📖 「肉の願うことは御霊に逆らい、御霊の願うことは肉に逆らうからです。」 – ガラテヤ人への手紙 5章17節
✨ その内なる戦い、つまり、あなたが正しいと知っていることと、あなたがまだ格闘していることとの間の引っ張り合いを感じているのは、あなた一人ではありません。すべての信者が、肉(古い自分)と御霊(聖霊)との間のこの戦いに直面します。この葛藤があるからといって、あなたが偽物だというわけではありません。それは、あなたが本物の戦いの渦中にあることを意味しています…そして、神はあなたのことを恥ずかしいとは思っておられません。
この聖書に満ちた祈りを通して、あなたは次のことを思い起こされます。
✅ 罪との戦いは現実ですが、聖霊の力もまた現実です
✅ たとえつまずいても、あなたはキリストにあって罪に定められてはいません
✅ たとえ内側で弱く感じていても、神はあなたを日々新しくしてくださっています
💡 もし「なぜ私はまだこれに苦しんでいるのだろう?」と考えたことがあるなら、この祈りはあなたのためです。一緒に、私たちは自分の弱さ、誘惑、失敗を神の真理の光の中に持ち込み、神に私たちを清め、強め、肉によってではなく御霊によって歩むように教えてくださるようにお願いしましょう。
🙏 一緒に祈りましょう—自分の罪を告白し、神の赦しを受け、内側から聖く、御霊に導かれた生活を送るための強さを求めましょう。
💬 もしこの祈りがあなたの心に触れたなら、コメントで「アーメン」と入力してください。そして、特別な祈りが必要な場合は、下にそれを共有してください—私たちは信仰をもってあなたと共に立つことを光栄に思います。神が、あなたが神と共に歩み続ける中で、あなたの内なる存在を強めてくださいますように。🌿
📖 聖書箇所:
ローマ人への手紙 7:15-18
ガラテヤ人への手紙 5:17
ガラテヤ人への手紙 5:16
コリント人への手紙第二 4:16
ローマ人への手紙 8:1
エペソ人への手紙 6:10
ヨハネの福音書 15:5
エペソ人への手紙 1:19-21
ヨハネの手紙第一 1:9
詩篇 103:11-13
ローマ人への手紙 6:11
ローマ人への手紙 6:14
ご要望に応じ、動画の全文章をタイムスタンプ付きで日本語に翻訳し、文字起こしとして提供します。
動画タイトル: Prayer for When You’re Tired of Fighting the Same Sin | Morning Prayer
URL: http://www.youtube.com/watch?v=OP3ySou6_7k
祈る前に、まず神様の言葉に耳を傾け、それから一緒に祈りましょう。誰も これから逃れることはできません。あなたがどこで生まれ、何をしていても、信仰がどれほど強くても、 あなたの内側で格闘している何かがあります。それは、あなたの思考、反応、習慣、 人間関係、そして誰にも見えない個人的な戦いとして現れるかもしれません。ある人には健康に、またある人には家族や 経済的なこと、感情に影響を与えます。しかし、そのすべての下で、聖書は私たちに、より深い闘いが すべての信者の心の中で起きていると教えています。使徒パウロは、ローマ人への手紙 7章15節から18節で、この内なる葛藤について正直に語っています。 彼は言います。「私には、自分のしていることが理解できません。なぜなら、したいと願っていることを実行せず、 むしろ憎んでいることを行っているからです。私には、良いものが、すなわち私のうちに、私の罪深い性質のうちには宿っていないことを知っています。 私は善をしたいという願いはありますが、それを実行することはできないからです。」パウロは、 罪との非常に現実的な戦いについて、心を開いていました。これは肉体的な戦いではなく、霊的な戦いでした。 聖書は、私たちがこの地上の体の中に住んでいる限り、キリストにある古い性質と新しい命との間に、絶え間ない緊張があることを教えています。 ガラテヤ人への手紙 5章17節で、神の言葉はそれを明確に説明しています。 「肉の願うことは御霊に逆らい、御霊の願うことは肉に逆らうからです。」 「この二つは対立し合っているので、あなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができません。」聖書の中で「肉」とは、神から離れようとする私たちの一部である、 私たちの罪深い性質を指します。肉は罪を望みます。 だからこそ、人々はすぐに燃え上がる怒り、間違いを認めようとしないプライド、心を誘惑する性的不道徳、 嫉妬、苦々しさ、そして様々な偶像崇拝と格闘するのです。これらは肉の欲望です。一方で、 あなたの内の御霊は、全く異なるものを切望しています。御霊は神との交わりを望みます。御霊は、 純粋さ、従順、愛、聖さを望みます。