていなければ、いつ座席から離れて危うく爆発させてもおかしくないような緊張感を醸し出していて、ドキドキハラハラさせられるシーンになっている。ただ、その直後、スペイン版とドイツ版では物語の後半、爆弾処理班の班長が主人公の父親たちが乗る爆弾を調べたうえで、犯人が仕掛けていた手製の爆弾が油圧式の爆弾だということを分かりやすく説明しているから、リアリティ的には突っ込みどころがあるところはあるにはあるとしても、実際に主人公と同じ状況になった時に、こういう事に直面するだろうという説得力を高く持たせてはいたんだけど、韓国版ではチ・チャンウクさん演じる犯人が手製の爆弾がどういう仕組みで爆発するのか、あらかじめ主人公の父親に説明しちゃってるせいで、犯人の冷酷な一面が前に出ているというよりも、かえって優しさ、親切さが前に出ていて、作劇的にはちょっと説明的になっている印象が見受けられるんですよね。とはいえ、話が進むにつれて、犯人のジンウーは内面的に犯行計画の実行中に善意と悪意の間で揺れているんじゃないかと推察できるような台詞の節々があるから、ごく小さなノイズではあるかなと思われます。

で、そこからの序盤、犯人がダッシュボードに入れて用意しておいた携帯に設定されていた壁紙の写真がソンギュの妻、ヨンスのFacebookに投稿されている家族写真であるとか、息子のミンギュンが通う小学校にはわざと行かせないようにする行動に出るところとか、大筋の流れはスペイン版に沿ってはいるのですが、ここで犯人のジンウーは「9億6000万ウォンを現金で、17億2600万ウォンを指定の口座に振り込むこと。さもないと、爆発します。」と言うんだけど、スペイン版とドイツ版と同じく、要求された大金というのは、ソンギュとヨンスの全財産を寄越すよう強請っているわけなんだけど、微妙に違うのは、話が進むにつれて、犯人がそれなりの理由で提示される額が吊り上がっていくようになっていくんですね。これは後の展開で明かされることなんだけど、犯人のジンウーはソンギュが働いているパルン銀行が起こした不当勧誘に法的措置を取ろうとして、訴訟費用を稼ぐためにこのような行動を取っているんですよね。これは2幕目にあたる部下夫婦の死から生じた息子の重傷とスペイン版とドイツ版にはない妻が犯人が仕掛けた火薬の少ない爆弾によって爆発に巻き込まれるくだりでソンギュが充分精神的に追い込まれていってるんだけど、犯人のジンウーが提示された額を吊り上げることによって、犯人のアンチモラル的な容赦無さ、非情さをストレートに伝えているし、ソンギュの視点からすれば、精神的な追い込みっぷりに拍車をかけているようにしていて、見事な改変だと思いました。あと、スペイン版とドイツ版にあった登場人物の会話の性急によって成立されている焦燥感(イライラ感)、元のスペイン版では車内にいる父親カルロスと娘のサラ、息子のマルコス、車内にはいなくて、会話の輪に入ってない母親のマルタも含まれるんだけど、事件発生直後に至っては、冷静さに欠けていて、ヒステリックな精神状態になっていたんだけど、この韓国版だと、主人公家族の人物設定が改変されていることもあって、ピリッと、ピリピリとした焦燥感、空気感はあんまり醸し出されてはいなくて、少なくともソンギュ、ヘイン、息子のミンギュン、車内にいない妻のパク・ヨンス、どの人物も落ち着いた判断が取れているように見せられているんですよね。なので、これは韓国版のあらゆる改変でカバーされているからノイズにはなっていなかったんだけど、良くも悪くもストレスが溜まらないように楽しめるかなという部分ではある。

