今回は小粒な内容と最小限度の情報しかないものの、成田凌さん演じる大野と清原果耶さん演じる秋本による掛け合い、クスクス来る笑いどころ、"普通""まとも"とは何かを考えさせられる奥深いストーリーが抜群に面白い、映画ファンの間で評判が高かった2021年3月公開の会話劇をご紹介します。

まともじゃないのは君も一緒

主演︰成田凌/清原果耶

出演︰泉里香/小泉孝太郎/山谷花純/倉悠貴/白石優愛/赤崎月香/柏原有那/奥村佳代/日比美思/大谷麻衣

・あらすじ
独身・彼女なしの予備校講師・大野康臣(成田凌)は、ずっと 1 人で大好きな数学の世界で生きてきた。今の生活に不満はないが、このままずっと1人なのかと不安になった大野は普通に結婚したいと思うが、普通が何かわからない。女の子とデートをしてもピントがずれているような空気は感じるが、どうしていいのかわからない。恋愛経験はないが、恋愛雑学だけは豊富な教え子の秋本香住(清原果耶)は、そんな大野を“普通じゃない”と唯一指摘してくれる。大野は香住に、どうしたら普通になれるのか、教えてほしいと頼み込むのだが……。
(KINENOTEより抜粋)
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感想・考察
この映画は『婚前特急』『セーラー服と機関銃(2016)』の前田弘二監督と両作品で脚本を務めていた高田亮さんが4度目にタッグを組んで作られた、コミュ障の予備校の数学教師と教え子の女子高校生の普通じゃない関係を描いたラブストーリー。

この作品、劇場公開される前はそこまで興味が沸かなかったのですが、いつも拝聴しているラジオ番組『アフター6ジャンクション』内のコーナー『週間時評ムービーウォッチメン』でまさかの3週連続(3月19日〜4月9日)で視聴者が評論してほしい映画、リスナー枠に選ばれ、かなり評判が高かったので劇場公開が終了してから、じわじわと気になっていた作品でした。それに加えて、個人的に注目している若手俳優の倉悠貴さんが出演していて、どんな役柄を演じられているんだろうと興味が湧き上がり、DVDレンタルで観賞してみました。先に結論から言うと、映画の内容からして、明らかにミニマルかつシンプルな話なんだけど、普通に面白い、いや、"普通"以上に面白い秀作映画だと思いましたね。

物語は予備校で数学を教えているコミュニケーション下手な予備校講師、大野康臣と予備校に通っている大野の教え子であり、恋愛の知識が豊富な女子高校生、秋本香住の相性の合わない2人によるある種の男女バディものであり、大野と香住が織り成す会話劇を主にしているラブストーリー、コメディとなっていて、香住から恋愛の指南を受けている大野がホテル会社社長の娘に近づき、「普通」に振る舞うことを学ぶのと香住が片想いしている玩具メーカーの社長に婚約者がいたことがきっかけで大野を婚約者の浮気相手にさせ、宮本と婚約者の関係を壊そうと復讐するという2つの軸で展開が進行していました。本編は98分という割りとタイトな上映時間になっているんだけど、最低限の情報でありつつも、大野、秋元、宮本、戸川といった主要人物4人の人間性、魅力をコミュニケーションや距離感の中で伝えていて、編集のテンポ感が手際良く、無駄なシーンは一切無く、非常にミニマルかつシンプルな内容なのに登場人物たちの会話で素直にクスクスと笑って楽しめられ、上映時間の長さを気にせずに観れる作品に仕上がっていました。もっと言えば、日本の上質なコメディ映画としては単純に気軽に楽しめる反面、普遍性を持ったテーマが織り込まれていて、主要人物4人の人間模様を通して自分たちが思っている「普通」とは一体何なのか、日常を生きていく中で何が「普通のもの」で何が「普通じゃないもの」なのか、そして、人間それぞれが思う「普通の生き方」というのはどういう生き方なのか…普通の意味を奥深く考えさせてくれる射程距離の広い1作だと思いました。