御霊はあなたを、祈り、礼拝、御言葉、そして神を喜ばせる生活へと導きます。 そして、肉と御霊は互いに対立しているため、あなたはしばしば両方向への引っ張り合いを感じます。 だからこそ、多くの信者は、数分間祈るよりも何時間も画面を見るほうが楽だと感じます。 聖書を開くよりも携帯をスクロールするほうが楽だと感じます。祝福するよりも陰口をたたくほうが楽だと感じます。 肉は御霊に敵対して戦います。しかし、聖書はまた、進むべき道を示しています。ガラテヤ人への手紙 5章16節にはこうあります。 「そこで、私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、肉の欲望を満たすことはありません。」これは、 敗北したまま生きる必要がないことを意味します。戦いは現実ですが、聖霊の力もまた現実です。あなたは、 肉に屈する代わりに、御霊によって歩むことを何度も何度も選ぶときに、信者として成長します。 祈りの時間を持とうと奮闘するたびに、気を散らすものに追従する代わりに聖書を開くたびに、 神に「はい」と言い、罪に「いいえ」と言うたびに、あなたの内なる人は強められています。聖書は、 コリント人への手紙第二 4章16節で言っています。「ですから、私たちは落胆しません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は 日々新しくされています。」この刷新は、あなたが神に寄り頼むとき、御言葉であなたの霊を満たすとき、 聖霊があなたを正し、慰め、導くことを許すときに起こります。クリスチャンとして、あなたは 戦いを避けることによって強くなるのではありません。神の助けを得て戦いに挑むことによって強くなるのです。 あなたがまだ格闘しているという事実によって落胆しないでください。戦いがあるということは、神があなたを去ったという意味ではありません。 それはしばしば、神があなたを訓練しておられるという意味です。ローマ人への手紙 8章1節を覚えておきなさい。「こういうわけで、今や、キリスト・イエスにある者は、だれも 罪に定められることはありません。」あなたは倒れるかもしれませんが、キリストにあって見捨てられることはありません。つまずくかもしれませんが、罪に定められることはありません。 神はあなたに、立ち上がり、神のもとに戻り、御霊の中を歩み続けるように求めておられます。今日、 これをあなたの願いとしましょう。たとえ難しく感じても成長すること。祈ることが難しくても、とにかく祈ること。 聖書を読むときに心がさまよっても、とにかく御言葉に戻ること。あなたの肉が抵抗しても、聖霊に 助けを求めること。神は完璧な行いを求めているのではなく、喜んで従う心を求めています。そして、あなたが 信仰の良い戦いを戦うとき、エペソ人への手紙 6章10節を覚えておきなさい。 「最後に言います。主にあって、その大能の力の限りを尽くして強くなりなさい。」あなたの強さはあなたの意志力から来るのではありません。 それは神から来るのです。あなたが弱いと感じるときは、神のもとに走りなさい。疲れていると感じるときは、神に近づきなさい。 肉と御霊の間で引き裂かれていると感じるときは、改めて「主よ、私はあなたと共に歩みたい」と言いなさい。少しずつ、 日々、神はあなたの外側で直面するものすべてよりも、内側であなたを強くしてくださいます。さあ、 一緒に祈る時間を取りましょう。 愛する主イエスよ、私が大胆さと勇気において成長するのを助けてください。神の事柄に関して、知識と 理解において成長するのを助けてください。私の目を開いてください。自分の意志力に決して頼ることはできないと真に悟るように。なぜなら、自分だけでは失敗するからです。自分の 動機や感情に頼ることはできません。なぜなら、それらは上がったり下がったりするからです。しかし、主イエスよ、あなたの御言葉の上に立つとき、私はしっかりと立ちます。 あなたの御言葉は決して失敗しません。あなたの真理はプレッシャーの下で決して崩壊しません。あなたの御言葉は、ヨハネの福音書 15章5節で私に思い出させます。「わたしから離れては、 あなたがたは何一つすることもできません。」私はこれが私の人生において真実であることを告白します。私は聖い生活を送ることはできません。私は 罪に打ち勝つことはできません。あなたから離れて勝利の中を歩むことはできません。私がこのことを心から信じるのを助けてください。 毎日、あなたに寄り頼み、あなたに依存し、あなたの臨在から力を引き出すことを教えてください。父よ、 私はエペソ人への手紙 1章19節から21節にあるあなたの御言葉を受け取ります。「また、私たち信じる者に対して働く神の力の、はかり知れない 偉大さがどのようなものであるかを、あなたがたが知ることができますように。」