でも、スペイン版にあったような主人公の父親と犯人の駆け引き、いわゆるこのソンギュとジンウーの視点を中心にして語られているせいか、スペイン版とドイツ版のサブプロットであるソンギュにとっての家族関係の修復、再生という家族ドラマの側面はメインの事件と比べてみると、ちょっと薄い印象が見受けられる。例えば、元々のスペイン版にあった主人公の仕事仲間(上司、部下)が妻と共に爆発に巻き込まれて殺される一連のくだり、ドイツ版と本作の韓国版、見事に再現されていて、科学的に爆発で吹き飛んだ車のガラスの破片が主人公の息子の膝元に直撃するのかはちょっとご都合主義的かもしれないんだけど、ドイツ版だと、序盤で主人公の父親、カールが先に駐車しようとしてきた三十路の男性と座席に座った状態で口論を繰り広げる最中、後部座席にいるヨゼフィーネが下のシートをめくって爆弾の導線に気付き、事の重大さに恐怖と不安を感じる心理描写があって、これがあることによって、その前に彼女の彼氏(男友達)がカールに犯人だと誤解されても、その後にカールが犯人に脅されてあたかも自分が濡れ衣をかけられているのに犯人だと主張してるようにしか思えない発言をしていても、主人公の父親と娘から成る家族関係の修復、信頼関係の再構築されるプロセスに深みを持たせていた。なんなら、この家族関係の修復、再生、信頼関係の構築が如何に事件を解決するために大事なのかをはっきりと伝えていたんじゃないかなと思うんですよね。ただ、これはないものねだりだとは思いますが、本作の韓国版だと、ソンギュがヘインの彼氏、男友達が犯人だと誤解してバックで轢いちゃう行動に出るとか、ソンギュが死ぬ前の部下夫婦や駐車しようとしていた男性と話している間に彼女が爆弾が仕掛けているのか確認する描写があるとか、そういうのは丸々カットされていて、ソンギュの妻、ヨンスに不倫相手がいなかったこともあり、スペイン版とドイツ版を比べてしまうと、娘のヘインの人間的な厚みが欠けているような気がしちゃってて、ソンギュとヘインの信頼関係が再構築されるプロセスにもうひと段階ロジックを与えて面白味を出して欲しかったかなと感じたんですよね。ちなみに、ドイツ版だと、エミリー・クーシェさん演じる主人公の娘、ヨゼフィーネはスペイン版と韓国版とは異なって大幅なアレンジがされていて、女子高生ではあるんだけど、東京の竹下通りとか、大阪の心斎橋筋商店街であるとか、ああいう場所で休日で時間を過ごしてそうな若者のスタイリングで、私服通学の女子高校生は韓国国内の高校だと、あんまり私服通学の高校は珍しいから、韓国版ではブレザーの制服姿だったと思いますが、非常に今の若者像が明確に伝わってくるという意味では、凄く良かったと思います。

とはいえ、オリジナルのスペイン版からのカットされている設定や展開が結構プラスに働いていて、物語内では主人公の娘、ヘインの彼氏(男友達)、または妻のヨンスの不倫相手が出てこなくても、これはこれでアリだと言えるんですよね。特にスペイン版とドイツ版にあった主人公の妻に愛人(不倫・浮気相手)がいて、彼がいたことで警察に疑われる羽目になる一連の展開、元も子もないことを言えば、スペイン版は夫と妻、愛人、この大人たちの情念が絡むような男女問題が発端となっているわけだから、リアリティに欠けているところはあったんだけど、韓国版はスペイン版とドイツ版同様、ソンギュが妻のヨンスに要求された額を支払うために銀行に行って現金を下ろす一幕があるんだけど、ヨンスと同行していた人物が愛人から友人のジヘおばさんに置き換えられていて、そのヨンスの友人そのものは不審に思って警察に通報する真似はほぼほぼ取っていないため、友人のジヘを明らかな悪役的な存在にしていなかったのは、この韓国版の中では1番素晴らしい改変ポイントだったと思います。また、妻の友人が警察に通報していない代わりに、警察署長らが部下夫婦が爆殺された時の当時の防犯カメラの映像を見て、ソンギュを逮捕しようと車を包囲する話の流れも良かったんだけど、スペイン版だと、主人公の妻、が現金を下ろしたその直後、怪しい背の高い男性を見かけたと知らせる通話のやり取りがあるんだけど、韓国版ではその会話のやり取りを具体的に映像で説明されていて、背の高い男性が捕まったかと思いきや、実は背の高い男性は犯人なんかじゃなくて、ヨンスはその目と鼻の先に仕掛けられた火薬の少ない爆弾が爆発した時に被害を受ける衝撃的なシーンが盛り込まれている。つまり、これはさっき書いた犯人が与える心理的恐怖がその衝撃的なシーンなんだけど、犯人のジンウーは意図的にヨンスの命を奪わないことで、自分の妻とお腹の子が失ったことへの喪失感、絶望感をソンギュに擬似的に味あわせようとしていると考えられるわけなんですよね。

