今回は生と死の意味、価値を問いかけるというメッセージ的な部分は素晴らしく、一度観る価値はある作品なのだが、クローン人間、クローン技術を題材にしている韓国映画にしては脚本の練り込み不足が目立っている、非常に惜しい産SF映画をご紹介します。

SEBOK/ソボク

主演︰コン・ユ/パク・ポゴム

出演︰パク・ビョンウン/チャン・ヨンナム/キム・ジェゴン/ヨン・ジェウク/キム・ホンパ/イ・オンジョン

・あらすじ
余命宣告を受け、死を目前にした元情報局員・ギホン(コン・ユ)は、国家の極秘プロジェクトで誕生した人類初のクローン・ソボク(パク・ボゴム)を護衛する任務が与えられる。任務早々に襲撃を受け、なんとか逃げ抜くも、二人だけになってしまうギホンとソボク。危機的な状況のなか、二人は衝突を繰り返しながら徐々に心を通わせていく。しかし、人類の救いにも災いになり得るソボクを手に入れようとする闇の組織の追跡は、ますます激しさを増していく……。
(KINENOTEより抜粋)
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感想・考察
この映画は『建築学概論』のイ・ヨンジュ監督・脚本(共同脚本)による元国家情報局の要員と人類初のクローンの友情と彼らの逃避行を描いたSFヒューマンドラマ。主演は『新感染 ファイナル・エクスプレス』のコン・ユと『雲が描いた月明かり』(TV)のパク・ポゴム。韓国本国では2021年4月15日に劇場と配信で公開され、興行的には本国の興行成績ランキングで1位を記録しています。第8回(2021年)韓国映画制作家協会賞で音響賞を受賞しています。

2021年7月16日は細田守監督再最新作、アカデミー賞脚本賞受賞作品、アカデミー賞国際長編映画部門ノミネート作品など、様々な新作映画が同日に公開されていたなか、韓国映画では今時珍しいSF映画であり、生と死、命の尊厳といった真面目なテーマ、余命いくばくもない人間と実験体となっているクローン人間の逃走劇ということで、内容と題材にしているテーマに惹かれて個人的には観てみたいと思っていた作品でした。ただ、Twitterでは劇場で観た人の感想はそこまで流れて来ず、評判はそこそこ評価が高い感じだったので、そんなに期待しないでおこうとレンタルで観てみたのですが、結論から申し上げると、韓国映画にしては滅茶苦茶よく頑張っていて、テーマ性、メッセージ性は優れている作品かな…と思いました。

本作は韓国映画の歴史の中では割りと珍しい韓国SFであり、配信で公開されている韓国産のSFは幾つか製作されて日本でも観られてはいるのですが、映画館で観られる劇場公開作品としては哲学的、論理的なメッセージ性を持たせつつ、大きなスケール感と娯楽性を兼ね備えているメジャーなSF大作に仕上がっていました。その点、お話そのものは率直に言えば、定番的で無難で、非常によくありがちな「クローン人間」「複製人間」を題材にはしているんだけど、主人公である元要員とクローン人間であるソボク(徐福)による繊細な疑似兄弟に近い男性同士の友情もの、ギホンとソボクが政府に追われて逃走する身になることからロードムービー的な面白さもあり、更には中盤以降に用意されているサプライズ溢れる展開である意味サイキックもの、超能力者ものような味わいも楽しめる話にはなっています。もっと言えば、公開当時、日本映画『Arc アーク』と同じテーマを取り扱っていると宣伝されていた通り、生きることへの意味、死ぬことへの意味は何なのか、或いは、永遠に続く生命は人間を希望をもたらすのか、悲しみや苦しみのない人生を送れるのか、そういった普遍的かつ切実に観客に問いかけてくる奥深い1作になっていると言えます。

