例えば何かを継続していても


途中から何故だかわからないまま
やる気がなくなって

そこからずいぶんと
遠のいてしまうことって
ありますよね…。


面倒になった、とか
興味が薄れてきた、とか
違う、と思い始めたとか。


自我は
 勤勉さを嫌うのだそうですが。


それは
人間関係において、や
エクササイズや
読書でも…


または
スピリチュアルの方面では
瞑想や読経、マントラ
エネルギー的なワーク
など

様々にある
取り組みの中で


それらを
何年も前から継続していたのに
出来なくなってきた…ことには


〝何か意味がある〟と
思うのです。









ですから
そのような時は
ゆっくり
 お休みするべきですし
ご自身に優しくしてください、
と私なら思いますが。




ゆるし、という感覚は
エゴにとっては
瞬時に本質を炙り出される概念で

自分は悪くはないのに
なぜゆるさないといけ
ないのか?
という強烈な葛藤を引き起こすので
とても難しいのですが、

その本当の意味を知れば
長い時間をかけて必ず乗り越えられる
概念です。




それは
〝開き直る〟とは別の
感覚・ですが

〝自分や他者を裁かない〟
というスキルを
 身につけるのです。








私たちの人間の自我という
エゴは非常に巧妙で
光に対して低いエネルギーを
すぐさま放ち、簡単に排除できない
ような疑念や誘惑を用います。



今まで
 やれていたことが〝出来ない、〟
というところへ意識が集中して

自分に残念に思ったり

罪悪感から
ついエゴが喜ぶような
自分を責める感情を自分に
向けてしまいがちですが


内観して反省する点は
必要ですがそれでも
エゴの声に耳を傾けず
その言葉を慎み
口をつぐみ


何とかして自分を
ゆるしてゆるして


自分を裁かずにいる感覚は


その先のメッセージを強く信じることに
繋がっていると私は感じています。










〝その先のメッセージ〟とは
何でしょうか?



時間がかかっても
もしも
その後、再度もとへ戻ってきた時

別の視点が備わっていることが
あるものです。


以前よりも余計にパワフルになって
知らないうちに力が身に付いていた
とか

今までは出来なかったことが
簡単に取り組めるようになった
とか。

より理解が深まりスラスラと
行うことができ、尚且つ


自然に継続できて


不満やサボりたいという
エゴの声があまり聞こえてこない
状況が生まれるかもしれません。




葛藤や停滞という時間は
自分自身の内側と対峙する
貴重な時間であり


自我であるエゴの
そぎ落としという現象により
心が揺れることが意図的に
行われることが


多くの人々に
 昨年と同様に今年も頻繁に起こると
 思います。


通常
 人生ではそれらは誰にも
 必ず起こるようなのですが

 その先のメッセージへ向けての
 歩みである・と捉えることが
 スピリチュアル的な学びにおいては
  できるのです。











私たちの魂の歩みに対しても
同じ観点があります。


今、霊的な学びを
受け入れられない人も

意図的に
遠回りしているように
頑なに閉ざした心も


今世ではなくても
いつかの未来という時になって

すんなりと
真理の学びを受け入れ
行うことができるように
 なる・のだと私はビジョンを
 受け取ったことがあります。

この人生か、どの未来か?は
その〝時〟は

人それぞれに既に決められている
時期があるそうで

私や人間にはどうすることも
できないらしいのですが。




それでも
少しでも興味があり
開かれて歩んできた道なら

その〝少し〟が
〝確実な信頼〟となり

諦めてもまた歩き出し
心を天界へ開いて
信じてみる歩みは
必ず天使たちからのサポートを
受けています。


それが本質的に人々を大切にしたり
思いやりや慈悲や慈愛の心を受けて
愛する力へと繋がっているのです。

天界から
こんなにも注目され
必要とされ
愛されていることを知る学びは
感慨深いものです。


もしかしたらあなたには
今はまだほんの
わずかのように思える自分の光でも
私はあなたの大きな光を知っていて
信じています。


あなたの聖性や放つ光を
 必要とされているのです。



自分自身の内側を
見つめることは

とても有意義な時間である・と私も
 深く受け止めています。









最後までお読みくださいまして
ありがとうございました。

心から感謝申し上げます。