今回は本編の上映時間が120分以下の割りにはテンポが悪く、ラストの超絶怒涛の展開は荒唐無稽かつ批判を呼びかねない描写になっているのだが、エンタメ度が濃く出ていて、起きている出来事は深刻なのにコント的、コメディ的な面白味があって素晴らしい思わぬ掘り出し物のインド映画をご紹介します。
THE FLIGHT/ザ・フライト
主演︰モヒト・チャダ/イシタ・チャルマ/パワン・マルホトラ/シバニ・ベディ/ザキール・フセイン/ファリム・カリム/ヴァシャル・アーヤ/ドルヴァディティヤ・バグワナニ
・あらすじ
航空機メーカー、アディティアラジ社が製造した旅客機815便が墜落した。多くの犠牲者をだした悲惨な事故の原因を究明するため、操縦席の全データが記録されているブラックボックスの調査を進めるが、役員会は自社の責任を回避しようとこの問題の隠蔽を画策する。しかし、父親からアディティアラジ社を継いだマネージングディレクターのランヴィールは、役員会の決定を覆し、自社の責任を認めて事故の真相を公表すべきだと主張。回収したブラックボックスとともに自身のプライベートジェット、フェニックスに乗り込み、投資家への説明のためドバイへと旅立つ。離陸後、つかの間の睡眠から目覚めると機内には自分一人だけしかいないことに気付く。コックピットの機長は応答なし、通信機器も全て不通、脱出用のパラシュートは切り裂かれ、さらに機体には時限爆弾が仕掛けられていた…。
(株式会社Twinの公式サイトより一部抜粋)
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感想
この映画は本作が初の長編映画監督デビューを飾り、インドで有名な小説家、文芸評論家として活躍されていたとされるスレーシュ・ジョシ氏を父に持つスラージ・ジョシ監督によるプライベートジェット機の機内を舞台に繰り広げられるフライトサスペンス。インド本国国内では2021年4月2日に劇場公開され、後に海外のAmazon Prime Videoで独占配信された1作です。
世の中には様々なタイプの映画が何本もこの世に産み落とされていて、例えば、TVで地上波放送するTV放映作品で言えば、NNN系、日テレ系の金曜ロードショーの枠で放送されるメジャーな娯楽大作ですとか、NHKのBSプレミアムで流れる20世紀の言わずと知れた名作・傑作ですとか、そういったものがある中でテレビ大阪の映画クラブ、テレビ東京の午後ローで流れてそうな映画、もしくは、午後ローの枠だったら丁度いいレベルの作品が世界中に転がっています。2022年ではカンヌ国際映画祭で賞を獲った傑作から漫画の実写化作品まで色んな映画が公開されていますが、こういう午後ロードショー映画として思う存分楽しめる映画が劇場公開されていることがあり、あんまり食指は動かないのですが、海外の批評は置いといたとしても、結構需要があるんじゃないかという風に思いました。それでいて、昨年12月に情報解禁され、宣伝や予告編に目を通す限りでは明らかに午後ロー感覚で楽しめそうだけど、今年のベストには入らないような珍作なんだろうと思って期待半分、不安半分でおうちで観たところ、これがインド映画らしくないとんでもないナーメテーター映画でした。ぶっちゃけた話、今年の上半期ベストには確実に入れたいぐらい最高にゲラゲラ笑いながら楽しめる1作と言っても過言ではないです。
本作は飛行機、航空機の機内を舞台にしているサスペンス、或いは、飛行機内という限られた限定的な空間でほぼほぼほとんど繰り広げられているある種のソリッドシチュエーションスリラーのような作りになっていて、言ってみれば、手垢の付いたような定番的なジャンルをやっているような感じなんだけど、物語の主軸となっているのは大手の航空メーカー『アディティアラジ社』が招いてしまった旅客機815便の墜落事故による不都合な真実を会社の社長自らが白日の下に晒していく様で、事故の全容あまり深く掘り下げられてはいないんだけど、仮に続編が2023年に製作されて公開されるとするならば、このシリーズを通してある種ポリティカル的に勧善懲悪的なエンターテイメントに仕上がっているんじゃないかという風に思われます。