まずは冒頭、冒頭の掴みとなる部分、プロジェクトに携わっているソイン研究所所長、アンダーソン所長がIPS細胞に関する情報を書いた報告書を書いてる途中、アメリカの民間の軍事企業によって暗殺されるシーン、アンダーソン所長が窓を開けて外の景色を見るわけなんだけど、そこには突然、彼の目の前には軍事用のドローンが上空に浮かんでいて、所長とドローンがじっと数秒間見つめ合った瞬間、ドローンに取り付けてあった爆弾がドカーンと爆発するんですよね。ここはSF的な面白さじゃなくて、アクション的な面白さのほうが勝っているんだけど、いつ大切な命を狙われるか分からない危うさ、この作品の本質的な部分にも関わってくる死への恐怖というのを掴みの部分で一気に見せていて、非常に映像に引き込まれました。それに加えて、それに続く韓国側の国家情報局のアン部長とアメリカ側のキム・ウォーカーたちとの密会シーン、物語上、この密会シーンは後から時制を前後させていて、後々、アン部長がアメリカ政府に脅されてソボクの抹殺しなければいけないというが明かされることにはなるんだけど、中盤に挟まれる回想シーンでその続きが流れていて、回想での密会シーンでアメリカ側のロバートによれば、「人間は自らの死を予見して、恐怖を感じる唯一の生物です。いつか死ぬという恐怖が人間に人生の意味を追究させるのです。しかし、その恐怖が無くなれば、人間は人間性を失います。最後に残るのは欲望しかありません。無限の人生では欲望も無限となり、葛藤も無限となります。これは逆説的に言えば、死は生命を維持する要素です。言い換えるならば、人間が死なないとしたら、人類は自ら滅亡の道を辿るでしょう。」とアン部長、或いは、観ている人に訴えるわけなんですね。ここは日本で閲覧できる監督のインタビュー記事によれば、「この映画で、「人間が永遠に生きたら、人類は滅亡する」というセリフを書きました。これはまさに私の考えです。人間が死なないということは、やがて人類は滅びることになるのです。」と語られているように、まさしく、監督自身の考えが根深く落とし込まれている重要な台詞になっていて、人間にはそれぞれ生から始まり、死で終わり、生きていくなかで様々な自由選択ができ、そして、永遠に続く生命があれば、人生を謳歌することだって可能にはなるんだけど、そこには本当の幸せはあるのだろうかと深く考えさせられるし、自由に選択をして、生き続けていることが果てしない欲望を生産し続けていくことであることなのかと議論を呈したくなり、この台詞だけでも非常に上手く観客に上手く「永遠の命」は必要なのかというのをストレートに伝えているんじゃないかと思いました。


或いは、序盤、アン部長がギホンにプロジェクトでソボクの護衛役を引き受けるよう依頼するシーン、そこでアン部長は「武器とは一体なんだと思う?武器の本質は恐怖だ。死ぬことに対する恐怖。だから死なない技術は死を恐れる人間にとって強力な武器となる。人は誰でも死ぬ。お前みたいに。」と語っているわけなんだけど、この台詞自体は後に財閥会長のチョノ会長が死なない技術、言ってみれば、ソボクの骨髄から抽出できるIPS細胞があれば、延命できる可能性を手に入れようとしていることへの伏線としての機能になってはいるんだけど、現実的に考えると、死を恐れている人間がどの病気を完治する効果を持つIPS細胞にしろ、永遠の命を与えてくれる特効薬にしても、若い時は要らないと思っていても、晩年になったら要ると思うことが訪れるんだろうけど、仮に悪しき心を持つ人間が不老不死になったとして、人間の醜悪さ、邪悪さが帯び出し、不平等、不条理な現実社会が形成される恐れだってあるし、中盤の回想での密会シーンで語られていたロバートの台詞の通り、不治の病を治す、或いは、不老不死にさせるアイテムがあれば、社会のシステムが崩れて人類を破滅に導くことだって有り得ると思うと、本当に恐ろしいことだと思うんですよね。そういう意味では、終盤、死を恐れている人間として、チョノ会長がアン部長とビデオ通話で連絡しているシーンの中で「世の中の全員を助けたいわけじゃない。当然だろ。誰かは助けてやるが、誰かは見捨てて死なせる。それは俺が決める。これこそが神の権力だと思わないか?」ということを話していて、ソボク(徐福)が持っているIPS細胞のせいで、権力を持たない人間が権力を持って、生かすべき人間を選別することになったらとなれば、誰にでも神様になる危険性を生んでいるどころか、全人類が幸せを手にすることなんてできないんじゃかなと感じられます。

