週末の二日間は、判断して責めて苦痛、または、赦して受容してやすらぐ、というせめぎ合いのようなものでした。
苦痛を味わっていることに気づくとき、誰かを責めていることに気づき、その人を判断していると自覚し
聖霊にその人物の審判をゆだね解放すると、安らぎが私たちの間の溝を埋めていくような感じでした。
先週にココで書いたように、いったん聖霊に審判をゆだねたならば、その後は聖霊の導きに応じて必要なことをする、もしくは、何もしない、ということを実践し続けています。
すると、以前と比べて、なんと申しますか、状況が悪化するということはなくなりつつあることと、否定的に想像した未来に対しての恐れが薄れつつあることに、気づいています。
今ココでの安らぎをかなぐり捨ててまで、未来に想像した悪いことに対して恐れることはない、もしくは、不安の火をあおることなく今ココでできることを為すことに集中することが可能であると思えてきました。
今まで自動反応として、衝動的に制止しきれなかった反応にもある程度は制御が可能だという変化が心地よいです(^^)/
本日のテーマは「私は聖霊に審判をゆだねます。」について
今回のテーマは、週末の経験をふまえて基本に戻ろうとする意図があります。
私が判断する、すなわち、後先の不安から今知覚している状況の悪循環を打開するためにその原因となっているように思える人物を批判し糾弾し
今ココで為すことが可能な行為を放棄して自分を罰することのみを選択するのではなく
やはりココは、まず、聖霊に審判をゆだねる
罪から始めるのではなく
罰から始めるのではなく
無罪から始めて
赦しから始めるために
大いなる神様
私も兄弟姉妹も無罪から始められますように
聖霊に審判をゆだねます
即答する聖霊の声に耳を傾け、その後の導きに素直に従えますように
今ココに存在するあなたからの贈り物を受け取れますように
その贈り物を兄弟姉妹と分かち合えますように
アーメン
この日記を読む方々に、誰もが「無垢」で、神のひとり子キリストであるという真実がもたらす「永遠のやすらぎ」が訪れますように。