そのうえで、墜落事故を起こして多くの人の命を奪ってしまった当事者のひとりが主人公であるが故に、中盤辺りで明かされる真犯人が持っている動機とか、真犯人と主人公の関係性そのものは明らかに会社内のある種のお家騒動であって、真犯人がやってる事自体は内輪揉めのはずなのに大がかりな犯行ではあるんだけど、世界のどの企業にでも起こり得るような現実的な問題を反映させているし、メーカーの管理責任能力が問われている若社長のランヴィールが重大な責任を持って行動していると共に墜落事故の件で世間的にも客観的にも真に罪や責任を問われなければいけない相手(真犯人)と対峙するという物語構造になっている。もっと言えば、この物語で描かれていることは深刻でシリアスな状況であるはずにも関わらず、全然重くならなくて、シリアスなシーンがあったとしても、全体にコメディタッチで楽しい作りになっていて、1種のジャンル映画としても、娯楽作品としてもサクサク楽しめる一方で、事故を起こす原因を作った、引き金を引いた責任者側の人間にその出来事への責任の重さ、取り返しのつかなさ、罪深さというのを突きつけて来る痛快な1本でもあるんじゃないかなと言えるんですね。
で、本作、物語の構成上、「起」、「承」、「転」、「結」、観客には分かりやすく明快に切りどころが分けられるように脚本が練り込められていて、4段階にして、大きく分けて4パートごとに区切られる。1パート目が主要人物の人物紹介と状況説明、プライベートジェットの舞台設定を語り切る前置きの役割を果たすドラマパート、2パート目がランヴィールが機内に閉じ込められたことによるひとりコント的な密室劇パート、で、3パート目が真犯人にハメられたランヴィールが絶体絶命な状況に巻き込まれ、この状況を切り抜けていく乗り物パニックと先に目的地で待つ代理人のバルラジュ氏が管制塔で仲間たちと飛行機失踪の真相解明に挑む捜査劇を同時並行させるパート、そして、最後の4パート目が管制官ラクサナの指示に従って、操縦未経験のランヴィールがどのようにプライベートジェット機を着陸させるかを描いた着陸劇のパート、この4つのパートで上手く構成されている。要するに、この物語の中では「承」に当たるランヴィールが機内に閉じ込められたことによる密室劇仕立てのミステリーパートと「転」に当たる真犯人にハメられたランヴィールが絶体絶命な状況に巻き込まれて打開していく乗り物パニックパートがメインなんだけど、ワンシチュエーション物の乗り物パニックに見えて、実は派手で見所満載、サービス満点に描かれていて、展開がコロコロ転がるごとにジャンルが変化していって、展開が進むごとに味わいが変わっていく。つまり、シンプルそうに見えて、複雑な映画だという風に言えるんですよね。しかも、基本、ライトでコミカルな雰囲気にしているに加えて、主人公であるランヴィールは彼がただの一般的など素人でいて、バカな思考の持ち主という見方が取れるんだけど、クライマックスからラストにかけての怒涛の展開では彼がどうして悪側である真犯人グループに勝てたのかが作劇的なカタルシスによって物凄い満腹感をもたらしてくれるように考えて作られていると言える。
まず、1パート目、物語の主人公であるランヴィールが飛行機の機内に閉じ込められる経緯、或いは、ランヴィールやバルラジュ氏の人物紹介を済ませていく基本中の基本のパート、正確に言えば、オープニングのスタッフロールを除けば、約28分ある割りには物語の構築と見せ場を盛り込むにあたって、部分部分で思うところはあるのですが、本作の最大の白眉としてタイトルバックの直前、ランヴィールが亡き父親が設計して作ったとされる"フェニックス号"という彼にとっては父親との思い出が理由で思い入れ深い大切な機種に乗り込んで、客室乗務員のリリーとジェニファー、操縦士である機長のサニヤルとシャルマと言葉を交わしていくわけなんだけど、何気無い主人公と脇役キャラの会話シーンのはずなのに、1度観賞して物語が知ってから2回目以降に観ると、結果的には無駄なシーンはほぼほぼ無かったことが分かる。