「自分」につながっている『自分』を思うことで半ば認識していることになるようです。

実感や具体的な体験は必要とせず、認識の範ちゅうでよいようです。

『自分』は身体の「自分」とは違い、形も名前もない〝思い〟として在ると考えて、『自分』を探さなくてよいようです。

見えない『自分』が、見える「自分」につながっているだけで、「自分」からつながっている見えないケーブルによって身体で感じる内容を疑似体験していると考えてみてください。

身体で感じている「自分」の体感は見えないケーブルによって『自分』がそのまま感じてしまうと思ってみてください。

そのイメージがあれば、「自分」から離れているという認識はできているということになるようです。

この認識が少しでもできれば、瞬間的にわき起こるトラウマ体験で深く落ち込まなくなったり必要な時の冷静さを持つことができるようです。