これは、キリストを死者の中からよみがえらせ、 すべての支配、権威、権力、主権をはるかに超えて、天上の場所で神の右の座に座らせたのと同じ、力強い力です。主よ、 私があなたを信じる時、この同じ復活の力が私の内で働いていることを理解するのを助けてください。主よ、私は あらゆる戦いに打ち勝つことができます。私を抑圧しているものが何であれ、私はそれを あなたに差し出します。私を盲目にしようとするもの、混乱させようとするもの、あるいは後退させようとするものは何であれ、私はそれをあなたの 足元に置きます。敗北のサイクルに私を留めているすべての鎖を断ち切ってくださるようにお願いします。私が決して変わらないと告げる すべての嘘を打ち砕いてくださるようにお願いします。あなたの中には、新しい始まりのための力があります。愛する主よ、 私はあなたにとって純粋で喜ばしい人生を送りたいと願っています。私は同じ罪の出入りを繰り返したくありません。 今日告白して、明日同じ束縛に戻りたくありません。私を清めてください、主よ。内側から私を洗い清めてください。私は、 私のためにカルバリーの十字架で流されたイエス・キリストの血、その尊い血が、すべての罪から私を清めてくださるように祈ります。あなたの御言葉は、ヨハネの手紙第一 1章9節で言っています。 「もし、私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての不義から私たちを きよめてくださいます。」ですから、私はあなたの前で自分の罪を告白し、赦しだけでなく、 清めも求めます。あなたを喜ばせないものへの欲望を取り除き、私の内に新しい欲望を創造してください。あなたを愛し、私の魂を破壊するものを憎む心を 私に与えてください。あなたは愛に富み、 大いなるあわれみを持つ神です。私が弱いとき、あなたは私を打ち砕くことはありません。私が打ちのめされているとき、あなたは顔を背けることはありません。 父よ、今日、私の叫びを聞いてください。私はあなたに喜びをもたらす人生、 あなたを尊び、あなたの御言葉に従う人生を送る者になりたいと願っています。自分の 力ではこれができないことを知っています。私は、誘惑に抵抗し、しっかりと立つことができるように、聖霊に力を与えていただく必要があります。私は、 詩篇 103篇11節から13節にあるあなたの御言葉に堅く立ちます。「天が地の上に高くあるように、 主を恐れる者に対する主の恵みは大きい。東が西から遠いように、 主は私たちのそむきの罪を私たちから遠ざけられた。父がその子をあわれむように、主は ご自分を恐れる者をあわれまれる。」主よ、私の罪が覆われただけでなく、取り除かれたことに感謝します。 私が過去によってではなく、あなたの恵みによって定義されていることに感謝します。私に対するあなたの愛が、私が理解できるよりも高く、 私が測れるよりも深いことに感謝します。主よ、ローマ人への手紙 6章11節に従って、私が罪に対する勝利を得られるように力を与えてください。 私が、自分を罪に対して死んだ者とみなし、キリスト・イエスにあって神に対して生きている者とみなすのを助けてください。 私が不義の奴隷ではなく、義のしもべであることを思い出させてください。罪が私の主人とならないように祈ります。 ローマ人への手紙 6章14節にあるあなたの御言葉は、「罪がもはやあなたがたを支配することはありません。なぜなら、あなたがたは 律法の下にあるのではなく、恵みの下にあるからです。」と言っています。このことを私の人生において生きた現実にしてくださるようにお願いします。 誘惑が来たとき、私がキリストにあって自由であることを思い出させてください。古い習慣が戻ろうとするとき、私が自分の感情ではなく、 あなたの約束の上に立つことができるように助けてください。聖霊よ、私を新たに満たしてください。あなたに頼ることを教えてください。正しいことを選ぶ私の心を強めてください。 罪に「いいえ」と言い、神に「はい」と言う私の意志を強めてください。私が、あなたの御用に使われる準備ができた、純粋な心であなたの王国に仕える準備ができた、 清い器となるのを助けてください。主イエスよ、あなたの尊い御名を祝福します。あなたは賛美されるにふさわしいお方です。あなたの聖い、力ある御名によって、私は 祈ります。アーメン。もしこの祈りがあなたの心に触れたなら、信仰のしるしとして「アーメン」と入力してください。この祈りの中にあるすべての祝福が、今、イエス様の御名によってあなたの上にありますように。そして、もし特別な 祈りが必要な場合は、コメントで遠慮なく私たちにお知らせください。私たちは光栄にもあなたのために祈らせていただきます。私たちの主イエス・キリストの恵みと平安が、いつまでもあなたと共にありますように。