メインの見せ場となる機内の個室(メインキャビン)の至るところにある機内設備やアイテムが非常に効果的に生かされていて、登場人物の関係性がさり気ないかたちで示されるように練り込まれているのは文句無しに素晴らしいなと思いました。一連のくだりにある1個1個のシーンを挙げていくと、キリがないのですが、特に凄かったのは機内の後方に配備されているバスルーム、ここは庶民の立場からすれば、プライベートジェット機にお風呂の設備があることに大変驚いたんだけど、ここの前置きとなる1パート目ではランヴィールが「世界が水不足に直面する中、バスタブとはな。」と皮肉混じりに客室乗務員のジェニファーに言うんだけど、後の展開ではバスルームのバスタブで九死に一生を得る場面が2回あって、1回目は天候が悪い状況になって、死を覚悟したランヴィールが一瞬の判断でバスタブで横になっては自分の身を守っているんだけど、2回目は3パート目でランヴィールが消火器型の爆弾を誤って爆発させちゃって、機体の後方部分に大きな穴を開けてしまうんだけど、ここがたまたま穴が開いたのがバスルームの壁だったのがラッキーだったのか、機内のありとあらゆる物が吹き飛ばされるなか、バスタブが爆発でできた穴にジャストフィットする辺りは空想科学の観点からして不可能だし、本当に荒唐無稽の極みなんだけど、乗り物パニックというジャンル的な枠組みを持った作品の中だったら、凄く斬新な生かされ方でお見事としか言いようがなかったです。或いは、機内の部屋の戸棚の上にオリーブの実が入れられているタンブラーが置かれてあって、ランヴィールがオリーブの実をつまむ描写があるんだけど、後々、彼が自分の座席の肘掛け部分にある押しボタン式のテレホン装置を押すためにそのタンブラーが使われていて、非常に伏線の回収のされ方が自然だなと思わされます。そして、極め付けとなるのは最後の最後のシーン、ジェニファーが「離陸前に安全のためのご説明をします。」と言ってシートベルトの着用方法を適切に説明して、ランヴィールと親しいリリーがちゃんと締めるよう念のために言うわけなんだけど、天才気質ではないランヴィールが頭を捻り出して堅く閉ざされていた操縦室を突破して入るためにバスタブと一緒に最大限に有効活用されていて、なおかつジェニファーがシートベルトの着用方法の説明の中で出てきたベルトバックルが絶大に役に立つ辺りとかは無茶苦茶脚本が上手いなと感心させられましたね。とにかく、ジャンル映画としてはプライベートジェット機の機内という舞台建てが生かされていて、メインのジャンルはミステリーではないんだけど、伏線回収が凄く優れていると思いましたね。
で、この作品の白眉と言える2パート目における密室劇のパートと3パート目に描かれている飛行機パニックのパート、例えば、ソリッドシチュエーションスリラー、ワンシチュエーションスリラーだったら、既存のジャンルの中では手垢の付いたような衝撃的な舞台設定が設けられているんだけど、密室劇としてミステリー要素をしっかり含ませつつ、ランヴィールのひとつひとつの方法や手段を段階的に試しているシーンを丁寧に見せていることによって、限られた空間に閉じ込められて危機的な状況に巻き込まれることが決して他人事ではないということが伝わってくるし、若社長のランヴィールは航空機メーカーの社長である父親の跡取り息子のはずなのに、どこにでも一般人、民間人であることには変わりはないということがきっちり説得力を持って説明されている。だから、ランヴィールには脱出してほしいと応援してあげたくなる気持ちが芽生えて来る分、自然とドキドキハラハラさせられる。
