正気の心は、すべてが完璧であるということを知っています。
試験の失点も、対人関係における誤解やもめごとも、
あるいは病や怪我も、完璧以外のものは存在していないことに気づくためにのみ、”使えます”。
そのように使うのでない限りは、何の意味もなく、
したがって、そこに、いかなる意味においても、
何らかの結果が生じることはありません。
目の前のその状況が、はたしてどのように完璧さを見せてくれるかを、
わたしたちは、ホーリースピリットに委ねて、ただ、待ちます。
楽しみに待つその時間、心のすすが少しずつこすりとられて、
明るくクリーンになっていくさまを観察し、
その喜びを味わい尽くすことこそ、
時間という幻想の、唯一の使い方、といえます。
奇跡のコースのワークを学ぶガイドブック9
「祈りのある生き方」レッスン227より
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娘は食事中
よく、膝を立てています。
子ども用のストッケにそうやって座るので、
私からは膝小僧が見えた状態。
片足だけをあげていることが多いので
姿勢もとても悪い・・・
見ていると、どうしても注意してしまう私
でもそれは、自分の過去を投影しているだけなのですよね。
母にいつも身体をまっすぐにするように、姿勢を正すようにと言われ続けそれをしなかった私は、
今は背骨は歪んでいると言われるし、
いろんな弊害を持っています(と信じています。)
私の言う通りにしないと私のようになるのよ。
大変なの。
だから私の言っていることを聞きなさい。
私が言っていることは正しいのだから・・・
小さいころにずっと姿勢のことを言われ続けた時の苦痛
言う通りにせずに今の身体の状態になっていることへの後悔
娘には同じ思いをさせたくない・・・と
彼女を守らなくてはならないと言う
娘を弱く小さきものにしておこうとする間違った考えも
存在しています。
すべては完璧さを見るためにだけ“使える’
そのために起こっていること
娘も完璧で私も完璧
すべてが完璧であることを体験させてください・・・
そう食卓で祈るわたしでした