で、この映画の顔であり、人類の希望と成り得る存在であるパク・ボゴムさん演じるクローン技術で生み出された人間、ソボク(徐福)。2500年前に泰の始皇帝の命を受けて不老不死の霊薬を探し、海を渡って日本にやって来たとされる家臣、"徐福"から名付けられているんだけど、パク・ボゴムさんの好演が効いていることもあってか、ソボクの佇まい、話し声、振る舞いは少年のような見た目なのに、小学生幼学年のような幼さ、あどけなさが前面に出ているんですよね。特に序盤、ギホンとソボクが隠れ家にいるシーン、ギホンが室内で監視カメラの映像をチェックしている間、ソボクがおやま座りをして佇む辺り、彼が履いていた白いシューズのマジックテープを暇つぶしがてらペリペリと剥がしてる様子は本当に小学校幼学年の子供みたいで幼くて、なんかちょっとほっとけない感じがして可愛いし、それに続く、ギホンとソボクのやり取りなんかはソボクが道端に捨てられた捨て犬のような目線で台詞を言っていて非常に愛おしいんですよね。

とはいえ、ソボクは人類初のクローン人間であり、不老不死の身体を持っているという人物設定があるんだけど、実際には劇中、ソボクは不老不死ではなくて、船上の研究所で生活を送っている間は24時間以内に抑制剤を首の後ろにある注射口に投与しなければ、細胞分裂が急激に進んで、成長が早いがために死に至ることになる。つまり、ソボクは人間と比べたら、比較的に必ず死ぬ存在として設定されているんですよね。だから、この人物設定を入れることによって、普通に考えてたら、ハクソン理事が実験体のソボクを「ソボクは死ぬことのない存在です。」と説明している割りには薬がないと永遠の命を得られないのは「死ぬことのない存在」と言う必要がないんじゃないかと矛盾を覚えるんだけど、裏を返せば、悪性の膠芽腫で余命幾ばくもないという設定を持たせているギホンと共に逃避行していくことで、彼もまたひとりの人間であり、ギホンとふたりきりでいる時間だけは、彼の存在そのものは命を持たない「道具」や「武器」なんかではないということをしっかり提示させているんですよね。更に言えば、中盤、逃避行中の道すがら、ソボクが海辺で自分が研究所に連れて行かれそうになったことを巡って会話するシーンだと、小学生幼学年のような幼さ、あどけなさが醸し出されていたんだけど、そこから夜明け前で2人が会話するシーンになって以降はだんだん中学生、高校生のような大人っぽい雰囲気、早熟した雰囲気が醸し出されるようになるんですよね。つまり、物語的にはソボクが抑制剤を使わなければ、不老不死になれる人間でも肉体的に老化していく危うさはあるし、ギホンと逃避行していく中では彼は肉体的にも、精神的にも変化していると言える。だからこそ、後半以降の展開になると、ソボクは特殊な能力を持っている超能力者ではなくて、ひとりの人間のように見えるバランスが取られている。このクローン人間のソボクを演じたパク・ボゴムさん、出演作の中では日本でもリメイクされた『ブラインド』で主人公の弟役を演じられていましたが、ソボクの表情や佇まい、葛藤を見事に表現していて素晴らしいと思います。