それでいて、加えて、この2パート以降、この作品の本当に白眉だと思うんだけど、ランヴィールがごくごく普通の何も持たない一般人であることからの人間味は持たされているんだけど、割りと先の展開が読めるっちゃ読めるとはいえ、彼の人間性から成る頭の堅さ、ポンコツさ、そして、視野の狭さが物語で露呈されているせいか、限られた空間に閉じ込められたことによるサスペンス的な面白味よりもコント的、コメディ的な面白味のほうが全面的に出ていて、モヒト・チャダさん演じるランヴィールの行動にリアリティがあるはずなのに、ピン芸人の一人芝居を観ているかのような味わいの軽さが見所になっていると思いましたね。特に彼が堅く閉ざされた操縦室の前で機長のサニヤルと副機長のシャルマに呼びかける展開が何段階か繰り返されているんだけど、ミステリー好きなら、客室乗務員のリリーとジェニファーが何者かに殺害されている時点で機長と副機長も殺されている。それか、機長と副機長のうちのどちらかがランヴィールを機内に閉じ込めたということが予想できると思われるんだけど、そこで彼がドアノブを握って扉を引いて開けたりとか、音声認識システムでの解錠のみならず、あらゆる方法で試そうと必死にトライする辺りはランヴィール本人にとってはこれが最善の行動なのに、その必死さが自然と笑いを生んでいて、ピン芸人のコントっぽさが濃くさせているように思える。或いは、その一連のくだりの中では彼が操縦室の前の壁に取り付けられていた航空機公衆電話の場所で隣室にいるサニヤルとシャルマと連絡が取れる機能があって、そこで客室乗務員に成り切ったかのごとく、「深呼吸して窓の外をご覧ください。神のお姿が見えることでしょう。我々の運命は絶望的だからシートベルトは不要です。」と流暢にひとり喋りをする辺りは「こいつ、大丈夫なのか?」と心配になるぐらい凄く笑えるんですよね。
それに輪をかけて、3パート目に当たる飛行機パニックのパートすらも、シリアスでいて、一刻を争うような状況なのにも関わらず、どこかコント的な面白味があって、例えば、ランヴィールが散々ひとりでキレ芸と言わんばかりに文句を言ったあと、偶然、機内のトイレの戸棚から消火器型の時限爆弾を発見するシーンがあるわけなんだけど、消火器型の時限爆弾ならまだしも、ご親切にニコちゃんマークの絵と共に「Just in case (日本語訳︰「万が一のため。」)」と書かれたメモ書きが貼られていて、殺したいのか、生かしたいのか、妙にユーモアを入れてくる辺りは非常にクスッとさせられますし、その後のシーン、ランヴィールが赤の動線か青の動線、どっちを切れば爆弾の爆発を阻止できるかという凄くベッタベタなサスペンス見せ場が用意されているんだけど、ここでランヴィールが「なんだよ。結局爆弾か。これまでの細工は一体何だったんだよ。」とひとりで突っ込みを入れてくる辺りなんかはもろに1人コントだなと思っちゃいました。個人的にはこれは日本中にいるピン芸人が同じようなネタを思い付いているとは思いますが、おいでやす小田さんがこの映画を基に新ネタを作ったら、えげつないネタになるんじゃないかなと思ってニヤリとさせられましたね。
あと、娯楽作品としては登場人物の台詞の所々でハリウッド映画、アメリカ映画の固有名詞が散りばめられていて、メジャーな映画を沢山観ている映画ファンだったら、冒頭の時点で結構な親しみやすさを覚えるのではないのでしょうか。ハリウッド映画ネタとはいえ、MARVELネタ、DCネタが盛り込まれてはいるんだけど、特にその中でもメタ的に効いていたのはミッション・インポッシブルネタ、前半、ランヴィールがリンゴを片手に自分の推理を展開させているくだりで「トム・クルーズでなきゃ、離陸後には飛び乗れないから。お前ら2人も一味だ。」と推理は大方ハズれている割にはサミヤルを装っていた実行犯の殺し屋がトム・クルーズばりにスカイダイビングで飛び降ちゃってて、その挙げ句には後半、中盤の最大の白眉でランヴィールが自ら頭を捻り出して、機内のシートベルトとバスタブを駆使して操縦室を突破して行こうとする展開、彼が思い通りにやろうにも上手く思い通りにはならなくて、「悪いな。トム・クルーズ。」と言って、仕方なくバスタブを手動で動かして何とか操縦室を突破して中に入っちゃうところは格好良くないんだけど、彼がヒーロー映画とか、アクション映画とか、あらゆるハリウッド映画を観ている設定だからこそ、彼をヒロイックに見せず、超人的な力を持たないごくごく普通の一般人であることをしっかり証拠付けていると思いました。
