「癒す」は、愛すると同じように能動的な

動詞だろうか?

自分で自分を癒すことは可能だろうか?

「愛する」だったら、神さまを愛するように

自分自身を愛する必要があることは、経験的に

学びました。

自分を愛することを知らなければ、真に他者を

愛することはできません。

 

 愛するだけで癒されたのかどうかは、疑問です。

だから、今朝もブログを書いて整理します。

「癒し」は一人称では使いにくく、

癒す側と癒される側の2人以上の関係性が必要なのか?

私が関わっている自助会は、癒しの場となっているだろうか?

 人は、あるがままの自分を受け入れてもらえる

と、氷が溶けるように癒されます。

ならば、自分で

あるがままの自分

を受け入れることができれば、自分の力で自分を

癒すことができるだろう。

 ちょっと待てよ。

 癒しが必要ってことは、その前に傷や痛みが無ければ、その必要性はない訳で、傷や痛みがなくなることで癒されたと実感するのか?

 それとも、傷や痛みが残っていても癒されることがあるのか?きっとありだろう。


 私がファシリテーターとなる

アテテューデナル.ヒーリングは、無料で参加できる自助会の一種です。


邦訳すれば、「生き方による癒し」です。

仲間のお話を聴かせてもらう練習をすることで

グループ全体が、そしてメンバーの一人ひとりが

癒されていきます。


何より自分の日常の生き方が変わることで癒されていきます。


なので、結論は

自分で自分を癒すことは可能だ

なのでした。