まずは冒頭、冒頭の掴みとなるシーンとして、学生時代の大野が裏山の森の中で虫の声を聞いているとみられる回想シーンが1分半ほど流れているんだけど、この時点だと、これが現在の時系列のシーンなのか、過去の回想シーンなのか、非常に曖昧な作りにはなっているんだけど、中盤での大野が学生時代のエピソードが明かされていくにつれ、それが伏線だったことに気付かされ、後に冒頭の掴みが重要なシーンであることがじわじわと伝わってくるようになっていたりするんですよね。或いは、その後のシーン、秋本が赤崎月香さんや奥村佳代さんら女子グループと一緒にどこかのカフェで注文したドリンクを片手に君島の陰口を叩いて話題にしていて、予備校をサボる女子グループをよそにひとりで通うわけなんだけど、ここでの秋本の行動は共感できるし、あの女子グループと誰かの陰口で叩いて繋がるというのは割りと友情関係、人脈づくりとしてはいかがなものかなと首を傾げたくなるから、こういう行動を取るのが"普通"だなと感じられるんだけど、逆を言えば、別の観客からすれば、陰口を叩いている女子グループのほうが"普通"であって、何なら、女子グループの話題に参加するのが嫌な秋本が"普通じゃない"という風に解釈してしまう面白さがあって、ここは非常に感慨深いシーンなんじゃないかなと思いました。

で、そこから予備校講師の大野とその教え子の秋本の噛み合わない会話が始まっていくわけなんだけど、まず、本作の最大の見所として、成田凌さんと清原果耶さんの好演も相まって、大野と秋本の噛み合わない会話が非常にテンポが良く、それでいて、コミュニケーションにズレが生じているのに抜群に心地良いんですよね。全体的に大野と秋本の会話シーンは明らかに"まとも"を装ってる秋本がツッコミ役で、"まとも"じゃなさそうな大野がボケ役のような役割を持っているように思えてくるんだけど、例えば、冒頭の予備校での会話シーン、大野が「君はどういう男がいいの?」と好きな男性について質問していき、秋本が宮本に思いを寄せていて、宮本が説いている「テクノロジーと人間の関係性」を嬉しそうに説明していくんだけど、大野が秋本の話している内容に対して、「日本語は分かるよ。ただ具体がないから。」と具体的な内容がないと指摘している。つまり、後の展開からして、大野は一見、数学バカな"普通じゃない"人間に見えて、実は的確な指摘ができる"普通"の人である決定的な会話の流れではあるし、裏を返せば、秋本が宮本のファンではあるんだけど、宮本の考え方に分かっている"風"であって、本質的、根本的には分かってないように考えられる。だから、彼女が"まとも"を装っているのが余計に露呈されているようになっている。それに加えて、大野と秋本の予備校での会話シーン、2人が同じ教室で机と向き合って話し合っているんだけど、2人だけのショットが続いてて、カットバックはあったとしても、極力その空間にいる他の講師と生徒がいるショット、或いは、外部の視点が排されているんですよね。そういう意味では、1対1の個別指導というワンシチュエーションが巧みに生かされていていて、大野と秋本は歳の離れた2人、相性の悪そうなデコボコなコンビなのに、物語的には対等な立場、五分五分の立場でやっているように感じられる。

或いは、大野と秋本が2人で歩きながら話すシーン、基本、移動中の会話シーンは長回しショットで撮影されているんだけど、大野と秋本が一緒に歩いているのに合わせてカメラが後ろに移動していき、2人が歩く道、彼らの立場の変化、関係性の変化と呼応するように動かされている。まさしく、抑制の効いた演出が働いていると言えるんですよね。特に中盤、大野と秋本が計画の打ち合わせで喫茶店を利用したあと、歩道橋から並木道を歩いているくだり、歩道橋を歩いている辺りまでは2人を引いた画で後ろに移動させて追っているんだけど、大野が激高する秋本の前に立って捕まえる瞬間、次のカットが挿入され、大野と秋本の感情の揺れをストレートに伝えていて、ある意味、少女漫画原作の恋愛映画に近い緊張感を持った演出が働いていると思います。それこそ、このシーンでは秋本が大野に対して"好き"という感情が起きた決定的な瞬間を見せているシーンだと言ってもいいでしょう。