あと、スペイン版とドイツ版と比べてみて、中盤で主人公の妻が主人公から頼まれて、銀行から金を下ろすくだりで彼女と一緒にいたのが妻の愛人から友人に置き換えられていたのが1番の改変ポイントではあるんだけど、その次にアレンジが凄く効いていたのが、カーアクションシーンなんですよね。スペイン版とドイツ版だと、ロケーション的には撮影に限界があったのか、そういうアクション見せ場は意図的に力を入れて織り込まれなかったのか、話全体、カーアクションは割りと少なめになっていたんだけど、韓国版だと、厳密には物語の中盤の舞台となる海雲台地区、この場所で大規模な撮影がされていて、元のスペイン版と1度目のリメイクとなるドイツ版は比較的、小ぢんまりした話だったのに対し、意外とスケール感が大きくて、後から考えると、犯人のジンウーが起こした事件というのが如何にして、社会的な影響、波紋を与えているのか、分かるように上手く出来ていると言える。特に警察に包囲される手前のソンギュの車と警察車両のカーチェイスシーン、緩急の付け方といい、そこから挿入されるクラシックギターの美しい音色を効かせた劇伴音楽といい、ドローンで撮られたとされる空撮といい、シーンの最後に来る警察ヘリのタイミングといい、没入感が高く、非常に迫力のあるシーンに仕上がっていたと思います。あと、これは舞台設定と画作りがプラスに働いているんだけど、車内にいた主人公の娘が運転席にいる父親を警察が手配した狙撃部隊から守ろうと爆弾が仕掛けられていた助手席に移動すりシーン、スペイン版とドイツ版だと、あからさまに狙撃部隊のスナイパーが主人公の視界に入りやすい距離にいてて、娘だけがスナイパーの存在に気づくのには結構無理があることになってて、突っ込みどころになってしまったんだけど、韓国版では配置されていた狙撃部隊のスナイパーは高層ビルのバルコニーで準備大勢を整えているから、非常に必然性の高いシーンになっていたと思います。

一方、スペイン版とドイツ版だと、車内では実質的に拘束状態に置かれている主人公家族(父親、娘、息子)とその車の周辺にいる人たち(妻や愛人、警察)だけに絞られて描かれていて、乗用車の車内という限定的で、閉鎖された空間をメインの舞台装置として上手く際立たせるために全編が進行されていたんだけど、この韓国版だと、主人公家族のいる車内内部の視点と周辺の人たちの視点のみに絞られてはいるんだけど、周辺の人たちの視点がより事件の外側で起きている関係者の様子が分かりやすく提示されいる。これによって、車内にいるソンギュら主人公家族とその周辺にいる妻のヨンスや爆弾処理班のヨンヒ、双方の視点を結構フェアに見せられている。特に事件を捜査する警察の視点、スペイン版とドイツ版と同じく、無能に描かれていて、比較的、これでもまともに捜査されている警察チームだとは思うんだけど、スペイン版とドイツ版だと、妻の愛人からの嘘を交えた証言を信じちゃって、一辺倒な考え方で捜査を進められていたんですが、この韓国版だと、悪しき存在にされている妻の愛人が妻の友人に置き換えられた分、被害者のソンギュが犯人だと誤解された動機はどちらかと言えば、事件を解決しようする最中でソンギュがどうして爆発事件の犯人になったのかを断定しようとしていたようにみられる。ただ、それによって、スペイン版とドイツ版では準主人公、準主役級に活躍されていた爆弾処理班の班長、彼女の活躍は初登場シーンで5分以上に及ぶ長回しを効果的に使ったり、終盤では彼女が病院で息子が元気になる姿を待つ主人公の妻に直接主人公の人柄を確認していたり、クライマックスで彼女が犯人の身元が判明したと運転中の主人公に知らせるシーンでは初登場の時と同じ長回しで見事な演出力でダイナミックに見せていたりされていたのですが、韓国版の爆弾処理班(EOD)のパン・ヨンヒ班長はスペイン版とドイツ版にあった爆弾処理班の班長を印象付ける場面が無くなっているせいで、相当あっさりとした脇のキャラにされている。なんなら、バランスからして、後半以降に犯人のジンウーの悲しい背景や復讐動機に焦点を当てすぎたことによって、かえってヨンヒ班長の活躍が中途半端なものにされているように感じ取れてしまうんですよね。

