【奇跡講座】自分で自分を傷つけたのでない限り、あなたはいかなる形で苦しむこともあり得ない.... | 奇跡おじさんチャンネル

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ア・コース・イン・ミラクルズ(奇跡講座/奇跡のコース)の言葉について独りしゃべりしています♪また、デーラナンダ・ヨギとしてヴェーダーンタ哲学を実践する者として80歳の母を介護しています!

この連休は、子供三人と共にひたすら家の大掃除でした。

一年に一度の大掃除だけに、ホコリはたまってますなぁ~(^_-)

やればやるほどきりがないのは、「赦し」と「掃除」は似てるかも?

今年は、新たな体操や運動を取り入れて快調に過ごしていたのですが、ここにきてドッと身体に重くのしかかっています

そのことと連動して、心の働きもよくないようになってきています

身体も掃除も毎日のケアが大切ですね♪

心身相関関係は、身体から心の影響が及んでしまっていることをあらためて身にしみております(^_-)


本日のテーマは「自分で自分を傷つけたのでない限り、あなたはいかなる形で苦しむこともあり得ない。それは神の子に対する神の意志ではないからである。」について

以下のテキストからの引用です。

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倦み疲れているとき、あなたは自分で自分を傷つけたと思い出しなさい。

あなたの慰め手はあなたを休ませてくれるが、あなた自身にはそれができない。

あなたはその方法を知らない。もし知っていたなら、あなたが倦み疲れることはあり得なかった。

自分で自分を傷つけたのでない限り、あなたはいかなる形で苦しむこともあり得ない。それは神の子に対する神の意志ではないからである。

苦痛は神からのものではない。なぜなら、神は攻撃を知らず、神の平安はあなたを静かに包んでいるからである。

神の中に葛藤はないので、神はきわめて静かである。

葛藤こそが諸悪の根源である。それは盲目なので、攻撃している相手が見えない。

だが、それは常に神の子を攻撃する。そして神の子とはあなたのことである。

(テキスト第十一章 Ⅲ 1.1-8 P275)

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今回のテキストを読めば、この「倦み疲れている」状態が腑に落ちます。

神の意志ならぬ犠牲にて「自分で自分を傷つけた」ことを思い出しました(^_-)

ここでいう犠牲とは、神と心を合わせて為さずに誰かの被害者になって与える行為に他ならない

ここの被害者ということと、私を傷つけた相手が居るということを無意識に押さえ込み

ただただ「倦み疲れている」ことにいらついている

苦痛は神からのものではないことをあらためて再認識したならば


大いなる神様


あなたには葛藤は起こりえない故にきわめて静かであるならば

あなたのご意志に沿った意志に忠実でありますよう

私と共に在る慰み手に自分を癒す方法を教えてもらうか

もしくは

慰み手に休ませてもらえますように

無明の闇から輝く光へと私達をお導きください

アーメン


この日記を読む方々に、誰もが「無垢」で、神のひとり子キリストであるという真実がもたらす「永遠のやすらぎ」が訪れますように。