堀江直樹の無限上達への道のり -12ページ目

「がんばる」

 

日本人にとってはなくてはならない言葉だなぁと思います。

 

がんばっているふりをするプロの堀江です。

 

 

「がんばらなくてもいいんだよ」

 

 

なんかいっぱいいっぱいな人がそんなキーワードを聞いたらほろって泣いちゃったりとか、

 

 

そもそもがんばるのが当たり前すぎる人って、がんばらない方法がわからなくて、

 

 

がんばらないことをがんばっちゃうみたいなギャグな現象が起きやすいですよね。

 

 

さて、そんな私たちとも密接ながんばるですが、

 

いったい何を頑なに張ればいいんでしょうか??

 

 

今日はがんばるの語源なんかも見ながらひもといていきたいと思います。

 

 

がんばるの語源には大きく二つがあると考えられているそうです。

 

1.「我に張る」

 

・他の意見を押しのけて、強く自分の意見を押し通す、我をはる。

・苦しさに負けずに努力する。

・ある場所に座を占めて、少しも動こうとしない。

 

 

2.「がんばる(眼張る)」

 

・眼をつける

・見張る

 

 

 

両者に共通するものとして、ある場所に居座って見張るようなイメージや、

 

 

与えられたポジション・役割を全うするという意味がありそうですね。

 

 

与えられた役割を全うするということは「義」の精神とつながってくると思います。

 

 

 

これらを統合して考えたときに、

 

 

 

何を頑なに張る必要があるのでしょうか?

 

 

 

僕の考えとしては心をぴーんと張ることだと考えます。

 

 

 

ナンノコッチャですよね笑

 

 

 

僕の今の定義とは「心」とは考えや感情ではなく、考えや感情を生み出す源泉です。

 

 

 

自他を認識し、生み出す主体が心だと考えています。

 

 

 

自他を生み出す前の世界でもあるのでその世界は無境界線である、というふうに考えます。

 

 

 

本物の心に基準点を立ち戻らせた時に、

 

 

 

「わたし」という自分のアイデンティティを有限である「この体」に止めきらないことであると考えます。

 

 

 

常に心をぴーんと無境界線に張りきること。

 

 

 

無境界線の世界を基準に考えるのならば、

 

 

 

無境界線の世界にはポジション・役割はありません。

 

 

 

なぜならば境界線がないから。

 

 

 

1個を決められないわけです。

 

 

 

強いていうならその無境界線の状態そのものがポジションとなりえるとも言えます。

 

 

 

その観点を基準にして見れば、

 

 

 

今、この瞬間に生まれる画面、それは一瞬一瞬がポジションでもあり、役割というもはかけがえのないものであるととらえることができます。

 

 

 

「有難い」という単語のイメージともつながってきますね。

 

 

 

 

人間の意識の中心点を座標軸で表すなら、原子も細胞も常に動き続けていきます。

 

 

 

実はそのポジションは、その瞬間に生まれては消えてを繰り返していると解釈することができます。

 

 

 

その一瞬一瞬の刹那をどこまで大切にできるのか。

 

 

 

そこに勝負することががんばることではないかなと考えるわけです。

 

 

 

そして、もう一つ。

 

 

 

全てを見張ることができる。

 

 

 

そのポジション・役割をブレずに全うし続けるためにはどうすればよいでしょうか。

 

 

 

実はこれ、ポジション・役割の中に入っている状態では難しいのです。

 

 

 

それはどういうことかというと私たちが「この体」という枠の中に入っている状態。

 

 

 

そうすると、そこには時間も生まれ、空間も生まれ、存在も生まれてしまうから。

 

 

 

時間の概念が生まれれば、自分より先に親があり、地球があり、宇宙があり。

 

 

 

それらは自分とは別の存在となり、空間に所属するようになります。

 

 

 

その瞬間に常にそれらの概念からの影響を受けるポジションに置かれてしまうのです。

 

 

 

時間、空間、存在の概念の成り立たない世界に心をおくことができたときに、

 

 

 

無限の可能性の中から、ほぼ全ての可能性を捨て去り、1個のポジション・役割を選択することの意味価値が深まり、

 

 

 

日常の一瞬一瞬を大切にすることができると思います。

 

 

 

 

「有難い」という単語のチョイスからもわかる日本人のセンスからすれば、

 

 

 

カタカナとかひらがなの「仮名」というのもね。

 

 

 

本当の自分はこの枠にはないんだよといっていること。

 

 

 

本質がわかるからこそ、役割をもてることの価値・大切さがわかる。

 

 

 

だからこそ、義の精神が発達したんじゃないかなって感じる次第です。

 

 

 