その一方、ランヴィールの代理人の叔父(叔父の弟)、バルラジュ氏、いわゆるお金持ちキャラの傍にいる執事、召使いのような人物で、お金持ちキャラの存在をそっと引き立ててくれる定番的なキャラクターなんだけど、3パート目に差し掛かってからは準主役級の活躍ぶりを見せていて、真犯人の動機とか、実行犯の犯行は既には提示されてはいるんだけど、事情を知らないバルラジュがランヴィールが機内で窮地に立たされている状況下にある間に彼を乗せたプライベートジェット機失踪の真相を探ることで、観客の興味を持続、維持させていることに上手く成功している。加えて、この3パート目のバルラジュらによる捜査劇、バルラジュが真犯人を突き止めていく過程はそこだけでも、このパートによる話の推進力と演出力で興味の持続は出来ているんだけど、機内にいるランヴィールとドバイの管制塔にいるバルラジュ、両方の視点で同時進行させているわけで、このパートでのランヴィールの視点では実行犯が置いた消火器型の時限爆弾をどうやって解除させるかというタイムリミットサスペンス的な展開が用意されているので、飽きが来ないように周到に作られているということなんですよね。だからこそ、ランヴィールの視点では言ってしまえば、荒唐無稽でバカバカしい展開が繰り広げられているはずなのに、不思議とランヴィールを心配して応援したいと思わせてくれるし、バルラジュの視点では彼の血の繋がった親族であり、彼の周りをサポートして助力する裏方のような人物であり、彼の家族関係も会社内部の関係を把握している第3者でもある彼が活躍ぶりを明白に見せることによって、スリリングに楽しめられるようになっている。
あと、4パート目にある着陸劇のパート、ドバイの管制塔にいる管制官ルクサナが飛行機の操縦を経験したことのないランヴィールに指示を出して、着陸しようと導くくだりが繰り広げられていて、ランヴィールとルクサナの掛け合いがコミカルで単純に楽しいんだけど、それ以上にここではランヴィールの精神的な成長の物語が飛行機パニック、ワンシチュエーションスリラーというジャンル映画的な枠組みで被せられていて、しっかり噛み締めて観ていくと、物語の深部では意外とその成長の部分が語り切られているのではないかと思いました。私なりの解釈なんですが、序盤の前置きの1パート目にある搭乗前のランヴィールとバルラジュ氏のやり取り、クライマックス手前でバルラジュたちがドバイ現地のニュース番組で"フェニックス号"の行方を知るくだりで亡き父親が「彼が飛ぶ姿を見たいなら、先入観を捨てて、自由な大空を思い描け。」という言葉を遺していることが明かされているんだけど、2パート目の密室劇パートと3パート目にあった飛行機パニックのパートにあったこれまでのランヴィールの行動心理は彼の内面が抱えている心の弱さ、脆さ、危うさ、臆病さが根底にあったからこそ、コント的、コメディ的な面白味があったという風に考えられるんですよね。もっと言えば、この4パートの着陸劇のパートはランヴィールが自分とは割りと対照的な性格を持つ気の強い女性、ルクサナから操作方法を教えられる過程で人生の経験上、やったことないことを恐れることなく挑戦する勇気を自然と習得していったように思えるし、彼がこの状況下で飛行機の操縦に挑戦する様は物語の中にある彼の父親が遺した言葉と絶妙にリンクさせているのは流石だなと思いました。