そして、後半以降、ソボクはひとりの人間としてイミョン教会の納骨堂で眠っているギョンユンの遺骨と対面するシーン、具体的に言えば、彼が複製された元となった人間の存在と直接向き合うになるシーンなんだけど、ここは息子(娘)を亡くした母親が息子(娘)を取り戻そうとしていたというエピソードそのものはごくごくありふれた話で、監督のインタビュー記事でもある通り、母親のセウン博士とクローン人間のソボクはぶっちゃけ『フランケンシュタイン』の博士と怪物の関係性に似て非なるものになっているのは言うまでもないことなんだけど、ここでセウン博士の動機を知るソボクが「作らないで欲しかった。」という台詞には自分自身がギョンユンの代わりとして生まれたことへの辛さ、それを背負わなければならなかったことによる責任の重さが伝わってきて非常に胸を締め付けられる。しかも、「死ぬと思うと怖いです。だけど、永遠に生きるというのも怖いです。僕は何を信じれば怖くなくなるのでしょうか?」という台詞は「実験体」として実験室で味気ない日々を過ごす彼の虚しさ、悲しさがより強調されている作りになっている。で、それと同時にチャン・ヨンナムさん演じる産みの母親となるイム・セウン博士の葛藤を明確に伝えていて、前半部分の研究者としての顔を持っていたセウン博士と比べると、後半部分で研究所の上の階で骨髄の抽出の準備を進めているセウン博士の表情は紛れも無く母親として顔をちゃんと見せていて、後の展開で見せるギホンの心情が彼女の心情と同じであったことが示されるわけなんだけど、仮にソボクがもうひとりの息子であっても、息子の代わりとなる人間であっても、ひとりの人間であり、骨髄を抽出するために永遠に装置に拘束させる行為が人間の尊厳に反している。そういう決断をはっきりとしている。だから、母親と研究者のふたつの顔を持つセウン博士の葛藤も凄く味わい深いんですよね。

対する、余命僅かな普通の人間側である元要員のミン・ギホン、3年前にヒョンスを殺してしまった過去と悪性の膠芽腫で余命が半年〜1年程度しか持たなくて、表面的には生きることに必死で、死に対しての恐怖に怯えている。そして、佇まいからして、やさぐれた感じが出ているキャラクターなんだけど、ソボクの小学生幼学年のようなあどけなさ、幼さとは対を成す温度感を持っているキャラで、男性同士の友情ものとしては非常にバランスの取れたキャラ設定にはなっている。ただ、その反面、ギホンはソボクの前ではふてぶてしく、偉そうな態度を取ってはいるんだけど、特に中盤、研究所に連れて行こうと騙したことがバレたことで衝突する2人の会話シーンの中で「俺は助ける価値はない。死んで当然だ。けど、生きたくて必死だ。それが悪いことか?」「死ぬほどの罪か?俺に文句あるのか?俺が間違ったことしたか?」と心情を吐露していて、自分は生きたいと思っているのか、死にたいと思っているのか、はっきり定まってないように感じられるし、或いは、夜明け前の海辺での会話シーン、ソボクが「生きるのは良かった?」と問いかけられ、「いい時もあれば、良くない時もあった。ムカつくこともあった。そう思うと混乱するよ。俺は生きたいのか、それとも死ぬのが怖いのか。自分でも分からない。」と言うんだけど、つまり、生きる希望と死ぬことへの絶望、両方を持たされている状況に置かれているからこそ、そのような台詞が言えるんじゃないかと思われる。それで、クライマックス、ギホンはひとりの人間であり、人類を脅かす兵器でもあるソボクを射殺することで精神的な成長、変化は遂げているとみられるのですが、ギホンとソボクの2人の間には必ず冷たい空気感、孤独感がずっと漂っているんですよね。

