一周忌 | あち屋ブログ(仮
お久しぶりです(´_ゝ`

なんか、色々で放置してしまってました_| ̄|○


とりあえず、前回の続きになるのかな。

1年たっちゃったんで、ちょっと振り返ります。



一年か、
あっという間だったなぁ(´ω`


2012年6月28日、

21時過ぎ、仕事から帰って、いつも通りリビングのソファに横になってる母と会話して、
一度自室に戻った後、リビングに戻った時に母が起き上がった。

で、ちょっとしたら顔が引き攣ったみたいになって、でもまぁこれも過去に何回かあって、いつもみたいにちょっとしたら戻ると思ってたんだけど、
今回はなんか長くて目の焦点も合ってないっぽい。
横になるように誘導しても動けず、

『聞こえる?』
って聞いたら微かな声で
『聞こえる…』
って。

でもそれが最後の力だったのか、
その後肺の中の空気を全て吐き尽くしたかのようにヒュ~って。

マジか!やめて!って思って、揺らしたら首がガクガクになってて、頭が安定しなくなった。

息もしてないし、うわぁってなって、慌てて人口呼吸したら肺に入らず、胃の中のが逆流してきた。
それも焦ったから指で掻き出して気道確保!とかやったけどダメ。
心臓マッサージしなきゃってんでやったんだけどソファの上だからちゃんと出来てなかったのかも。
とにかくやり続けながら119かけて救急車に来てもらった。
~来るのに20分ぐらいかかったなぁ。

AEDやってもらったり、肺にチューブ入れて空気送り込んだり。
10分ぐらいだろうか。
運びますってコトで、病院探すけどなかなかなくて、(もぅ23時前だったからね)
で、いつもの、癌を診てもらってた病院に『今まで診てたから』ってコトで受け入れてもらえるコトになって、移動10分。

病院側でも30分ぐらい人口呼吸とかしてもらったけどダメで、
『これ以上やってもダメだと思います』みたいなコト言われて、
ホント悩んだけど、『わかりました』って。

それから「しに化粧」してもらって、服も白い着物みたいなのに替えてもらって、
1時間ぐらいかなぁ?
動かなくなった、ちょっと温もりのある母の手を握りしめてた。

涙が溢れ出して止まらなかった。

それまで必死だったのもあったし、受け止めれてなかったのもあるし、戻って来て欲しいって想いもあったから、涙とか全くだった。

でも、ダメってわかって、もう話も、声も聞けない、って思うと、なんか無性に辛くなった。

スグ簡易の棺に入れられて、ドライアイスで冷やされて、カチカチな状態で一緒に家に帰った。
葬儀がある2日後まで、仕事も行けず、一日中隣で手を繋いで寝た。
冷たいかったけど、なんか、離れたくなかった。

だってさ、今まで独りで育ててくれたんだもん。
母一人、子一人で。

もう何もする気も起きなかったし、生きてる意味もわからなくなった。

特に、最期の一年は、母の為に生きてたぐらい。

朝、仕事行く前に、動けない母の為に1時間早く起きてご飯作って、
仕事終わったら明日の食材やら買って帰って、食器の片付け、
夜勤とか連勤とか、危険で出来なかったからなぁ(´・ω・`
たまにはお風呂で背中流したり、病院も一緒に行って車椅子移動。

そんな、何もかもが一瞬でなくなった。

ホントにね、何の為に生きてるのかわからなくなって、1ヶ月近く放心状態だった。