ベンヤミンを窓ぎわに | アッシェンバッハの彼岸から

ベンヤミンを窓ぎわに


ベンヤミン




キッチンワゴンの上に所在なさげに置かれていたベンジャミンが、

ふと気付いたらへんてこな恰好になっていた。

どうへんてこなのかといえば、

我が家にやってきた当初 はまんまるく整えられていた葉っぱ部分の、

特に右寄りの枝の数本が、精一杯手を伸ばすみたいに伸びて、

なんだかものすごくアンバランスな恰好になっているのだ。

彼が懸命に手を伸ばしてる先にだけ、隣の部屋からほんのすこしだけ陽があたっている。

反対側には、分厚く鎮座ましまする冷蔵庫。

僅かに得られる日当たりに、必死に手を伸ばしてるうちにこんな恰好になってしまったらしい。

なんだか気の毒になって、「どっかに動かしてあげよう!」と、同居人キシダに提案した。

「そうしよう」、と彼も即座に同意し、さっそくふたりで家のなかを歩き回って、彼の新たな居場所を探す。

彼にとっていちばんありがたいのがベランダであるのは間違いないけれど、

それじゃ、身勝手なわたしたちは、ちょっとさびしい。

掃き出し窓のまえが日当たりが一番いいのはわかっているけれど、

お蒲団や洗濯物を出し入れするとき、いちいち引っくり返してしまいそう。

いろいろ考えて、腰窓の前に置くことにした。

摺りガラスなのは彼にとってはいまひとつだろうけれど、我慢してもらおう。

そう決めて、その位置に並んでいたたくさんの本を、別の場所に片付ける。


背景に窓を背負ったヤスミン・ベンヤミンはちょっとだけ仕合せそう。

これからはすきな方向に、すきなだけ腕を伸ばせるぞー、といって、

おもいきり背伸びしているように見えた。

そんなの、わたしたちのエゴが作り出した想像なんだけど。

この季節、我が家のあちこちに置かれた大小いくつもの観葉植物たちは、

どれもこれも、ふと目を離した隙に、驚くほど大きくなっている。

人間の身体は、成長期を過ぎたら肥るか老いるかの一方通行なのに、

緑はまいとしまいとし、生まれてから死ぬまでを繰り返す。

あたりまえのことだけれど、なんだかふしぎな感慨で胸がいっぱいになった。

わたしたち人間が、こうして身勝手にも植物を小さく切り分けて手元におきたがるのは、

輪廻転生せずともいくつもの生涯を繰り返すことができる彼らに、

叶わぬ憧れを抱いているからかもしれない。