一方、その物語によるテーマ性、メッセージ性の重み、深みに加えて、映像の面では非常に新鮮味に溢れていたと思います。特に映画的な表現が冴えていたのが後半の3幕目、夜明けの海辺でソボクがギホンを慰めようとして自分の能力を発動させるシーン、ソボクが左手を砂浜にかざして、スピリチュアル的な現象が起こるんだけど、海辺にあった大きな石が海洋生物みたいに一体となって集合して、波がブワーッとソボクの目の前だけ跳ね返っていく。そして、そこから能力の影響なのか、鳥の大群が弧を描くように夜明けの空を飛んでいき、鳥の大群の中央には日の出した太陽がはっきりと浮かんでいる。その一連のくだりを雄大な音楽と抜群のVFX技術で美しい映像に仕上がっていて、『新感染』に携わっているVFXスーパーバイザーのハンジュンさんやイ・モゲ撮影監督の功績が非常に大きい名シーンとなっていると思いました。そして、終盤以降の展開、チョノ会長らテロリストグループ(民間の軍事企業)によって実の母親のイム・セウン博士が殺され、母親を失ったソボクがチョノ会長らを自らの能力で次々と悪役側の人間たちを殺していく展開になっていくわけなんだけど、シン・ハクソン理事の頭を床に叩き付ける辺りとか、巨大な鉄の塊と化した骨髄を抽出するための一室で傭兵たちを蟻ん子のように吹き飛ばすとか、驚きに溢れているんだけど、それ以上に素晴らしいのはチョノ会長が殺されるシーン、ソボクが圧力をかけて車椅子に乗るチョノ会長を車椅子ごと圧死させて丸めていくんだけど、余命が少ないチョノ会長の苦しそうな表情、広い画で見せられる丸まっていく車椅子の姿はR15指定レベルの描写ではないんだけど、精神的にも、画的にも、非常にショックな描写として描き込まれていて、まさに街のスクラップ工場で転がっている鉄屑のように、人間の命、生き物の命はいとも簡単に奪えるんだと痛感させられます。しかも、ソボクが母親のセウン博士を殺された復讐としてはハクソン理事、部下の傭兵部隊、財閥会長というデカい地位で指令を送っていたご老人のチョノ会長を殺していくわけだから、素直にスカッとさせられて味わいがある。更に言えば、クライマックス、それ以降、ソボクは自らの能力でコンクリートの地面を地盤沈下させて、巨大なクレーターでアン部長を転落死させた挙げ句、その穴の中にいた特殊部隊を大量のオイルと燃えた軽装甲車で皆殺しにしようとしているんだけど、ここも冒頭の暗殺シーン同様、死への恐怖を映像で伝えているし、巨大クレーターに落とされた特殊部隊が必死こいて這い上がろうとしても、なかなか這い上がれず、まるで無限地獄のようにそのようなサイクルが繰り返されていく辺りは人間が永遠の命を得たことによる葛藤、苦しみを象徴的に描いて絵面であって、ソボクの「絶対に終わりはありません。僕が生きてる限り、永遠には終わりません。」という台詞をバックにその絵面が流れることで、現実的に終わりのない未来、先の見えない人生には残酷さがあるのだと深く味わえるようになっているんですよね。なので、生と死の意味、命の尊厳、そして、不老不死、永遠の命を取り扱ってはいるんだけど、SF映画ならではの見せ場でしっかり命の重み、深みがドスンと重く伝わってくる。1本のSF映画としてはクライマックスの見せ場で概ね楽しめませてくれるし、なんなら、きちんと命の大切さを学ばせてくれる道徳的に素晴らしい1作だと思わせてくれる作品なのは間違いないのかもしれません。