それで、予備校講師の大野と女子高校生の秋本による対照的な性格を持った2人のバディもの、或いは、疑似的な兄妹関係がメインとなっているんだけど、どっちかと言うと、予備校講師の大野に感情移入、共感しやすく、非常に魅力的だと感じられましたね。例えば、中盤の老舗料理屋での会話シーン、大野は一流大学に出ている大人なはずなのに、料理長が出した小料理(白子、イクラ、海老)に「これは何ですか?」「これはなんという料理ですか?」と何の料理か見たら分かることなのにいちいち質問する辺りはどことなく可愛げがあってクスクス笑えるし、コミュニケーション下手な人、高級料理店に行き慣れてない人にとっては妙にリアルに感じられる描写で人間的に魅力的なシーンだと思います。或いは、その後のシーン、大野は「僕は数学ばっかやってたので、世の中の"普通"がまるで分からないんです。」と言うんだけど、彼の人物像を端的に説明している台詞なんだけど、好きなことをやり込んでいて、他のカルチャー、分野には疎い、詳しくない、もしくは、他の社会人ができて"普通"なことが自分にとっては"普通以下"でできないという事態が起きるんじゃないかと思うと、深く共感させられる。個人的には映画のことばかりで、逆にお笑いとか、政治経済とか、追えていないコンテンツがある分、大野が数学のことばかりで"普通"のことが分からないという人物設定には割りと何かと自分事のようには感じちゃったりはしました。あと、大野の「フフフ…」という引き笑い、成田凌さんの演技バランスが功を奏しているのか、女性からして見れば、キモい、キショいと思われるかもしれないけど、男性の立場からしてみれば、これこそ"普通"の反応だと思っちゃったし、むしろ、リアリティがあって非常にクスクス笑えましたね。あと、大野のキャラクターが"普通じゃないように見えて普通"なキャラに見えている分、物語全体の本質的な部分を意外にもさり気なく観客に台詞で提示している役割を果たしている登場人物なんですよね。特に序盤、大野と秋本が戸川の知人、保坂真帆の店に行った帰りの会話シーン、そこで「ひとつの事が分からないからと言って、普通以下だと判断するのはどうかと思う。世の中には分からないことがたくさんあるし、君の知らないこと、僕の知ってることがたくさんあるんだから。」という台詞があるんだけど、ここでは"まとも"を装う秋本が穿った見方で"普通じゃない"と判断するのはおかしいと大野に言わせているんだけど、自分が思っている"普通"と相手の思っている"普通"は違う、"普通以下""普通じゃない"は人を傷つけることだってあると端的に提示していると言える。これは押し付けがましくなく、説教臭くないようになっていないから自然と本質的な部分が伝えられているとも取れます。

対する清原果耶さん演じる秋本、"まとも"を装っていて、恋愛経験はまだしも、人生経験が浅い分、生意気なガキキャラにはなっている。なので、大野と比べると、彼女のキャラクター造形で共感しにくかったり、好きになれなかったりする人は少なくないかもしれないけどけど、清原果耶さんの女優としての魅力、演技バランス、もしくは、役柄から来る天真爛漫さがプラスに働いていることで、観客には不快感を与えすぎないように上手くバランスが取れているように感じられます。恐らく、こういう知識が豊富なのに少なくとも恋愛経験、人生経験が浅いキャラになっているのは後半のラブホテルでの会話シーンから察するに、両親から"普通"の子と同じように何もやらせて貰えなかったから自分とは同じ同年代の"普通"の子と同じようにいられなかった、他の人と比べて価値観や先入観が"普通"じゃないことになったと考えられそうで、例えば中盤、カフェ近くの広場で秋本が自らの意志で直接君島とその彼氏の柳に彼女の悪い噂が本当かどうか確かめる辺りはちょっと家庭環境、それまでの中学時代が影響している気もなくはないし、そこから君島が「あんた、誰?」と面識のない秋本に質問をしているのに、明らかに主導権を取らせないようにしている。人と人とは気持ちで繋がっているように見えて、本当はちょっと失敗しているようにすら感じられる。ただ、その後の後半、商店街のスナック(バー)で秋本が君島と柳のカップルや2人の父親たちから相談を受けるシーンを観る限りだと、陰口を叩く女子グループから既に決別している、もしくは、もうあの女子グループと関係を続けても利益を得られないから距離を置いているように匂わされている感じはしましたね。あと、中盤のカラオケBOXでの計画の打ち合わせのくだり、ここは秋本のキャラクターが好きになれなかった人にとっては唯一癒やされるシーンなんだろうけど、彼女がPUFFYの『これが私の生きる道』を元気よく歌うシーン、あそこは監督と脚本家の作家性は反映されつつ、秋本の背景を想像しやすくさせていて好ましいシーンだと思いましたね。