そして、その後半以降、これはあくまでも個人の意見なんですが、これが最大の問題点、不満点なんだけど、主人公の父親、イ・ソンギュが犯人のチヌとご対面して、イ・ジェインさん演じる娘のイ・ヘインを救うために直接対決に持ち込んでからの人質救出もののくだりになってからは大変失速していて、せっかくソンギュが犯人からの脅迫電話を受けたから持続していた緊迫感・焦燥感が致命的にちょっと損なわれているという点に尽きるんじゃないかなという風に思います。まず、スペイン版とドイツ版だと、主人公と兄弟関係にあると名乗っている犯人は1度主人公と娘の前に姿を現してはいるんだけど、身の危険を承知の上で、助手席に座った娘を解放しないで、自分が最初に脅迫電話のために用意した携帯で亡くなった妻の写真を見せて、ダッシュボード内部を改造して作ったタイマー付き爆弾を見せたうえで、身代金を調達するよう要求して、そこから主人公と妻が亡くなった顛末のことで口論をしてから、スペアキーを主人公に手渡しているんだけど、韓国版はこれが大きく変更されていて、犯人は主人公の娘、ヘインを爆弾を遠隔操作させるリモコンで解除させてしまっていて、彼女を人質にして預かると、スペイン版とドイツ版同様、ダッシュボード内部を改造して作ったタイマー付き爆弾を見せたうえで、身代金を調達するよう要求するんですよね。要するに、この韓国版ならではの独自の改変、恐らく、犯人視点の人間ドラマを深く掘り下げようとするために主人公の娘を解放させる展開にしたと考えられるんだけど、その改変をしたことによって、復讐相手の主人公と身の危険を冒してまで父親と共にするその娘の危機的な状況から成るワンシチュエーションの面白味が生じていないように思えるし、逆にこの犯人が「兄がヘインを解放するそうです。助手席の爆弾を解除したと。」と言って警察に叫ぶ描写は犯人が非常に無謀過ぎた言動に及んでいるようにしか到底思えないんですよね。そもそもスペイン版とドイツ版だと、主人公の父親が爆弾がある車内で犯人と直接対決する直前、隣の助手席にいる娘と一時的に別れるシーンがあるわけなんだけど、ここでは主人公の父親が爆弾が爆発しないよう両手で頑張って、助手席の下のプレート(撃鉄)を押さえつけて、娘を危機的な状況から脱してあげていて、この爆弾が仕掛けられた車がしっかり舞台装置として働いているからこそ、ワンシチュエーション、ワンアイデアの面白み、強みがあるんですよ。だから、スペイン版の肝となる部分を単に外しているような印象がどうしたって否めないんですよね。