つい、私たちは無意識に誰かに認めてもらうためだったり、怒られない程度に、叱られない程度に頑張っているふりをしてしまいがち。

 

 

 

目標に向かって一直線!と思いながら、実はそれを見てもらう相手が横にいて、

 

 

 

横目を気にしながらがんばることをしやすい。

 

 

 

何にも気にせずに頑張りきることができて、一瞬一瞬を大切にする集中力。

 

 

 

そこから新しいものが生まれてくると感じています。

 

 

 

でも、つい人は横を見てしまうもの。

 

 

 

横を見るのも楽しんだり、前を見ることに集中できたり、自由自在が人生の幅が広がりそうですよね。

 

 

 

自分のがんばるパターンを理解したい人は無意識エンジン発見セッションをおすすめします。。

 

 

 

皆さんの中のがんばるのイメージはなんですか?

 

 

 

 

本日もお読みいただきありがとうございました。

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「あなたの人生はあなたが主人公なんだよ」

 

 

 

 

そんな口当たりのいいメッセージ。。

 

 

 

 

どこかで聞いたことがあるかもしれません。

 

 

 

 

「主人公感覚」

 

 

 

今みなさんは自分自身の認識している画面に対して、

 

 

 

 

どこまでこの主人公感覚を持っていますか?

 

 

 

最近、チームプレーをしながら感じることは、この主人公感覚の中でも

 

 

 

目立つことをやることや、やりたいことだけをやるような

 

 

 

 

わかりやすい主人公っぽさもありますが、

 

 

 

現実はなかなかそうはいきませんよね。

 

 

 

特に事業の規模を上げたり、

 

 

 

成し遂げたいことが大きくなってくるときにはチームプレーは欠かせません。

 

 

 

状況によってはそれぞれがその役割の中で、最大限に主体性をもって役割を発揮できたときに物事の達成度は高まるなぁと感じています。

 

 

 

その中で日本人、特有なのか??よくわかりませんが、

 

 

 

「当事者意識」をどこまでもてるか、というのが非常に重要だと思います。

 

 

 

今、目の前に起こっている現象が自分と関係あるのか、ないのか。

 

 

 

どこまでの情報を引っ張って、どこまでを出すのか。

 

 

 

つい、自分とはそれは関係ないとか。

 

 

 

チームで達成していくことも、そのために動ける人もいればそうじゃない人もいます。

 

 

 

より大きな仕事をするならば、そーいう自己の範囲が大きくなっている人や、

 

 

 

自らが自分の認識する宇宙の「主人公」になるということは、

 

 

 

その画面を全てつなげる必要があると感じています。

 

 

 

自分の宇宙全てに起こっていることについて責任をもつこと。

 

 

 

これはなかなか勇気がいることです。

 

 

 

そんな当事者意識を育てることが最近のテーマだったりしています。。

 

 

 

アイデンティティの範囲の拡大と決断を通して、新しいエネルギーの生成のパターンを構築中です。。

 

 

 

ご意見、ご感想

perspective496@gmail.com

前回の記事から『無意識エンジン発見セッション』とはどんなものであり、




『認識技術』とはどんな技術であるのか?



そんなテーマで書いてみています。




前回の記事では、




心をオフグリッドする技術が認識技術であり、



私たちに無意識につながれているグリッド(送電網)を発見するものが無意識エンジン発見セッションである、



と表現しました。




今まで自分がつながっていたものを切ったとき、



新しいものと繋がり直すことができる。



これは断捨離にもイメージは近いかもしれません。



しかし、捨てる規模が自由自在であり、



最も大きな存在の単位の断捨離を可能にすることができます。




そこまで手放しきったときにつながりきるものとは何か?




条件によって変化しない、永遠不変、




言い替えるなら永久エンジンを装着することにつながります。




手放すからといって、




目の前が真っ白になるわけでも、




超越した次元にいって帰ってこれなくなるわけでもありません。




ただ、認識する次元が変化するのです。




そうするとあら不思議。。




基準点が変わってしまうのです。





生きたまま死ぬ。



見えているけど見えない。




聞こえているけど聞こえない。




そんな境地です。




基準点が変わってしまうとどんな効果が生まれるのか?



まず、大きな変化としてアイデンティティが変化します。



条件によって変化しない心、




『絶対安心』の心からすべてを出発させることが可能になります。




不思議なものですが、




個人的には施術をするときの効果が非常に高くなっていることを実感しています。



目の前のクライアントも、自分も、




心から信頼できる。




条件の変化に左右されない心で認識しつづけられることで、



頭で『分析する』ことよりも



フラットに全体を観察できているなと感じています。




そんな状態だとお相手の身体の必要なところに手が勝手にいく感覚があります。



うーん。不思議。。




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