何を基準とするのか? | 堀江直樹の無限上達への道のり
久々です。



いきなりびっくりするかとは思いますが、



哲学的な問題を投げてみますね。。



今、目の前には現実があって、自分があって、人がいて、環境がある。



では、なぜ、あるのか?



そこに見えるからあるとするのか?



では、



先ほどまであなただった抜けた髪の毛、爪、垢なんかはあなたじゃないのか?



どこまでを「自分」として認識し、どこからを「他者・環境」と認識するのか。



例えば、私たちは日本という環境にいる



時空間の中に存在がある



だけど、存在の中にも時空間がある



この体という時空間の中に様々な臓器がある



臓器という時空間の中に細胞があったり、血液があったり、細菌がいたり、



細胞という時空間の中に、細胞の構成する素材があって、



そこにはさらに時空間があって。



すべての物事はフラクタル(自己相似した形)を持って反復している



このように構造的にはすべてが共通して連続し、つながっている。



そこに対して、



どのように人間が線引きして名前をつけるのか。



その瞬間、あるように見えている。



本質的な問題はなんなのか。



なぜ見えるの?なぜ分けられるの?



自己と非自己はどのように生まれるの?



本当の実在はなんなのか?



なんで自分がそう思うようになったのか、



すべての物事にどんな当然があるのか。



当然を当然でない目でみること。



日本語には「有り難い」という言葉がある。



実は、「ある」ことはすごく難しい。



だけど、あることが当たり前になっている。



じゃあ、「無い」のが当たり前なのか。



無いって言われてもそれはそれで何のために自分がいるのかよくわからなくなる。



仏教では全てが「空(くう)」だ。という。



その本意を理解する必要があるけど、



一つ解釈を間違えば、この現象はただの夢だ、とかこの現実画面をどう生きるのか、よくわからんし、何のために生きるのかもわからない。




この現実に何の意味もないと諦めの境地になる人もいるんじゃと思う。




あるのか、ないのか、



何を全ての出発にもっていけばいいのか。



すごく重要な問題だ!あっても問題、なくても問題。



この問題をどう解決する?