「国」というものは、主権がなければいけません。主権は誰にあるのでしょうか? そこで憲法学者はウソを言うのです。「今の日本は、主権は国民にあるのだ」と言うのです。
国民に主権があるはずがありません。日本国国民の1億3千万人が主権を持つのでしょうか? 主権者が1億3千万人も集まったら、話はまとまりません。「俺が主権者だよ」「俺も主権者だよ」「私も主権者よ」と言いだしたら、まとまりません。」
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確かに。
しかし現代のやうに有権者が何千萬人もいるのにルソーの言う人民主権論による直接民主制を取ることは不可能ですね。
そこで、多くの國では國民は代表者を通じて行動することになる代表民主制を採用しています。
この場合、國民主權の國民とは抽象的な國民ではなくルソーの言う社会契約参加者(普通選挙権者)の総體、即ちMASとしての有権者團と捉えれば主権の意味も権力を直接行使するといふことではなく、権力の正統性の究極的根拠と解することができます。
さらに
中杉博士はこうも仰有います。
「国民に主権がある」というのは、全くウソっぱちだとわかるのです。国民に主権はありません。
だから、アメリカのような主権者をつくらなければいけません。アメリカは主権者である大統領を生みだしたのです。大統領は主権者です。首相は主権者ではありません。日本は首相制ですから、内閣総理大臣には主権がありません。それをカン違いしてはいけません。
日本の場合は、「主権は誰にあるのか?」というと、天皇陛下にあるのです。天皇陛下のみが1億3千万人の国民と対峙して、対等の天秤に一人乗り「私が主権者だ」と言うことができるのです。
内閣総理大臣は、国民の側に入っているのです。総理大臣にどうして主権があるのでしょうか? あるわけがありません。1億3千万人の天秤と対峙して、一人で天秤に乗る人を「主権者」と言うのです。
内閣総理大臣は国民の側の天秤に乗っているのですから、主権は生まれません。だから、日本ではロクな政治家が出てこないというのがよくわかるのです。日本の政治は、「主権者不在」です。
かろうじて、主権が残っているのは、現天皇陛下です。「象徴天皇」など、本来はあり得ません。憲法にも「天皇は主権者である」とは明記されていません。「象徴天皇」と明記されているのです。
「象徴天皇」とは、一体何でしょうか? 「象徴」と言うと、国民が乗る天秤に乗っているのです。主権とは、国民と対するものです。1億3千万人という重石と対抗するために天皇というものがあれば上手くいくのです。
ところが、天皇陛下が国民と同じ天秤に乗って、「象徴天皇」などバカなことを言っているのです。もうすでに、ここにGHQの亡国の仕掛けがしてあったのです。「象徴天皇」として、主権者らしく憲法に明記しましたが、それは主権を持った天皇ではありません
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中杉博士は、私が先ほど述べた國民主權と代表民主制との關係をどうお考えでせうか。
確かに、大日本帝國憲法下に於いては天皇が主權者であり美濃部達吉博士の天皇機関説と對立した上杉慎吉博士は君主主權論を唱えました。