先日の出張ヨーガ教室にて使用した、光の屈折とプラトンがイデア論を説明するための洞窟の比喩を統合した図解をご参照ください。
光の屈折は、光源からの白色光をプリズムにて屈折することで七色の光線に分かれていきます。
洞窟の比喩は、暗い洞窟の中で縛られ壁に向き合った人々は、影だけを見てそれを実体だと思い込んでしまう。
この図解で言えば、神様とは光源であり、白色光は神の子となり、無智な考えがプリズムとなって世界という幻影を生み出しその影のひとつとなる登場人物が自分という実体だと夢想している、ということになります。
真の原因は、神様でありその結果は神の子なのですが...
世界と登場人物という結果を生じさせた原因であるプリズムだったことをすっかり無視して、世界と他の登場人物を原因と見なし何らかの行為で解決を図っていることがわかります。
単純に、「偽りの癒し」は、間違いの結果という非対等性に基づく癒しであり、「誰かの方がよく知っている」という賢者の学識と技術によって癒されるという「分離のための癒し」ということとなる。
この図解から明らかなように、プリズムという間違いの大元となる原因を癒さない限り、肉体の病気も転生という病も再発と再生を繰り返すのみとなるのだ。
さあ、本日、真に癒された者として恐れを消滅させ、かつて数々の偶像が立っていたところに、神様の愛で満たし、恐れが神様に道を譲れるように、イエスに助けてもらいましょう!
本日は「祈りの歌 癒し 偽りの癒し 対 真の癒し」について
以下の祈りの歌からの引用です。
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祈りの歌 癒し 分離 対 融合
5.治癒者(ヒーラー)たちは存在する。彼らは、自分の源を認識している神の子らであり、自分の源が創造するすべてが自分とひとつであると理解している者たちである。
これが、失敗することのあり得ない回復をもたらす治療法である。
それは永遠に祝福するためにとどまる。
それは部分を癒すことはしないが、全体を永遠に癒す。
今や、すべての疫病の原因が、厳密にありのままに明らかにされた。
そして、その場所に、今では、神聖な神の言葉が書かれている。
病気と分離は、愛と融合によって癒されなければならない。
他の何も、神が定めた通りの癒しを行うことはできない。
神なくして、癒しもない。そこには、愛がないからである。
(S-3.Ⅲ.5.1-9)
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他者を助けるための癒しの役割を担う人がいて、傲慢さにおいては否だが、しかし、謙虚さにおいては、その助力者に役目があると『奇跡講座』は述べられています。
傲慢さにおいてというのは、助ける者に対して癒しをもたらせる特別な才能の持ち主になっての非対等性となってしまうことでの、互いに、分離の感覚を強化することとなる、つまり、世界と登場人物で実在していることに同意し合うことになるのですが
謙虚さにおいてですと、病気の源が存在している場所、すなわち、図解のプリズムに治療法を与えることを、助ける者と自分が一体であることを認識してその一体性の中で分離の感覚を一掃することになるのだと、教えている。
大いなる神様
父よ
あなたの御声のみがどのように癒すのかを私に教えてくださいます
私が耳を澄ますことでお伝えください
あなたが私に送る者たちにあなたの優しい治療法をもたらせますように
癒しの名において、あなたに仕えるすべての者たちを祝福させてください
アーメン
この日記を読む方々に、誰もが「無垢」で、神のひとり子キリストであるという真実がもたらす「永遠のやすらぎ」が訪れますように