そして、クライマックスからラストにかけての超絶怒涛の展開、実質的には8分弱あるわけなんだけど、そこで語られていることは非常に深刻でシリアスなはずなのに、勧善懲悪的なエンターテイメントのはずなのに、ドッキリ番組を観ているような面白おかしさが内包されていて、ランヴィールのボディガード、ワシームが真犯人グループに避難誘導している時点であからさまにこの後には大掛かりな仕掛けが待ち受けてあるんだろうなとドキドキワクワクさせられるんですよね。しかも、非常階段に上るよう誘導させられていた真犯人が踊り場に立ち止まって、「皆、下りてるぞ。」とワシームに指摘して、ワシームが「空から脱出するのが最も安全です。」と答えるんだけど、真犯人グループはあっさり受け入れて、彼の避難誘導に従っちゃって、「お前、バカなの?」と突っ込みたくなるし、わざとドッキリにかけられたいのかと思って、滅茶苦茶笑いが込み上げて来る。で、ことごと左様に、ランヴィールは自ら操縦して、父親が設計した大事なプライベートジェット機を真上からアディティアラジ社の本社ビルの屋上目掛けて衝突させるとんでもない展開がぶち込まれているんだけど、真犯人グループがアワアワして逃げようと思ったら、そのまま諦めて、ヘリポートのど真ん中に突っ立ってただただ死を待つ辺りなんかは最高に笑えてくる。端的に言えば、悪役が降伏する過程が滑稽過ぎて逆に人間的な厚み、重みよりもコント番組、ドッキリ番組のようなサクッとした感じのほうが勝っているんですよ。
更に言えば、この超絶怒涛の展開、客観的に見れば、完全に大味方向に振り切った無茶苦茶な絵面が見せられていて、初見で観た時は素直に驚かされたんだけど、2回目以降観た時にハッと気づいたんだけど、真犯人がランヴィールに種明かしする時に告げていた「お前の父親の墓に片足を乗せ、お前の行方不明のニュースを聞きながら感慨にふけるよ。」という言葉が伏線になっていて、ランヴィールが「人生はこんなものさ。カンナ。」と言って、彼が取った命知らずな行動は真犯人の言葉を対比させるように意図的に真上からビルに衝突させる絵面を見せている。もっと言えば、若社長ランヴィールの物語としては息子である自分の存在を旧態然な考えを持つ真犯人、自分の会社の役員が勤めていた会社の本社ビルをぶっ潰すことによってアディティアラジ社の経営体制を大胆に改革すると明確に映像で提示していると読み取れるし、架空の飛行機事故、事件をフィクションの物語で織り込んでいる作品としては被害者のやり場のない痛みや悲しみ、怒りを直接管理責任能力が問われている悪役側にぶつけていると言えるし、勧善懲悪なエンターテイメントとしては"ランヴィールの父親の墓に片足を乗せる。"という言葉をそっくりそのまま立場や言葉の意味を逆転させていることによって、一気に作劇的なカタルシスとして昇華させている様は本当に素晴らしいと思いました。おまけに、この時、ランヴィールが「ところで、花火が見たいなら空を見上げてよ。お楽しみの始まりだ。」と物語内でのお祭り要素、打ち上げ要素を予告しているにも関わらず、「リリーに捧ぐ。」と言って、妻のイシタの立場からすれば、完全に浮気だと思われかねないんだけど、彼女もまた、仕事柄での大事な仲間だったということがきっちり僅かな台詞で示されているのは非常に物語的な重みが効いていると思いました。
ただ、ぶっちゃけ、これが劇場未公開がもったいないほどに素晴らしいので激烈に応援したい作品にはなんだけど、良くも悪くもなんだけど、特上のA級映画かと思いきや、低予算で作られたインデペンデント系のB級映画。土曜プレミアムで放送されてそうな大物なのかなと思ったら、午後のロードショーで実際に放送されていたら、実は凄い掘り出し物映画だったみたいな感覚で観れる映画であることは言うまでもなくて、美点と同じように難点も際立っている作品に仕上がっているんですよね。まず、先に最大の問題点から指摘しておきますと、物語の構成上、全体を通して派手で見せ場が多く、見所が盛りだくさんだから退屈しないんだけど、本編の時間が120分以下なのに、割りとスマートな話運びなっていなくて、ただ単純にテンポが悪いようにしか感じられないところがちょこちょこあるんですよね。