ただ、それにしたって、本作『SEBOK/ソボク』、韓国では2021年のヒット作のひとつであるSFエンターテイメント大作にしては全体としては惜しさ、歯痒さ、はっきり言って心の中にぼんやりとしたモヤモヤ感が残ってしまう作品になっていて、満足度、納得度が低めになっているのがどうしたって否めないんですよね。例えば、中盤の手前辺り、ギホンとソボクが逃亡する道すがら、街を練り歩くくだり、研究所で実験体としての生活を送っていたソボクが街でうなぎ屋(健康院)と衣料品店を経営する老夫婦から手厚い歓迎を受けて、ギホンに売られている服を買って貰うんだけど、それ以降はこのソボクが街の市場で人間の文化を楽しむ展開は一切ないわけなんですよね。だから、ソボクが病衣姿で飲食店でサムゲタンを食べているおじさんを見ているとか、うなぎ屋のうなぎを凝視しているとか、笑みがこぼれる描写にはなってるけど、物語の盛りが上手くいってないと感じられる。もちろん、ソボクが人間の文化を学ぶと言えば、ソボクが近くの隠れ家で韓国で親しまれているカップ麺、"ユンケンジャンサバル麺"を食べて、普段人間が食べている食事を知るシーンは用意されてはいたんだけど、そのシーンでユーモアを持たせている割りには"ユンケンジャンサバル麺"というアイテムは物語の中では後の展開で有機的に絡んでは来ない。むしろ、伏線のような働きすらしてくれないんですよね。なので、話を全体的にシリアス寄りにするのはいいとしても、今まで実験体として暮らしていた船上での生活と普段人間が暮らしていた生活による違い、つまり、ある種のカルチャーギャップで生み出される笑いでガッツリ味あわせてくれないのは正直どうかなと感じました。せめて、個人的には味方だったはずの組織が信頼している風でギホンを扱って、彼とソボクに罠を仕掛けようとご親切に隠れ家に避難させるんじゃなくて、わざと邪険な扱いにさせて、2人が街の市場に歩いて逃げさせたままのほうがより娯楽性を高められたと思うし、カルチャーギャップネタを織り込められたんじゃないかと思ったんですよね。おまけに、序盤に出てくる隠れ家にあった金庫の大金はアイテム使いとしては十分に生かし切れるはずなのに、その大金はガソリンスタンドでの給油代しか使わないどころか、それ以降はさほど大金が無くてもいいイベントが用意されているのでここは非常にもったいない。

とにかく、ストーリーの推進力は根本的に余命僅かなギホンと人類を救う希望と成り得るクローン人間のソボクによる男性同士の友情、その2人の成長と変化だけでたっぷり時間の尺をかけているからか、SF的な面白さは充分あるし、メッセージ性には厚み、深みがあったとしても、話の展開の広げ方、人物描写の描かれ方には多少足りとも消化不良が残っていて、クローン技術を題材にしたSFサスペンスを描くにしても、脚本のブラッシュアップ、練り込み不足がどうしたって散見されているように感じられる。そういう意味では、例えば、製作者の意図としてはギホンとソボクを同じ比重で物語を進めるにつれて、だんだん人となりや背景を見せていこうとしていたのかもしれないんだけど、ギホンはソボクと比べると、ギホンは明らかにコン・ユさんの役者としての魅力とソボクの内面を支える役割はあるだけに、ギホンのキャラクターの掘り下げが希薄なものに感じられるんですよね。例えば、後半、ギホンがアン部長に嵌められて恋人のユン・ヒョンスを眠らせて殺した過去が原因で大きな罪悪感あったにせよ、ギホンとヒョンスの恋人関係がいまひとつドラマとして機能していなくて、むしろ、さっきの"ユンケンジャンサバル麺"や金庫にあった大金と同じく、そのエピソードも生きてるとは言えない。ぶっちゃけ、そこはギホンの肉弾アクションの少なさをカバーすることができたとしか思えないんですよね。

