マラソン大会の途中で抜け出してきた。
いつもは時間ギリギリに来られる生徒さん親子が家の外で待っていた。
早めに戻ってきたけど、お待たせしてしまった。
いつもなら、罪悪感を感じて謝るところだが、愛の中にいた私は全く焦っていない。
私はゆるされていることを知っています。
という気持ちだった。
その日の朝、そのママについて考えていた。
心穏やかにいたので、ざわめきにすぐに気づいた。
そのママに対して被せている思いがある気がしていた。
朝のうちに書き出していた。
それを眺める。
あ〜、こんな思いがあったのか。
そして怖がっている私。
その時は何が怖いかよく分からなかったが、ホーリースピリットにその思いを捧げていた。
その日、少し早く来たママといつもよりたくさん話す機会があった。
先週、息子のインフルエンザと溶連菌で休講にした間、そのママもコロナになっていたようだ。
「大変でしたね。」
などの会話。
振替についても、いつも快く「子どもが体調崩すのはいつも急ですし、全然気にしないでください!」と言ってくれる。
私は、それでもなるべくレッスンを休みたくない思いが強い。
やはりそれは、見捨てられるのが怖いのだと思う。
完璧にやらなければ、完璧でないことがバレてしまう、みたいな。
そして、息子に病気にならないで!と祈る、みたいな。
そうではなかった。
そういうママの「お互い様ですから。気にしないでください。」の言葉を受け取れるようになりたい。
息子の病気すらも奇跡の道具として使ってほしい。
私たちは光の中にいる、永遠の中にいる、真っ白キラキラの中にいることを、私が心から安心して受け入れていきたい。
そんな思い。
その日のレッスンは、今までで1番リラックスしてできた。
光の中のレッスンだった。
私はママに感謝した。
その男の子に感謝した。
ホーリースピリットに感謝した。
午後になって、午後のレッスンの準備をしていたが、だんだん自分が光の中にいる感覚がなくなってきた。
途中、時間を取って瞑想をした。
昨日教わった瞑想。
パワフルな瞑想。
また、私は光の中に戻った。
真っ白キラキラに戻った。
涙が出る。
皆さんを思い浮かべる。
でも、主人だけ、この光にいないような気がしていた。
1人残らずこの光の中にいないといけない、と学んだことを思い出す。
でも、その日は時間がなく、瞑想はできなかった。
また、時間を取って瞑想したい。