特にそれを物語っていたのは序盤、主人公であるランヴィールがアディティアラジ社の倉庫でフライトレコーダー(ブラックボックス)の中身を確認していたダンらからフライトレコーダーを奪還するくだり、あそこでランヴィールとダンらによる逃走シークエンスが用意されているんだけど、ここでは両者のアクションシーンを盛り込んでいるどころか、恋人のイシタとの自分の浮気問題を巡っての揉め事を途中から同時に進行させているせいか、結構お話そのもののテンポ感が停滞しちゃっているんですよね。そのうえ、肉弾戦でのアクションシーンによるアクション演出全体に言えることだと思うんだけど、ランヴィールがボディガードの助けを借りずに挑むダンの部下との格闘シーン、カットを割るのはいいとしても、ブレブレのカメラワークと格好良く見せるために工夫された断片的に挟み込まれる白黒のカットでランヴィールを演じたモヒト・チャダさんのキレキレのアクションが滅茶苦茶もったいなく映っているし、アクションシーンそのものがパパっと短時間で見せられているため、何が何だかよく分からないんですよね。おまけに、カンナ叔父に従っているとされるダンが降参する描写は雑な編集でシーンとシーンの繋がりが唐突なのも相まって、結構話が飲み込みづらいのかななんて思いましたね。
或いは、その後のシーン、ランヴィールがプライベートジェット機に乗る直前、彼がバルラジュと滑走路に立って亡き父親の話を話題にするくだりがあって、そこでは彼とバルラジュの家族関係とか、アディティアラジ社がいかに亡き父親の功績によって大手の有名企業として育てられてきたかが具体的に説明されてはいるんだけど、序盤では既に逃走シークエンスが冗長気味と化しているのに、ここで丁寧にゆったりとしたテンポで描こうとしているから、少なくとも退屈に感じる人が続出する恐れが非常にあると思います。あと、DVDスルー、オンラインで観る分にはご愛嬌なんだろうけど、飛行機のCGのクオリティーははっきり言って驚くべきほどのクオリティーで、金属や硝子の質感表現が見るからにチープなのは予算の都合上の問題なのかなと邪推しちゃいましたね。
あと、2パート目での密室劇パートと3パート目の飛行機パニックのパート、ここでは見事な伏線回収がされていて、脚本が上手く練り込まれてはいるんだけど、3パート目では真犯人である役員のカンナが実行犯が置いてったUSBメモリーに保存された動画を通してどうやって密室を作り上げ、どうやって機内に閉じ込めたのかを種明かししていくんだけど、ここはインド映画の特色なのか、カンナの種明かしシーンと実行犯の犯行シーンを前後する語り口と雰囲気作りでいちいちスローモーションで見せる演出を挿入して語られている分、テンポ感が停滞しちゃっているように感じられましたね。ただ、肝心の種明かしはそういうものだと百歩譲るとしても、欲を言えば、3パート目の飛行機パニックのパートで明らかになる消火器型の爆弾、プロットからして、観客を驚かせるサプライズの役割を担う衝撃的な展開を入れようとして、敢えて後出しじゃんけんのように爆弾を置いた事実を明かしていると思われるんだけど、せっかくなら、前置きとなる離陸前のシーンでもうちょっと伏線の役割を持たせた描写を見せたほうがサスペンス的な面白味が加味されて、ランヴィールが消火器型の爆弾に対して突っ込むことへのコント的な面白味がより倍に増していってように感じられたのかなと思いました。
あと、クライマックスからラストにかけて描かれている超絶怒涛の展開、私、個人の考えとしてはある意味娯楽作品としては文句無しに素晴らしい着地だとは思うんだけど、予算の都合上、アディティアラジ社の本社ビル周辺の外の描写は見せてないうえ、ビルにいた人々は実質的に避難しているシーンしか出てきてないから背景でしかないんですよね。つまり、話の流れからして、恐らくビルの人々が全員外に出られたから、皆、命に別条はなかったと言い切れるんだけど、現実的にあのラストで語られていないアディティアラジ社の本社ビルの末路を想像しちゃうと、この件とは何も関係のない人々が崩落事故に遭って死傷する恐れが大いにある。逆に言えば、ランヴィールが倍以上の罪の重さを背負っているような危うさがラストで非常に含まれていると思うんですよ。更に言えば、父親が設計したプライベートジェット機を父親が築き上げたアディティアラジ社本社に真上から屋上のヘリポートへと突っ込んでいくんだけど、画的にはちょっと違うんだけど、アメリカ同時多発テロ事件、ユナイテッド航空175便テロ事件で175便がワールド・トレード・センターの南棟に突っ込んだ画を強く連想させているんですよ。なので、これが世界に通用するインド映画とは言い切れない危うさも落とし込まれちゃってるなと思ってしまいましたね。