あと、これは脚本の問題じゃないんだけど、悪役周りのキャラクターで言えば、アン部長、チョ・ウジンさん演じるアン部長は大ボスクラスである会長のキム・チョノと比較すると、小物感があって丁度いい中ボスクラスの悪役で良かったんだけど、クライマックスの港でのアクションシーン、アン部長が復活して更に覚醒したソボクを追い詰めるのはいいんだけど、彼が軽装甲車に搭載された機銃に弾を込めるだけで、割りと小じんまりしていて、ギホンが出した能力と同じ迫力のあるバカバカしさ、荒唐無稽さを取り入れて欲しかったかなと思いました。ちなみに、監督のインタビューによれば、アン部長の人物描写、ギホンの人物描写を示しているシーンは編集でカットされているらしく、アン部長のシーンをカットするとしても、ギホンの人物描写はそのまま使用しても良かったかなと思わなくもなかったです。あと、これは言いがかりにも程があるのですが、ヨン・ジェウクさん演じるホ部長、クライマックスではアン部長や特殊部隊と共に銃を持って戦闘に参加していたんだけど、巨大クレーターで特殊部隊が這い上がろうとするくだりになると、突然いなくなってるのはちょっと不自然かなと思いました。


あと、個人的に最大の不満点になっているのは、ラストシーンだと思いましたね。ラストシーン、ソボクの一件から数日ほど経ち、主人公であるギホンがソボクが積み上げた石の山の前に立って、彼を弔うわけなんだけど、物語の幕引きとしてはスマートで気持ちのいい終わり方にはなってはいるんだけど、ラストでギホンの心境の変化、或いは、ソボクがギホン個人にもたらした"何か"を内省的に描き切った分、国家の極秘プロジェクトが漏れて世間に悪い影響を与えてしまったのか、それともあれから韓国政府が秘密裏にプロジェクトの隠蔽に成功しているのか、あんまりプロジェクト自体がもたらした世界の変化はあんまり描かれなくて、説明的にならない程度でいいから、ソボクが起こした事件が公表されたのかどうかは明確に説明しておいても良かったんじゃないかなと思いましたね。ただ、ラストシーン、ギホンが生き続けることを選んだのか、僅かな余命で残りの余生を過ごすのか、解釈が必要なラストにはなっていて、ソボクの「僕も何かになりたくて、誰かにとって意味のある何かに。ただそれだけだったのに。」「もう分かってるでしょ。どんなに怖くても、逃げられないってこと。」という台詞、かつて恋人のヒョンスを殺してしまった過去を考えると、ギホンは殺してしまったヒョンスとソボクの思い出、2人を死なせたことによる十字架を背負って、2人の分まで生き続ける、誰かの何かになるために生き抜くという選択を選んでることはあると言えるし、逆を言えば、ギホンがクローン人間のソボクと出会ったことによって、余命宣告を受けていた彼は自分自身の死と向き合う覚悟ができ、1日、1日を大切に生き、痛み、苦しみを味わって、後悔のない人生を歩んでいくんじゃないかなとも考えられると思いました。要するに、この物語で語られているのは片方は余命が少ない者が死に対する恐怖から解放される物語であり、もう片方は特別な存在だった者が一個人、誰かにとっての何か、つまり、大切なものになっていくための物語で、欠点は多い作品なんですが、ギホンとソボクの精神的な成長と葛藤を通して生への実感、死への不安や恐怖をしっかりと多くの観客に伝えているのはこの映画にとっての大きな成果なんじゃないかなと思いました。

ということで、全部が全部ダメだったというわけでは無くて、とにもかくにも脚本のブラッシュアップ不足、練り込み不足は残ってはいるんだけど、韓国映画の中では結構好きな部類に入る作品にはなっている。何故かと言えば、本作では人間の命の尊厳、生と死を取り扱っていて、特に人間、誰もが逃れることができない死ぬことへの意味を奥深く突き付けてくる辺りはまさしく、一見の価値がある作品なんじゃないかなと思いました。もちろん、評判が評判なだけに、諸手を挙げて「今年ベスト級!」とまではいかないんだけど、定番的なSF的な面白さ、論理的かつ奥深いメッセージ性の高さはしっかり味わえる作品なんじゃないかと思っています。個人的には今年の映画ランキングに入れるとすれば、20位〜25位ぐらいに入る佳作で、憎めないほど好きな作品なんですが、是非ともレンタルや配信で観賞してみてください。