昨日、人生初の自分主導のイベントを無事に終えた。参加人数も内容も私の心の平穏さも、まぁ、満足できるものであった。
このイベントで、私も自分の地域で当事者研究をしたいとおっしゃる人に出会った。
この方を鏡にして、自分自身の内面が外在化された。
疑問1 当事者研究の理念に
◯いつでも、どこでも、どこまでも
◯自分自身で共に
などがある。研究したいのなら、さっさと取り組めばいいのに!!
む、む、もしかして、したいのではなくて
誰かにさせたいのかな?

疑問2 では何故自分は当事者研究に関わっているのか?
私も当事者研究という技法を利用して、誰かや地域のことを変えようとしているのか?

疑問3 当事者研究という言葉を定義することはできないし、当事者研究を教義化してないけない。
表とか裏とか、うちは正統派で、あそこでやっているのは邪道だとか、そんな思いがあるなら、その思いこそ研究対象としてもってこいだ!

さらに眠りに入ってからも、私の思考は続く。私自身は奇跡のコースの学習者でもある。
一元論の視点から自分の思考を見たとき、
何故自分は、まだ、あの人のこともこの人のことも評価判断し、心の中で裁きまくっているのだろうか?

私自身が自分で自分の研究に専念していれば当事者研究のことも、べてるの家に似たコミュニティーを普及啓発させる必要性もそれに費やす時間もないのではないかなぁ?
そして、この思考は小乗仏教的だなぁ?

なんだかんだ言って思考や妄想することは
私にとって至福の時間です。