あと、最後の最後のラストシーン、死んだと思われていた主人公が実は生きていたと示すシーン、ここでランヴィールが自信満々に射出装置のスイッチを押して、ピューーンと機内から大空へと放たれていっちゃって、あそこは操縦席にいるランヴィールが豆粒サイズになって画面内で右へと早めに移動するから、絵面があまりにもバカバカしくて、2回目以降は腹を抱える程に爆笑しちゃったんだけど、その次に今後の続編製作決定を示唆する場面がある分、高揚感を持たせたシーンで突然終わっているからちょっとモヤモヤ感が大きく前に出ちゃってる気もなくはなかったと思いました。少なくともここは脱出後のランヴィールが空中で生死を左右する状態にある描写で幕を下ろすか、もしくは、妻のイシタが自宅のアパートの窓から何か物憂げな表情で見つめているか、どっちかは描写しておいたほうが2023年に続編の『FLIGHT2(原題)』がこの世に産み落とされなくとも、せいぜいワクワク感を与えられたと思えるし、2作目で1作目の続きを冒頭の掴みにしないほうが2作目からでも大丈夫な作りに出来得ると思いましたね。そういう意味では、亡き父親の言葉「彼が飛ぶ姿を見たいなら、先入観を捨てて、自由な大空を思い描け。」はあのラストシーンを意味していたのかなと思えば、非常に重層的に感じるような気もなくはないかなと思っちゃいますね。
あと、モヤモヤ感が残ると言えば、ランヴィールの代理人バルラジュ氏が真犯人のカンナとグルだったと思われる飛行機の操縦士本人と通話を交わすシーンがあるんだけど、"死んだと思われていた主人公が実は生きていました"と示す描写で充分クリフハンガーが成立できているはずなのに、あたかもバルラジュ氏が悪役なんじゃないかと推測出来得る描写を入れちゃうとなると、いくらなんでもこのツイストは要らなかったかなと思いましたね。良い見方をすれば、この描写はひょっとしたらバルラジュ氏がランヴィールの味方側の人間だとすれば、ランヴィールが飛行機ごと失踪している間、操縦士の身元やアリバイを調査しているので、真犯人のカンナとの繋がりを聞き出そうとして呼び出すつもりだということが示されていると思われるんだけど、逆を言えば、アディティアラジ社を設立したランヴィールの父親と弟であるバルラジュ氏の兄弟関係には根深いものがあって、家族関係での何らかの理由から息子のランヴィールを密かに憎んでいたような可能性もなくはないと思う。ただ、だとしても、バルラジュ氏はこの物語でランヴィールを救おうと尽力する意味が分からなくて、彼が続編で悪役に変わる必要性はないのかな…なんて思いましたね。
ということで、いわゆるインド映画ならではの特色、特徴があると思って期待して観ちゃうと、大変肩透かしを食らっててもおかしくなくて、インド映画らしい要素は限りなく抑えめな作りになってはいるんだけど、全体にコント的、コメディ的な面白味に溢れているのに、フライトパニック、航空サスペンスというジャンル映画としては本当に申し分ない出来で、確実に最高にゲラゲラと笑いながら心の底から楽しめる勧善懲悪的エンターテイメントなんじゃないかなと思いましたね。もちろん、内容が内容なだけに、この映画における荒唐無稽っぷり、ぶっ飛びっぷり、とんでもっぷりに対して批判的な考えを持つ人は多かれ少なかれいるかと思いますが、2022年の「午後ロー映画」の中では正真正銘の隠れた大傑作なのではないかと個人的にはそう思いましたね。とにかく最高に面白いので、是非是非、色んなかたちで観賞してみてください。