一方、本作では上級社会、富裕層の側にいる宮本と戸川のカップル、主要人物4人の中では「普通じゃない」生き方、考え方だと感じられたのは玩具メーカー社長の宮本の婚約者、戸川美奈子だと思いましたね。物語上、ホテル会社の社長である戸川はビジネスでの関係で宮本と繋がり、政略結婚をしたことで不自由のない結婚生活、不満のない夫婦関係を送れていることから『Swallow』と似て非なるものがあるように感じられたのですが、終盤では戸川は大野に宮本と別れると約束したにも関わらず、宮本とは別れず、宮本の悪いところを受け入れたうえで夫婦になることを選んでいるわけなんですよね。個人的な意見なんですが、初見で観た時はぶっちゃけ、客観的、俯瞰的に見れば、宮本の人間的に悪い一面が浮き上がっている分、どう考えても、戸川が夫婦になる選択を取ったとしても、宮本と夫婦になって100%幸せになる、円満な結婚生活を送れるとは言い難いんじゃないかなと…思わなくもないし、何だったら、自分が大野の立場だったら、「美奈子さんがそれでいいんなら、いいんです。」と彼女の意志を尊重して突き放したような態度を取るんじゃなくて、宮本に対する怒りだとか、素直に彼女と宮本の関係を応援したい意志を示すとか、そういう事を真面目に伝えたほうが良かったんじゃないかという風に思ったんですよね。だからこそ、「政略結婚」というある意味男性社会のシステムには自由意志で從わず、敢えて別の選択をして抜け出していったほうがより幸せになれたんじゃないかなと邪推しちゃうんですよね。ただ、逆を言えば、戸川はそういうシステムの犠牲にはなっていなくて、自分にとっては自分の人生を生きるために出した最良な選択が宮本と夫婦となって、庶民が描いたような幸せな生活を暮らすという選択だったと割り切ったほうが良いのではないかと言えるし、当初は戸川が出した選択に受け入れられなかった大野が彼女の意志を尊重して肯定するというのは自分が思っていた「普通じゃない」物事を「普通」、「当たり前」だと理解する、或いは、宮本への思いをぶつけず、絵に描いたような上級社会、富裕層の当事者を批判したりけなしたりしていないからフェアさを持った対応だと感じました。

それに対して、戸川と結婚するであろう玩具メーカーの社長、宮本は登場シーンこそは他の3人と比べると、割りと少なめなんですが、冒頭とクライマックスにある街の市民会館で行われている講演会の内容から察するに、冒頭の『新時代の子どもの伸ばし方』は宮本の考え方、理念、本質的な精神がちゃんと落とし込まれている嘘偽りない内容であって、クライマックスの『大人になるための子ども時間』で語られている講演の内容は宮本の考え方、理念が含まれているというよりも良くも悪くも類型的、言っちゃえば、本質的に明確さも具体性もない、綺麗事のような内容なんですよね。もっと言えば、宮本が言葉にする「新しい時代」「新しい人間」は普段の世間一般的に転がっている「普通じゃない」を認めることをうっすらと暗示してはいるのですが、質疑応答での秋本と宮本とのやり取りだと、ますます宮本の綺麗事、いわゆる嘘臭い考えが露骨に現れてしまっているように思えるんですよね。それこそ、秋本はこの『大人になるための子どもの時間』の質疑応答で嘘臭さを持っている宮本が出した解答、明らかに会場のSEにしか感じられない希薄な観客の拍手を聞いて、はっきりと今まで思いを寄せていた宮本と決着をつけていって、その手前にあった大野が戸川の意志を尊重する意志を伝えるシーンと相対しているシーンで非常にスカッとさせられましたね。しかも、その手前のシーンで戸川が宮本と夫婦になる選択は不満だと感じたんだけど、戸川がホールの舞台裏で宮本の解答に同意できない、納得いってないような表情を浮かべる心理描写を提示していることで、戸川が自分の人生を生きようと敢えて宮本と幸せな生活を送るのか、もしくは、短期間経ってみて、宮本の嘘に限界を感じて別れを切り出すのか、私を含め、戸川の選択に納得できなかった人には宮本と戸川のエピソードのを決定的に善き事で終わらせてない辺りで着地していて、ここは非常に好ましいところだと思いましたね。