それで、そのクライマックス、ソンギュが人質にされた娘のヘインのため、ダッシュボードに仕掛けられた時限爆弾に表示された制限時間に間に合わせるように大金を工面しながら車を爆走させながらくだりになるわけなんだけど、そこでソンギュが必死になってヘインを何としてでも助けたい葛藤、スペイン版とドイツ版にはなかった病院にいる主人公の妻、パク・ヨンスの視点、これらの改変はプラスに働いてはいたんだけど、ソンギュがヨンスの通話をしてからは良くも悪くも叙情的な音楽が流れて感動的になるんだけど、それ以上にそれに拍車をかけるようにソンギュの視点で語られる回想シーンが挿入されてからは、叙情的、情緒な演出が強まっていって、序盤の最初に犯人の脅迫電話を受けたシーンから持続していたはずの緊張感、緊迫感がだんだん途切れるようになってしまっているし、どんどん興味の持続が維持できなくなっている感じがするんですよね。

加えて言えば、本作の韓国版、チ・チャンウクさんが演じる犯人のジンウーの動機、スペイン版同様、池井戸潤原作の『半沢直樹』っぽい動機となっていて、ソンギュがいたバルン銀行が不当な勧誘をして、銀行が多くの投資を募って利益を得た代わりに、ジンウーのいたチャンホ繊維のような企業団体が大損して破産させられていたことが明かされている。
ざっくり言えば、そこにはチャンホ繊維のジンウーたちのような弱い立場の人間が経済的に困窮していて、逆に主人公である銀行の支店長、ソンギュたちのように不正を犯している社会的な強者が生活困窮者にならずに、順風満帆な人生を送っている。いわば、私たちが生きている現実と地続きとなっている貧困問題、格差問題への批判を物語内で浮き上がらせているように思われるんだけど、スペイン版とドイツ版だと、犯人は割りと実在感を持たせるように割りと冴えないおっさんとして人物像が描かれていて、韓国版はチ・チャンウクさんに合わせて主人公より年下に設定されているわけなんだけど、その先、将来的にあとが無かった犯人が何もかも失っていたのかと思いきや、実は犯人には妹がいてて、息子までいてるという事実が明かされている。それでいて、スペイン版とドイツ版、共通して、主人公の父親と犯人の直接対決はウェット感は持たされてはいるんだけど、クド過ぎないように一貫してシリアスな雰囲気を維持させているんだけど、この韓国版だと、クライマックスには犯人のジンウーが妻の自殺で妻と彼女のお腹の中の子供を失った事実が明かされていて、スペイン版とドイツ版よりも救いようの無いように設定されてはいるんですが、その後のスペイン版とドイツ版にもあった主人公の父親であるソンギュと犯人のジンウーの車内での会話ではここでは警察の元に駆けつけた犯人の妹が電話で説得を試みる展開がカットされている代わりに、チャンホ繊維の元社長との訴訟費用を巡る電話のやり取りが追加されていて、恐らくその元社長は表面的にはソンギュが仕事関係で事件を起こしたと報道されているというのもあり、今現在のジンウーの状況を知らない中で通話している。ここはジンウーがジョンホを殺した時と偶然が重なって、ヨンスの近くに警察がいた時に要求された額を吊り上げなきゃいけない理由が明かされていて、物語の再構築においてはしっかり筋が通っている。ただし、犯人のジンウーが平静を装って元社長に電話をしているシーン、後に2度目に挿入される亡くなる前のジンウーの妻、ウニョンが退勤するソンギュに元金を取り戻したいと懇願する回想シーンとスペイン版とドイツ版にもあった犯人が復讐動機を通話で明かすシーン、物語上、その復讐動機の説明が説明に説明を重ねてるようにしか見えなくて、結局のところ、ジンウーとチャンホ繊維の元社長との通話のシーンはカットしても良かったんじゃないかと思っちゃうんですよね。

