先日参加した荒戸源次郎監督のワークショップのテキストが「かもめ」と知った時、
書棚からチェーホフを取り出す。
「わたしは――かもめ。・・・・・・いいえ、そうじゃない。
わたしは――女優。そ、そうよ!」
有名なニーナの台詞の一節。
もう茶色く変色したそのページの台詞には、10代の頃の私が必死にニーナを演じる為に線や書き込みがしてあった。
それから数年後、演ずることとは全く違う別の人生を歩み続け、
二十数年の時を経て、パンドラの箱を開けることになる。
そして今回チェーホフに再会。
女優を夢見るニーナと大女優アルカージナ。
あれから長い年月が過ぎ、今回の私の役は「アルカ―ジナ」。
昔の私は、ニーナを演じるのに必死でアルカ―ジナをやることになるなんて想像の外。歳月は皆平等に過ぎていく・・・
昔は気付けなかったたくさんのことが痛い程わかって苦しい。
今はニーナの気持ちがすごく分かる。
トレ―プレフもアルカ―ジナも、トリゴーリンの立場も分かる。
メドヴェージェンコだってマーシャだって使用人としてのシャムラーエフの立場やポリーナ。まさに悲劇だと思った。「第四の悲劇」と言われる理由は今ならすぐ頷けた。
すごい戯曲。
どの人も生きている。恋している。自分勝手。
「生」が日常の様子として描かれている皆の有様そのものが悲劇的。
そして使命を知ったニーナと自分を見い出せないトリ―プレフの「死」。
私にとって感慨深い戯曲だから、なおさらケラリーニノ・サンドロヴィッチさん演出の
「かもめ」を今、目にしておかないとならないと思ったのです。
この「時」に観ることが出来て幸せです。あまりにこの戯曲が私を心乱すので、
今回この舞台を観なければ治まりがつかないところでした。
今日千秋楽ですね・・・ 素晴らしい「かもめ」でした。
もう傷もだいぶ癒えてきたので少しだけ暴露致しましょう。
だれでも大なり小なりトラウマというものお持ちでしょうが、
私も二十数年抱えてきたものがありました・・・・
克服することを幾度も試みてきたけれど、
本当にそれを克服するのには、そのものと向き合う他ないのかもしれません。
少なからず、私の場合はそのようです。
皮肉にも私のトラウマは一度封印した「演技」でした。
パンドラの箱を開ければ災厄が飛び出してきますが、最後は「希望」が見えてきます。ならば開けるべき箱だったのだと今は思えるのです。
今はひとつひとつ自信をつけているところです。
「かもめ」の舞台を観ることはその理由の一つでもありました。
トラウマを完全退治できれば間違いなくもっとのびのび演じられるはず。
どうぞ皆さま温かくお守り頂き、そして多いにご期待頂ければと存じます。
大変長くなりました。最後までお付き合い頂きまして今日もありがとう!