そして、ラストシーン、恐らく大野と秋本は高校や予備校、市民会館の周辺にある森で会話をしていると思われ、そこで大野と秋本は動機は違えど、宮本の婚約者、戸川に近づく中で人間的な成長を遂げ、お互いに自分の想いに気づいて告白するわけなんだけど、中盤で大野が戸川と歩いている時に裏山の森の中で虫の声を聞くエピソードが回収されていて、そこで「森全体がひとつの生き物で、僕もその中の一部なったような気がするんです。数学は既にその中の法則や成り立ちの一部を解明しているに過ぎないんです。自然界は既に完成されていて、常に変化し続けているんです。きっと世の中もそうなんでしょうね。色んな決まり事に縛られてるように見えるけど、きっと調和や変化のために必要なんですよね。」という台詞があるんだけど、この世の中、現実世界では多種多様な人間が生きていて、あらゆる"普通"が存在している。本質的には時代は多様化していき、多様性を持った社会が"普通"、"当たり前"、そして、"まとも"だと捉えられるという風に感じられ、森で自然の音を聴きに来た大野と秋本が多様性を持った社会や世界にいることへのメタファーになっている。それこそ、大野の「普通なんかどうでもいい!」「"普通"は何かを諦めるために使う口実なのか!」という訴えも"普通"という決まり事に縛られる必要なんてない、自分の生き方、考え方を変えなくていいという普遍的なメッセージを持たせているんじゃないかなと思いました。或いは、大野と秋本の告白シーンは秋本の大野への恋心のような何かを聞いて、大野が理解を示さなかったので、"普通じゃない"印象が強くなっているんだけど、噛み合ってない会話をしているのに、どこか2人の心と心が通じ合っているように感じられる。或いは、宮本が秋本がどういう人物か理解しないで肉体関係に自然に持ち込み、男性としての支配、抑圧を仕掛けているのと比べると、大野と秋本は同じように歳の離れた男女コンビなんだけど、"友達として"、"親友として"、"愛人として"、そして、"特別な関係として"という線引きは無く、五分五分の立場、対等な立場でコミュニケーションをして繋がっているからこそ、大野と秋本が"普通"の関係性を築いているという風に感じられます。とはいえ、大野は「先生はまだ普通になりたい?」という秋本の質問に「もういいよ。普通は。」と疲れ切った顔で答えるんだけど、大野が戸川とやり取りしていくうちにロボットみたいな話し方が改善されたとしても、彼が口にした「定量的」という言葉などの難しい表現を気に留めずに受け入れ、大野を"普通"の人間として接していく、自分が持つ物差しで"普通""普通じゃない"とカテゴライズしないよう異なる視点、物事の捉え方で理解していくほうがあらゆる様々な"普通"を学び、より豊かな生き方ができるんじゃないかなという風に感じました。

強いて言えば、冒頭とラスト、大野と香住の会話の中で大野が前に女性とデートする時に行っていた食堂(定食屋)がどんなお店なのか気になってはいたのですが、ラストでその食堂が会話の中で回収されていくだけなので、食堂の存在が気になっていた分、そこは実際に大野と香住が食堂でミックスフライ定食と日替わり定食を食べているフード描写は見せないのかと少し消化不良を覚えました。ただ、逆を言えば、ラストの森での大野と香住の会話で会話の流れでお腹が空いたという話題から、そこからあの食堂の話が回収されていく辺りは脚本の巧みさが光っていると思うし、大野と香住の関係性からして、ふたりはきっとあの食堂(定食屋)でミックスフライ定食を注文するんだろうなと想像を掻き立てられますね。あと、唯一、突っ込みどころがあるとすれば、後半、秋本は商店街のスナック(バー)で宮本とみられる相手から電話を受け取って、スナックから飛び出していったんだけど、初見で観た時はそこまでノイズにならなかったんだけど、2回目以降に観ると、いつの間にか宮本と秋本が平気で嘘をつく玩具メーカー社長とファンの関係を超えているので宮本が秋本とこっそり会って、ラブホテルに連れ込むのはちょっと突飛な展開かなと感じなくもなかったですね。恐らく、多分、宮本は秋本のように複数のファンと不適切な関係をやっていて、DMでそういうやり取りをやっていたと考えられるんだけど、予備校講師の大野と"普通"に特別な関係を築いているのと比べたら、現実味に欠けているように感じられます。

ということで、小粒でミニマル、なおかつシンプルなお話になっているんだけど、主要人物の掛け合いが織り成す絶妙な距離感、空気感、そして、切れのある台詞、どのやり取りも会話の流れも心地良くてクスクス笑えるし、エンタメ作品としては最初から最後まで人と人との些細なコミュニケーションで話が進むのに、非常に満足感、多幸感に溢れている見事な1作だと思いました。単純に恋愛映画として、コメディ映画として、ある種の男女バディものとして、あらゆる人に気軽に楽しめる反面、世間一般的に使われている"普通"についてどっぷり考えさせられ、あらゆる人の"普通"について学びたくなる奥深い作品ではあると思います。是非ともレンタルや配信で観賞してみてください。