で、更に言えば、同じくクライマックス、ここはスペイン版とドイツ版同様、ソンギュが自らの運転で車を海に落として、ヘインが持っていた辞書で運転席に圧力をかけて、そこから自分だけ助かる展開が用意されていて、チ・チャンウクさん推しのファンにとっては酷な落とし前にはなっているかもしれないんだけど、ここはスペイン版を忠実に再現されていて、素晴らしい見せ場に仕上がっていたというように感じられました。でも、この韓国版、スペイン版とドイツ版と大きく違うのは、後半以降、情緒的、叙情的な演出がラスト辺りまで続いていることによって、犯人のジンウーに対する同情の余地が大いにあるということを演出力込みで語り切られていて、いくらなんでも、ソンギュの部下、アン・ジョンホとその妻を爆殺したジンウーの正しくなさを美談っぽくして正当化しているのは如何なものなのかな…思ってしまってならないんですよね。だから、主人公のソンギュと犯人のジンウー、ソンギュはリスクの高い株式投資を勧めたことで、チャンホ繊維を破産させてしまったことへの罪、ジンウーはソンギュの仕事仲間で、別の銀行で副支店長を務めていたジョンホとその妻を爆弾で殺したことへの罪、「正しくないけど、一理はある。」、そういう2人の人物に両方とも同情の余地を与えるようにフラットに描いてなくて、観ていて、納得し辛い感じになっちゃってると結論付けざるを得ないかなと思いました。

ちなみに、スペイン版は叙情的な演出は加えられてはいるんだけど、主人公の父親、カルロスと犯人のが直接対決するくだりに入ってからは、そういう感動的な展開においては抑制された形に留められていて、カルロスが自ら車を海に落とす瞬間は自然とシリアスなトーンに引き戻すように作られている。で、ドイツ版だと、犯人のルーカスが作品全体の社会的なメッセージを言わせる役割として主人公のカールや爆弾処理班の班長ピアに向けての主張を響かせるよう工夫されていて、カールと娘のヨゼフィーネの一時的な別れのシーンで感動的に見せられていても、シリアスな雰囲気を維持させていて、カールとルーカスの両者の心理的な葛藤を際立たたせている一方で、一貫して緊張感を持続させるように作られているわけなんですよね。もっと言えば、スペイン版とドイツ版、どちらとも、犯人がやった行為を美談的に見せていなくて、犯人の動機からして、「正しくないけど、一理はある。」というような考えが取れるんだけど、2人の命を奪ったことには変わらないから、同情の余地を与えないように突き放したような扱われ方にされているんですよ。なので、もちろん、スペイン版とドイツ版を観ていない人にとっては純粋にジャンル映画的には秀作、良作だという認識が取れるのかもしれないんだけど、この作り手による調理はあまりにも間違っているという風に認識しました。

ただ敢えて言えば、スペイン版とドイツ版だと、爆弾処理班の班長は割りと事件の被害者であり、車内に拘束されたような状態にある主人公家族(父、娘、息子)に寄り添ったような描かれ方がされていたんだけど、韓国版だと、犯人のジンウーと比べてみると、脇役のような存在に配されていることはさることながら、警察署長が都合のいいように協力的になって、犯人を逮捕しようとする動きは全然なくて、ドイツ版のように爆弾処理班のヨンヒ班長が犯人を倒したソンギュと解放されたヘインが抱き合う様子を見届けるシーンはあるんだけど、比較的、ドライにそれを見届けているように描かれていて、最後の登場シーンは事件の被害者が助かったことへの笑みは見せてはいるのですが、ここはドイツ版のような強調された感じにはされてないためか、かなりのリアリティを持ち合わせいるんじゃないかなと思いました。それと、その後のラストシーン、ドイツ版だと、主人公の父親であるカールが脅迫された時に働いた詐欺罪、横領罪は法的にやむを得ない状況だったのに、結果の重大性を噛み締めるようそういう判決を下したのか、それとも、一時的に留置所に勾留されていて、執行猶予付きで釈放されたのか、多分、前者の解釈のほうが合ってると思いますが、カールは釈放されたあとに無事に妻と子供たちと再会して、彼がイチから家族の絆を築こうとするのを匂わせるような着地がされていたんだけど、この韓国版だと、ラストもスペイン版に忠実にした方向が取られていて、ソンギュが最終的には銀行の被害者たちに肩を持つことにして、自分が務めていた加害者側であるパルン銀行を敵に回してしまうわけんだけど、スペイン版とドイツ版にも主人公の父親が働いていた職場と決別する描写はあったんだけど、このラストそのものは今回の一件で改心したソンギュ自身が被害者団体である中小企業、チャンホ繊維、或いは、ジンウーの辛い思いを完全に理解している、寄り添おうとしていることが提示されていて、家族関係の修復、再生はちょっと薄めに作られている反面、ちょっと清々しさを残してくれている着地で素晴らしかったと思います。

