例えば交通死亡事故の現場に、
よく花束が置かれている。
普段理屈のうえでは、
ナンセンスだと思っている。
霊が彷徨っているとも考えないし。
事故現場に未練の念を抱くのも何か違うと思うから。
だからこうやって。
雪山の麓に手を合わせに行くのは、
もっとナンセンスだと思っている。
どれほど故人と近しく親しくとも、
こういうのは義務ではないと思っている。
でも、
行きませんか?
と言ったのは私であり。
同じような立場の方ならば、
行こうかと賛成してくれたりもする。
論理や理屈や都合を曲げて、
感情を優先させるのもまた人間だから。
気持ちで動くことも時には必要。
とはいえ散々迷った挙句ではある。
つくなり車からおりて、
山に向かっておおよそ方向を示す。
雪山なので先へは進まない。
ただの山林を目の前にして、
手を合わせる。
静かに。普通に。思いを馳せる。
しかし追悼の気持ちや行為というのは、
自分の気持ちを整理するためのプロセスでもある。
だから帰り際には、
「きて良かった」と口々に言ってくれて。
仮にそう思ってくれたなら私は嬉しい。
仮に私の為に言ってくれたなら、
ちょっと申し訳ない気がする。
私は何も言わないけれども。
正直に書くとする。
自分まで嬉しくなるためでも、
まして救われに来たわけでもない。
そこだけは絶対に勘違いしない。
なにもよくないのだから。(。-ω-)zzz. . .