あとは、もちろん、役者陣の演技力は言わずもがな、素晴らしかったと思います。主人公のイ・ソンギュを演じたチョ・ウジンさん、日本で劇場公開された韓国映画の中では割りと認識されやすかった『SEBOK/ソボク』のアン部長は役柄的に中ボスキャラでありながらなんかちょっとミスキャストかなと感じちゃってならなかったんだけど、本作、韓国語版『暴走車』こと『ハード・ヒット 発信制限』のソンギュ役においては、裕福な家庭を築いているのに、適当に生きていて、ズルい大人であるというのがピッタリハマってて、事件を起こした犯人や事件の犯人だと疑う警察から追い詰められた時の表情は本当に見事だし、爆弾処理班のパン・ヨンヒ班長を演じたチン・ギョンさん、過去の出演作を観る限り、幅広い役柄を演じられているようですが、韓国版の班長の描き方には納得がいかないところはあるのですが、少なくとも元のスペイン版と1度目のリメイクであるドイツ版にあった爆弾処理班の班長を好演されていて、注目しがいのあるバイプレイヤー女優だと思いましたね。もちろん、犯人のジンウーを演じたチ・チャンウクさん、主にTVドラマで活躍されていて、韓国本国ではアイドル的な人気を誇っている俳優さんなんだけど、特に初登場シーン、電話の音声で聴こえてくる甘い声と実際の姿で出てくる彼の表情にギャップがあって、彼の怒りと憎しみ、悲しみに満ちた鋭い目は滅茶苦茶印象深くて、噛み応えのある演技パフォーマンスだったと思います。

ちなみに、まだ海外ではまだ予告編すら公開されていないのですが、リーアム・ニーソン主演で『暴走車』のアメリカ版リメイクが決まっているらしく、日本公開の可能性があるとすれば、来年公開になると思われますが、その時はオリジナルのスペイン版のみと比較となるか、もしくは、4作品、全て比較する方針を取ろうかなと思っています。

ということで、韓国版を絶賛している人には悪いのですが、2度目のリメイクとなっているこの韓国版の真っ向から全否定しているわけではなくて、オリジナルのスペイン版、1度目のリメイクにあたるドイツ版と見比べてみて、オリジナルのスペイン版のプロット、アイデアの良さを残しつつ、どのように再現できているのか、どのようにこの美味しい素材を調理していくのか…改めて1本の映画をリメイクすることへの厳しさ、難しさ、ハードルの高さを考えさせてくれる作品ではあったかなと思いました。その意味では、スペイン映画で幾つかのサスペンス映画、ミステリー映画がリメイクされる中で、『暴走車 ランナウェイ・カー』は認知度、知名度は高くないかもしれないけど、この『暴走車』をリメイクしたいという企画だけが先行して作られている作品ではなくて、役者陣の力演、熱演、迫力のあるカーアクション、スペイン版とドイツ版にもあったような社会批判、少なくとも、スペイン版とドイツ版にはなかった一部のブラッシュアップ、アレンジは上手く行っていると思います。ただ、犯人のジンウーがソンギュと対面してからのくだりになってからは、スペイン版とドイツ版にあったピリピリ、キリキリとした緊張感、焦燥感を途切れてことによって、悪い意味で「期待を裏切られた」というような感じでした。要するに、『暴走車』を日本の大手配給会社がリメイクしたら、こんな風になってしまうんじゃないというような邪推をしてしまうような作りにはなっているという風に思いました。でも、以前観賞した韓国版の『P2』と比べたら、非常に好感は持てそうな韓国のリメイク映画となっていると思われますので、この韓国版を成功作と呼べるのか、明らかに失敗作なのか、はたまた、どちらとも呼べない大変惜しい作品になっているのか…是非是非、色んな形でこの目で確かめてみてください。